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どう考えてもやっぱり「努力」なんてすべきじゃない理由 <前半>

「私ってメンヘラだから◯◯できない、できないのはしょうがない、というのは言い訳じゃないのか?そういう発言にイラっとするんだよね。」

と言っていた友人がいました。私の友人はメンヘラとメン健(メンタル健康)の人、どちらもいるので、互いの意見を聞くことになります。

私自身、うなずける部分とそうでない部分があります。ふつうに考えれば、例え他人が実際言い訳として「私メンヘラだから、精神疾患だから。」と繰り返していたとしても、じぶんにとって大きな問題になるわけではありません。でもなにかイラっとむかっとする……。

そんなイライラする人とは付き合わなければ良い、という意見も多いのですが、ここで終わらせると思考停止ですし、この気持ちは因数分解する必要がある価値があると思えてきました。このイライラもやもやした感情にはきっと、何か隠されているに違いありません。

メンヘラがじぶんをメンヘラと言いたがる問題でも取り上げましたが、周りから見れば、私ってメンヘラだから、とか精神的に疾患があるからというネガティブワードを連発する人の話を聞くのは気分がのらない場合も多いと思います。
ですが私自身、じぶんがメンヘラであるというラベリングに救われたことがあります。ラベリングは折れた心を癒し、立ち直るシステムとして必要です。病名がわからないのに体調が悪いのはとても不安ですよね。

「あ、私はメンヘラなんだ。じゃあこういう治療法があるよね。」と先が見えるようになればほとんど治ったのと同じです。最終的にはそのラベルは燃やして、笑い話になれば万々歳です。だからというわけではありませんが、立ち直り中の人がネガティブワードをひけらかしても多めに見てね、と思っています。

他人にイラっとする身近な原因。
「ナルシシズム_ネガティブver.全開!」

さて、少しずつ探っていくことにしましょう。(写真は池に映るじぶんにウットリするナルシスくん。)
まずは単純に他人のナルシシズムがキモいのではないかということ。

「私って〜〜だから」という見ていて辛い発言はナルシシズムが全開になっているからではないでしょうか。日本語は主語を抜いても通じる言語です。なので余計に私は私は、俺が俺がと連呼されると反応しやすいのかもしれません。


「私ってメンヘラだから……。」
いや、知らないし。

「私っていつも周りにこう思われてて……。」
いや、うん、周りって何人が実際そう思ったの?

「俺って自信なくて。」
だーかーらー!


となるのも当然かもしれませんね。
私天然だから♡というぶりっ子のほうがマシに感じられるのは、ナルシシズムにネガティブワードを混ぜ込んでくるからでしょう。こういう人たちをナルネガ族と呼ぶことにしましょう。相談に乗ってくれる?と言われればナルネガも黙って聞くことができます。ナルシシズムはキモチワルイ。ナルネガはもっとキモチワルイ。


あなたが嫌いな人って、もしかしてあなたに似ていませんか?


「同族嫌悪」、人が最も素直になれない領域かもしれません。でも何か引っかかる、この人ムカつく!という時、それは少なからずじぶんに関係がある可能性が高いです。鏡でじぶんを見せられているようで不快になり、余裕がなくなるのかもしれません。

過去のじぶんを見ているようだとか、もしかしたらじぶんもこの人のようになっていたかもしれない(または今なっているかもしれない)と思い、痛くて直視できないことがあります。

どんなに残酷でも遠い世界の話は、じぶんごととして捉えにくいので、イライラどころか何も感じていない場合もあります。どんなに素直な人でも、同族嫌悪については認めがたく、整理できにくい種類の問題です。同族嫌悪による争いはアダルトチルドレン同士で頻発します。

AC「あいつはダメなやつなんだよ。」
お前もな。
よくその現場を見てきました。私もがんばります……。


努力はすばらしい病

努力。私は耳障りの良いことばには注意を払うように心がけています。努力という言葉には「苦しんでなにかをする」というニュアンスがある気がします。もちろん何かを成し遂げるには時間や労力という犠牲が必要です。どの世界でも道を極めている人は「好きだから続けてこられた」と言いますが、みんながみんな、好きなことばかりやれるわけではなかったかもしれません。

私って〜〜だからと言える余裕すらなかった人も多くいます。生まれつきでしょうがないこと、家庭環境に適応しないと死ぬともがいてきた人たちです。音大生ももれなくメンヘラなんですよね。小さいころから叩かれながら血みどろになりながら楽器を練習してきたせいでしょうか。
努力してきたとじぶんで思っている人は、努力しない人を責める傾向にあるように感じます。じぶんは犠牲を払ったのに、なぜあなたはその犠牲を払わないのかと。だから自己責任だとか、その分リスクを負うべきだとか、立場が低いとか言い出します。

そう思うといちばん悲しいのは「努力せざるを得なかった人」なのかもしれません。その虚しさやかなしみはネットで他人を叩く人、正義を振りかざして攻撃する人に表れています。努力することを当然のように他人に押し付けます。他人を攻撃する前に、じぶんを癒す必要があるでしょう。好きなことならともかく、じぶんを無理に変えるような努力なんてしないほうが良いということです。

努力を人生のスローガンに掲げている人はまぎれもなくメンヘラです。今のじぶんを認めることができない病です。自己啓発はまさにそれです。「理想のじぶんが、今ここではないどこかにいるはずだ。」と明後日の方向を目指して足元をみていません。(ただしドーピングとしては素晴らしい。)ネットワークビジネスにハマる人にも努力病の人はいますが、これはまた違う問題があるので別の機会に書こうと思います。

ここで一区切り、後半につづきます。
「私はメンヘラだから◯◯できない」を言い訳と感じてイラっとする問題。

Q:言い訳していいわけ?

A: いいわけ〜〜〜☆


<終>


記事はここまでです。長文お読みくださりありがとうございます。
私のメンヘラを治し、げんきをくれたフィリピンのミンダナオ島にある「ミンダナオ子ども図書館」の子どもたちのために寄付します。新たに貧困地域に幼稚園を建てようと思い、活動中です。ご協力お願いします。


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