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脳に優しいビジネスマサイ

私がアフリカに行くようになって知った真実があります。ご存じの方もいるかもしれないけれど、それは「日本のマサイ族のイメージは切り取られている」ということ。

固定イメージを変えるのは難しい

すらっとしたいで立ちに、やりを持って高くジャンプをする姿は、遠いアフリカで暮らすアフリカ人のイメージそのもの。赤いストールもキャッチ―で、メディアで取り上げるにもわかりやすく、マサイ族は一気に有名になりました。

当時はそれが事実だったかもしれませんが、かたや世界ではAIで自動車が走り、空飛ぶタクシーが登場する時代。

今、マサイ村に行っても、赤い布を羽織る人も見かけるけれども、Tシャツ短パンも見かけます。牛糞で保温効果を高めた土の家に住んでいるけれども、中にはラジカセやテレビなどの家電も見かけます。若者はスマホに夢中です。太っている人もいます。

では、なぜいまだに昔のイメージが刷新されないのかというと、メディア(視聴者)は今まで通りのマサイ族を求め、マサイ族も生活のためそれに応じているからです。

だから「せいの!」の合図でカメラの前で何度でもジャンプし、歌をかなでてくれます。

そんな彼らを「ビジネスマサイ」と呼びます。

ビジネスマサイ=現代の侍??

現代の日本の片田舎にもまだ侍が住んでいて、日常は洋服をきていて、特別行事のときだけ侍になる。でも、時々海外クルーが来ると村中の男が、まげを結って鎧をまとって刀をさげる、ような感覚。

いいんですけど、なんだか腑に落ちない。むなしくなるは言い過ぎだけど、時代が変わっても他国の人が求めるイメージを再生成して、ループを続けることにうんざりします。だって嘘とまでは言わないけど、本当ではないから。

人間の脳はイメージ通りが疲れない

例えば「マサイ」と聞いて「高層ビルの街中でワイヤレスヘッドホンをつけて、Tシャツとジーンズで軽快に歩く長身の青年」が登場すると、人間の脳は疲れるんです。

だから「マサイ」と聞いて、イメージ通り赤いストールを羽織った長身の男たちがジャンプしていると、脳は安心します。理解の速度は高まり、脳は疲れないため、受け入れられやすい。

年を取ればとるほど、頭が固くなるのはこのせいですね。(反省。。。)

メディアも商売だから、人々の期待を裏切る真実を届け続けても、そのうち聴衆は飽きて他のメディアに流れてしまいます。どこまでも真実にこだわる市民はそうそういません。

難しいんですけど、いつもお決まりの映像ばかり流れるのもどうなんだろう、と思った今日の投稿でした。



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