【おすすめ本】「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」を読んでみた ~普通の暮らし、だから幸せ~
こんにちは~🐾🐾🐾
現在、私がお世話になっているWebデザインスクール「※SHElikes(シーライクス)」では、テーマに沿ったWeb記事を課題として提出するというものがありまして、挑戦してみました😊
今回のテーマはずばりこちら!
「好きな本をおすすめしてください」
本を読むのは好きですし、大学の専攻が国文学でしたので、
「あ、レポートみたいに書けばいいのかな♪」
と、語尾が「である」調のゴリゴリ論文みたいなのを書いて提出したところ……
ドンッ!
赤入れいっぱいいただきました!!!!
(ですよねー。でも、ありがたいです……精進します!)
私、Web記事では「段落は基本いらない」とここで初めて知りました。
言われてみれば、確かに世のWeb記事に段落ありませんね💦
本当に「Web記事のいろは」から教わるくらいのまだまだ素人です。
優しく、丁寧なお言葉でフィードバックをいただいたのち、手直しをしたものをせっかくなのでアップしたいなと思います。
まあまあ長文ですし(3000字越え)、初めて書いて公にした記事ですので、
その辺は大目に見てください。
ちなみに表紙は少しだけこだわりました😁✍🏻
これがクリエイター人生の礎となることを祈って……(合掌🙏)
では、どうぞお楽しみください!
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「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」を読んでみた ~普通の暮らし、だから幸せ~
慌ただしく日々を過ごす中、どこかに刺激を求め、ありふれた日常には目もくれないようになっている気がしませんか?
そんな現代人が「ありふれた日常とは何か」を見つめなおすきっかけになるかもしれないとおすすめしたいのが2人の40代、独身、女芸人の何の変哲もない日常を描いたこちらの作品です。
阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし
幻冬舎文庫
著:阿佐ヶ谷姉妹
(姉:渡辺江里子 妹:木村美穂)
【本作概要】等身大の2人の”おばさま”像
まずは本作の概要について。
本作は、「顔の似た歌唱力の高い、歌って踊れるピンクのドレスを着た2人組」で有名な阿佐ヶ谷姉妹の姉エリコさんと妹ミホさんご本人が執筆をしているライトエッセイです。
2人で交互に気品あふれる特有の語り口で軽快に日々お互いの思う所や自作の短編小説を綴っています。
2人は東京 阿佐ヶ谷の六畳一間のアパートの一室で生活を共にしているのですが、エッセイで語られている内容は、まさに何の変哲もない
「2人のおばさまのありふれた等身大の日常」です。
それはありふれた日常の1コマなのに、語り口のセンスのおかげかなぜだか「クスッ」と笑ってしまうから不思議です
その中身については以下でさらに詳しく紐解いていきたいと思います。
顔は似れども赤の他人、小競り合い満載の日常生活
「姉妹」と名乗ってはいますが、2人は赤の他人。
そんな赤の他人同士が1つ屋根の下で仕事も含め、四六時中顔を合わせていると、どうしても小競り合いが勃発する毎日……。
そんな日常の小競り合いも2人は愚痴を交えてエッセイに綴っています。
例えば、「寝ても起きてもお姉さんの顔が見えるのは、つらい」と言う妹のミホさん。お互いの顔が見えないようそれぞれ南枕、北枕で就寝するのに加え、己の布団の陣地をじわじわと一畳から四畳に広げつつあると姉のエリコさんは不満げ。
さらに、夏生まれで寒がりのエリコさんと冬生まれで暑がりのミホさんはお互い体感気温が異なるようで、真夏のシャワーの設定温度やクーラーを付けている間の風通し論争等、「似た顔なのに全然違う!」とミホさんも思わずぼやいてしまうほど。
本当の親、兄弟・姉妹、友人どんな関係性でもそうですが、やはり人間、似た者同士でもずっと一緒にいると自分と相手との些細な違いがどうしても気になってきますよね。
「少しの間1人にしてほしい」と感じることだってあるでしょうし、「似ている」と周囲から言われても、性格や好み、価値観は決して同じではありません。
ましてや、赤の他人同士ならなおさら。
多少の違いに対して相手に少し突っつきたくなるのは、誰しも「分かる、分かる。」と共感できできる感覚ではないでしょうか?
ぶち当たる加齢事情
一方で、40代の2人には逃れられない加齢事象もひしひしと感じているようで、それらに日々奮闘する様子も綴られています。
現場で大事なピンクのドレスを忘れた事に気づく等と忘れ物の多いエリコさんに、通い慣れた美容院でこだわりの白髪染めをしてもらうミホさん。
はたまた、「健康にお笑いを続けるには体力が必要だ」と女性専用30分健康体操教室カーブスに姉妹揃って入会したものの、一緒に体操をする個性豊かなおばさま方の人間観察に始まり、そこで仲良くなったおばさまからウルトラセブンDVD全49話を借り受けたり……。
このような2人のリアルな妙齢事情を垣間見ることができますが、悲しいことに、世の女性誰もが同じように加齢の現実と向き合わなければなりません。
しかし、2人共加齢に関して悲観こそしてはいますが、
「なってしまったなら仕方ない。こうしよう。」という気概が感じられます。
なったらなったで、こだわりの白髪染めを見出したり、カーブスのおばさまと交流をしたり、どこかに新たな楽しみを見出しているようで、「案外、悪いことばかりではないのかな……?」とまでこちらは感じてしまうほど。
もちろん、いつまでも若々しくいられるのが一番ですが、実際に来る現実なのだから悲観しても仕方ありません。
まさに、人生楽しんだもの勝ちです。
どこか懐かしい、人情味あふれるご近所づきあい
2人が暮らす阿佐ヶ谷では、どこか懐かしい、人情味あふれる雰囲気を2人のご近所付き合いから読者も感じることができます。
手作り餃子をフライパンぎっしりにおすそ分けしてくれるご近所さんに、2人の行きつけの中華料理屋さんや「阿佐ヶ谷姉妹」の名付け親になったお寿司屋さん等。
「東京ではご近所付き合いがない」下手すると「隣人の顔も知らない」と言われているこの現代で、地域の方々との交流の話は読んでいてほっこりしてきます。
餃子のご近所さんの話を綴っているエリコさんによると、最初は挨拶から始まり、軽い会話へと続き、最終的に餃子以外にも筑前煮やシチューなんかを貰う仲にまで発展していったとのこと。
都心部では特にしょっちゅう顔を合わす仲だとしても、簡単な会話どころか挨拶を交わすご近所さん自体かなり少くなってきているのではないでしょうか?
そもそも、こういう交流自体必要に迫られるわけでもないため、どこかで「たかがご近所さん」と自ら交流を遮断していたりするものです。
しかし、この「必要に迫られない交流」こそ、「心の余裕と新たなご縁を生み出しているのかも。」と考えると、ばっさり遮断するのはもったいないことだと思えてきます。
ゆったりとした時の中で、ただのご近所さんと今日の夕飯の話をしたり、行きつけの店で食事しながらお店の看板猫を愛でたりしている内に、夕飯のおすそ分けやコンビ名をいただくまでに発展した思わぬご縁を得た阿佐ヶ谷姉妹はまさに良い例です。
さらに言えば、今私たちがテレビで目にする「老若男女に愛される阿佐ヶ谷姉妹」は阿佐ヶ谷のご近所さんとの交流の賜物かもしれません。
2人のおっとりとした雰囲気と人を引き付ける飾らないトークは2人の芸を見る私たちにとっても親しみを感じやすくさせるから不思議なものです。
誰かがそばにいる幸せ
エリコさんが作中、エッセイの執筆が上手くいかず、ひどく落ち込んで帰宅するのですが、何かを察していたミホさんが普段通りを装ってエリコさんの好きな甘口のバーモントカレーを夕飯に用意してくれていたエピソードがあります。
エリコさんは泣きながらそれを食べるのですが、どんなに普段小競り合いをしていても、落ち込んでいる相手に好物をそっと差し出す優しさを見せてくれた、そんなふとした瞬間に感じる幸せは1人では決して味わえないですよね。
この2人の付かず離れずの関係については、エリコさんも「うちに帰った途端、一言も話さないような関係でもなく、話を聞いてくれる、語らってくれる相手がいるというのは本当にありがたい」と綴っています。
似て非なる2人ですが、だからこそ、家族とはまた違う、ちょっとした違いが新鮮で、小さな優しさが身に染みる温かい関係を築いていけるのかもしれません。
違いとはまさに自分が持ち合わせない相手の個性や一面を垣間見ることですので、時に納得がいかなかったり、驚いたり、違い1つでいろいろ色々な感情が沸き起こります。
しかし、それら全てがマイナスというわけではなく、相手の新たな一面を発見するきっかけになりもします。
そんな日常はある意味新鮮で面白いものです。
【まとめ】ありふれた日常の中の小さな幸せ探し
ありふれた日常は決して人生大逆転並みの大きな幸せではないかもしれません。ですが、日々効率を重視し、小さな幸せを見逃すあまり、常にキツキツな心の状態では人間長くは持ちません。
小さな幸せで「ほっ」と心の余裕を取り戻すことで、また違った見方で、少し前向きに進めるのではないでしょうか。
何かと忙しない世の中ですが、皆さんも一度立ち止まって、阿佐ヶ谷姉妹のような「のほほん」とした暮らしから小さな幸せ探しをするのはいかがでしょうか?