
キリトリ線
高校時代に戻りたいとか、
人生の夏休みだった大学時代楽しかったなとか、
ふと昔を懐かしく思うことがある。
だけど、それは単に切り取り方の問題で
実はどの数年を切り取っても
同じように尊い日々だったことに気づく。
例えば、社会にでて1年目のとき
満員電車を乗り継いで、人混みをくぐり抜けて
毎日はやめに出勤していた頃。
毎日当たり前のように
同期や先輩とお昼ご飯を食べて、
時間に縛られず心ゆくまで働き、
気の赴くままに、居酒屋に行ってお酒を飲む。
出張に行けば毎回新しい発見があって
日々、経験も知識も増えていくのが当たり前で
助けてくれる人が、いつもたくさんいた。
家と実家を往復していた育休中。
人に会うことはあまりできなかったけど、
自由な時間がたくさんあって
好きなだけ韓国ドラマを見ることができたし、
ずっと読みたかった本を読み切れた。
読みたい本をすべて読み切るなんて、
私のこれまでの人生ではおそらくなかった。
娘が発する新しい言葉は全て最初に聞けて、
たっぷり昼寝する娘を見ながら、
家にいながら自由な時間がたくさんあるのも
思い返せばとても贅沢なことだ。
過去を振り返ると、こういう風に
昔の自分をちょっとだけ羨ましく思うけれど
今この瞬間だって、切り取り方によっては
かけがいのない数年なのかもしれない。
会いたい時に当たり前のように会える友人も、
当たり前のように毎日顔を合わせる同僚も、
いつでも行けると思っている旅先も、
いつまでも永遠に目の前にあるわけではない。
さいきん、地元の友人5人に会ったとき、
自分も含めて全員もう地元には住んでいなくて、
ふと、そんな風に思ったのだ。
中学生の頃は、制服を着て学校に行けば
毎日顔を合わせることが当たり前だったけど、
当たり前すぎて、その貴重さに気づけなかった。
一方で、その尊さや儚さに、
気づけなくてよかったなとも思う。
もし気づいてしまっていたら、
しょうもないことで喧嘩したり、
小さいことでゲラゲラ笑いころげたり、
くだらないことを繰り返したり、
今思えばかけがえのない経験はからっぽで
思い返すこともないような
つまらない時間になっていたにちがいない。
いまを大事に生きることも大切だけど、
ちょっとくらい雑に過ごしたとしたって、
それはそれで、数年後に振り返ったら
面白い日々だったと思えるのかもしれない。
ほんのちょっと、心の緊張がほぐれる気がした。