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私の “やりたいこと”

                                     私の ”やりたいこと”  。

高校生の頃、なんとなく人と直接関われるような
お仕事がしたいなと考え、その時に出逢った
理学療法士に惹かれて、大学での4年間は理学療法や身体・人に関わることを学びました。5月にリハビリの仕事をやめて、今1ヶ月と少しが経ち。
ご縁があった場所でお仕事できた1年間は、
私にとってこれからも本当に大切にしたいもの。

今、自分と向き合う時間をつくることができて、 見つけられたこと。

ーーー
自分の大事にしていること・内に秘めていることを
人に伝えるって、どこかなくなってしまいそうで
不安になるけれど、誰かが伝えてくれた時は
うれしくて、ぎゅっと大事に受け止めたくなる。
自分が人に伝えるときは、うまく伝えられているのか、その人に何かを渡せているのか不安になる。

誰かと話すとき、こんなことを思ってドキドキしながらも、不思議と話したいと思ってくれる人はいて、私もその人たち一人一人と話す時間が楽しい。
悩んでいることや今の思い、日々の何気ないことや過去の出来事なんかを話していたら、
気づいたら何時間もあっという間に過ぎてしまう こともある。自分には何もないと思っていても、
きっとそんなことはない。想いを共有できる人は、
もしかしたら今近くにいなくても
絶対にどこかにはいる。自分の居場所や合う人たちは存在して、もしうまく話せなかったと感じても
伝わるものはある。
ーーー

“自分や人を大切にするきっかけをつくりたい”  
”日々が今よりも少し、豊かになるようなきっかけをつくりたい”

よく「やりたいことは何?」と、学校や社会に出てからも意見を求められることが多い。それに周りの人たちは、それがあることを高く評価しているようにも見えた。そんな環境の中で、何か職業を答えなきゃいけないように思えたり、やりたいことがある人の方が優れて見えたり、ない自分がダメに思えたりするけれど、そんな立派な ”やりたいこと”   なんてなくてもいいんじゃないかと感じる。それに、
やりたいことは自分で枠にハメようとさえしなければ、誰にだってたくさんあるはず。ここへ行きたい、これを食べたい、こんな洋服をきてこんな気分になって、こんな自分になりたい、この人と楽しい時間を過ごしたい、とか。
その人の〜したいの先には、実は、自分でも気づかないような気持ちが隠れているのかもしれない。
そんな一見小さくも見えるやりたいことを大事に していったら、自分の色や形が自然とできてきて、
それを好きとか、必要だと言ってくれる人がいつか現れるかもしれない。そのやりたいことが、小さくても大きくても、自分のやりたいことを叶えていった先に自分らしい生き方に繋がっていくのかなと、今は私が関わった周りの人たちを見ていてそう感じる。

何か形にしなくては、職業を見つけなくては、
お金をたくさん稼がなくては、と思うと
いつの間にか大事なものを見落としてしまいそうで。

だから、消さずに大事にしてほしい。もし誰かに言うのが怖ければ今は自分の中だけに温めておいて、
いつか言いたい人やタイミングが現れたときに、それを伝えられたらいい。

そうは言っても、周りを見渡せば、ただ過ごしているだけでもいろんな情報が流れてきたり、誰かの
意見や声が聞こえてきたりする。誰かに否定されたり、時には隣の芝生が青く見えて誰かを否定したくもなったり。自分のやりたいことを叶えられなかったとき、人のことを素直に応援できなくて
誰かを否定することで自分を肯定したくなったりする。でも、結局はそんな自分をまた責めてしまう。

できるだけ自分を大切にして、そんな瞬間・時間が増えたら、誰かのことも自然と大切にできて。誰かのダメな部分に目がいくことが減ったら、少しの間違いを責めたり、正しいを押しつけたりするような全体の雰囲気だって変わるんじゃないだろうか。

こんなことを思うのは、私自身が学生時代に選択基準がなくて、自分を大事にできない。選択肢が見えなくて、希望を見出せなかったからで。5教科必死に勉強して、いつも目の前のことに追いつこうとやってきたつもりだけど、私にはどうして何もやりたいことがないのだろう、それでも差し迫ってくる進路選択のとき、どのように選んだらいいのか分からない。他人に対してはこうあるべきだとたくさん教えられてきた気がするけれど、自分に対してのあり方を伝えてくれる人はあまりいなかったように感じる。インドでは、物心ついた頃から、”お前は人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい” といった教育を受ける。比較してどちらが正解とはないけれど、捉え方一つで人やものに対しての見方がこんなにも変わる。長い目で見たら、人生そのものが変わってしまうような気もする。


今思うと、私はそんな時
出逢う人や本や、ラジオに救われていた。カフェのようなホッと一息つけるような空間やお気に入りの物を身につけることも、その一つだ。
私がありがとうと感じるのは、自分の価値に気づかせてくれるものや人に出逢えたとき、日々が今よりちょっと楽しみになるようなものや考え方が知れたり、そんな体験ができたとき。

選択肢が増えることで知らない世界が知れて、未来の想像が広がり、いろんな人・生き方があるから 自分もみんなと同じじゃなくてもいいと思えて、
自分以外の考え方に触れることで、自分と向き合うことができ、自分を守る方法も知ることができる。

それに気づいた今は
そんなきっかけを、自分の経験したことや出逢った人たちと一緒に創りたいなと。

”自分や人を大切にするきっかけをつくりたい”
”日々が今よりも少し、豊かになるようなきっかけをつくりたい”


その想いはそのまま

それが今すぐ形とならなくてもよいから、
そっと大切にしながら
今目の前にある出逢いを楽しんだり、小さなやりたいことが湧き出たきたときには自分の感覚を信じて、それを叶えてあげるような選択をしたい。

その方がずっと大切で、遠回りのようで実は近道なんじゃないかなと。いつか大きなものになって返ってきたらそれはそれでうれしいかも、と。そのくらいの気持ちの余白をもって、今を楽しみたい。

以前に私が好きなある方が言ってくれた、

“焦らなくてゆっくりでいいよ”って言葉が
今になってストンって、腑に落ちた。


自分でも本当に、嫌になるくらいのペースの遅さにいつもうんざりしてしまうのだけれど、笑
ゆっくり遠くへ行けたらいいかなと。

今は周りにいる大切な人たちのおかげで思えています。



最後まで読んでくれた方がいたら、とってもうれしいです!!!また書きます。ありがとう🌷


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