2024年12月18日~胸膜炎入院。
肺炎からの胸膜炎で入院した私です。
ここからは入院中の覚書として記録しておきます。のちのち読み返すと面白いですよね、こういう自分の記録。
前回の記事はこちら 謎の肺炎になりました。
入院決定、部屋の準備、家族へ連絡
さぁ、胸痛をかかえながら案内されたのは、個室でした。現在満床で大部屋は空きがないとか。ベット代は掛かりませんとのことでした。ラッキー!
と思うじゃん?思うじゃん?
個室てめちゃ怖い。私が入院する病院は新館と古い本館があって、今回わたしは残念なことに古い建物の本館に入院となったわけで、個室も古めかしく、なんかこわい。
ベットの横に古いエアコンが至近距離で設置されており、サァァーー!という音を発している。
この横で寝るの?無理そうが第一印象。
ベットの横のドデカイエアコン機器は、院内全体で温度管理してるエアコンらしく電源は切れないようでした。個室には普通にルームエアコンも設置されているのに。
まずとりあえず真っ白いシーツのベットにチョコンと座る。
看護師さんがきて、入院についての冊子を手渡されたり、最低限のルールを教えてくれた。そして家族へ連絡をして荷物を持ってきてもらうこととなった。
最悪すぎる夜
発熱と胸痛が酷く、直ぐに抗菌薬の投与を、24時間効果が切れないように入れていく事になった。真夜中2時に点滴のスケジュールが入れられるとのことで、夜中も点滴付けに来てくれるんだ。これが入院……と感心していました。
そして点滴針の挿入。そこに血管あります!?っていうところにぶっ刺して、見事に点滴の道(ルート)が開通
なんか激しく腕を動かすと、血が逆流おきちゃうのでモザイクしました。
ほんとに血管ある?ってとこに指で確認しながら、スンッって入れた看護師さん凄かったな!
この針は4日ごとに変えるけど、ずっと差しっぱなしらしい。点滴打ち続けるの初めてなので針刺したままなの……と絶望した。
18番!18番!はペニシリンにございます!
JINというタイムスリップ医療漫画が原作のドラマを見たことがあるなら聞き覚えありますでしょうか?それかバンド名でもありましたね、ペニシリン。
ペニシリン系の抗菌薬を点滴することになりました。点滴すれば劇的に改善してすぐに退院出来ちゃうはず★と思っていましたが、んなこたぁなかったです……。肺炎と胸膜炎で胸痛が激しかった時は、マシになったか?程度。それよりも息苦しくて、(;´д`)ハァハァするのに必死でした。呼吸するだけで激痛なので痛み止めも飲みつつ。
この日から晩御飯も病院から出るようになりましたが、初日は肺痛いということで、ほとんど食べられず、野菜の小鉢のみ食べました。
そして消灯時間22時。私が小学生の時の就寝時間だよ。
寝れるはずもなく、どう寝ても刺さるような胸痛に加え、息するだけでも痛い。食後のバイタルチェック時に酸素飽和度も調べたら酸素吸入いらないギリギリの数字で、O₂もなし。耐える時ということか。
一睡もしないまま、次の日へ。
胸が痛い 息苦しい夜を過ごして、朝日が登ります。朝を迎えると点滴がきいてるのか、胸痛も少しマシになったような気がして、嬉しかったのです。まだ熱はありますが、1夜過ごしてちょっと余裕が出てきたのか、ほかの問題が気になります。
米食べれない問題
ローカーボ流行ってるじゃないですかぁ?じゃなくて、米嫌いで、ご飯の匂いが嫌いです。病院食ってご飯でカロリー調節してるので、食事制限のない私は、1日1800kcalで米飯が180g出ます。つらい!茶碗にしっかりこんもりの飯粒が置かれ、蓋を開けた瞬間のあの米の匂い。
𝑶𝑯 𝑴𝒀 𝑮𝑶𝑫!
これが雑穀米多めの雑穀米なら多少いけるのに、白米。多いよ白米。ということで、おかずしか食べない日々が始まります。米食べれないって言ってもしょうがないと思っていたので……。2口くらい食べた時の口の中の気持ち悪さ、でも病気治したい、と思って少しだけでも口に運んでいました。
大部屋へ行く
大部屋に空きが出たので移動。コロナのせいか元は6人部屋を4人部屋として使用してるため、カーテンで仕切られているだけだか、広くて快適。個室より快適。閉鎖的じゃないので、なんだか安心する。
けど、
いびきがヒドイ人、機器からポーン!と定期的に24時間電子音がする人、病室で大声で電話を朝から夜まで定期的に掛けたり掛かってきたりする人がいる最初の大部屋はキツかった。そこもナースステーション近くだったので、急変があまり無さそうなわたしは、後日もう少しナースステーションから遠い部屋に移動となります。
肺痛いよぉ
初日から4日目くらいまでは、肺痛い肺痛い……で過ごしてて、携帯の検索は、胸膜炎 いつ治るとか、治療期間とかで埋め尽くされてました。痛み止め飲んでる間は、ちょっと元気になるのでNetflixで映画見たりしたんですけど、感動して泣くと肺が痛いので、タイタニックのエンディングで、肺が激痛の中、号泣して苦しむという地獄に自ら飛び込んでしまい、後悔しました。この頃のディカプリオ、美しい!
5日目になってくると余裕になってきます。いつ退院?これはもう自宅療養可能では?と思うかもしれませんが、こっからが胸膜炎です。なんせ肺の外側の組織まで炎上したのですから。退院なんてできないのです。胸水がすこし溜まってきてるらしく、退院はおすすめ出来ないと言われ、絶望しました。
帰る妄想までしていたのですから。
仕方ありません。
それから何日経とうと、あまり病状に変化はなく肺の痛みも膠着状態、炎症値だけが微妙に少しづつ落ちてるねぐらいでした。
栄養士さん召喚。
血液検索をしてもう1つわかった事があり、栄養士さんが召喚された。アルブミンという成分の基準値が4に対して、私の血液検査の結果2.1しかなく、この数字はご飯飲み込むのも大変なガリガリの高齢者でも見ない数字らしい。
栄養が足りてないと下がってくる数字とのことで、白米食べれない私は、おかずだけは食べていたのですが、どうしても臭いと感じる煮物や、お湯?みたいなスープが出た時は、残してしまっていましたし、肺も痛いのでもぐもぐするのも億劫という状態だったため、そんなにご飯が食べれていない状態でした。
栄養士さんと相談し、米食べれないため、主食は麺かパンにする、量が多いため常食1500kcalにする、飲み物やゼリーで栄養が取れる補助食品を付けることにしました。
これで解決ぅ!と思いきや
麺がすすれないんですよ。肺が痛くて。あと麺の量多いて!
パンも5枚切りや6枚切りのパンなら1枚食べれそうかなと思ったけど、ダブルソフトくらいの厚切りで来るじゃん。そして嫌いなイチゴジャムとマーガリンが添えてある。
(パンに塗るやつは付けなくていいとお断り済みだか付いてくる)
多いし!!!食パンは半分に切ってあるので、半分だけ何もつけずにもぐもぐ。半分で十分です。おなかいっぱい。
健康的でない痩せ方をして行くのです。
クリスマスから年末年始
クリスマスにも家に帰れず、微妙に肺は痛い。レントゲンの結果も悪い。
ナースステーション前には年季の入ったクリスマスツリーが飾られて、飾りがどことなく、私の子供時代にあったような懐かしい感じのクリスマスツリーが、入院中の私の心をえぐる。帰りたさが最高潮に達する。娘のプレゼントなどはもう家に届いてあって隠していたため、夫に枕元に置いてもらったが、缶バッジ作る機械で本格的やつを買ったため、使い方が難しく、娘はママ帰って来てから作るとのこと。
説明書は読んだがあきらめたらしい。
しっかりしてくれ、簡素な説明書しかない、IKEAの家具の組み立てとか今後この子は1人で出来るのか、ちゃんとなんでも読み解いてくれよ。算数の文章問題も苦手だもんな。
缶バッジグーとか日本製のおもちゃにすれば良かったけれど、大きな缶バッチ58mmを作りたかったので、海外製の缶バッジメーカーを注文。6800円くらいで缶バッチキットが100set付いてくるのでそれにした。
まさか、今年中に帰れないってことは無いよね?
お察しの通り、帰れなかったんですね。
12月28日、検査結果しだいでは……。と思っていたけれどまだ炎症値が下がりきっていないのと微熱が続いていたんですよ。この頃になると肺の痛みは、ちょっとあるかな、でも深呼吸したら痛いよ程度です。
29日から謎の高熱
29日から38.1度の熱が出始めました。点滴後から異常な寒気が3時間から4時間続いて地獄。これは院内でコロナやインフルにかかったのでは?と思いましたが、特に検査することなくカロナールでその場をしのぐことに。
次の日の30日から40度近くの高熱。寒気があり、熱が上がりきると汗が出るというのを繰り返していました。さすがにコロナとインフルの検査をしましたが、血液検査でも陰性で、看護師さんはなんの熱?と不思議そうでした。私が聞きたいよ。なんの熱なん?
31日も同様に高熱が続く。本日もインフル、コロナの検査をされるけど、関節痛もないし咳も鼻水も無かったため、ぜったいコロナやインフルじゃない確信はありました。私いつもコロナの予防接種のときもインフルの時も、熱出る前から激しい関節痛がしていて、今回一切その症状がないもの。
そして気づいたことが1つ。点滴後、必ず寒気が3、4時間続き、その後熱が上がり切り、汗をかき始めるという規則的な症状から、もしかしたら点滴が原因では?と看護師さんに伝えるが、年末当番の主治医から炎症値が高いので点滴続行の指示。お熱は様子見でーとのこと。まじか。あとから思えばこの点滴が体に入ったきた瞬間、気分が悪いんですよね、体がずーんと重くなるっていうか胃がグルグルするっていうか、それが点滴のせいだとは思わず、ここから2日ほど点滴に耐えることになります。
呼吸器内科部長から新年のお言葉。
あけましておめでとうございます。明けちゃいましたね2025年!わたしは白いベットの上にいます。
この高熱点滴のせいちゃうん?という私の意見は、呼吸器内科の先生たちに伝えられ、元旦に回診に来た呼吸器内科部長様より賜ったお言葉です。
「急に薬が合わなくなるなんてなかなか無いからねー検査は明日でいいでしょ?」
高熱に苦しむわたしは、人の言葉を聞く元気もなく、はい……としか声を発せず、3日くらいずっと39.0以上熱があるので、ずっと夢うつつな感じでありましたし、もうこのままお亡くなりになってもいいなと正直思っていました。具合悪すぎて。
胃が痛いのは病院食で年末天ぷらそばやおせちとか出たので、はしゃいで食べたせいかなって思ってました。
1月2日の朝 体が……
今日も熱が39.7度と絶好調でブイブイいわしてる私です。
いつもの点滴を入れようと看護師さんに腕を差し出した時、赤い発疹が腕全体に広がっていてビックリ。
私「なにこれ気持ち悪い!!」
看護師「わ、なにこれ!」
身体のチェックがはじまります。背中やお腹にはなく、手足にビッシリと赤い発疹が気持ち悪いくらいにひしめき合ってました。痒みはなくいつからいたの?いつから出たの?分かりませんでした。無症状だったので。
看護師「点滴の後寒くなって高熱出るかもって言ってましたよね?薬疹かもしれないですね」
ということになり、ほかの看護師さんにも見てもらい、カメラで薬疹の写真を撮影。年始担当の当番の先生に見てもらうとのこと
念の為血液検査とレントゲンを取りました。
年始当番の呼吸器内科の先生は、いったん点滴は中止して、1月3日、主治医来るので判断仰いでもらおう、レントゲンは主治医が見たらいい、私は見ないよ。とのこと。
私は見ないよ!?
せっかく撮りましたけど!?
点滴をやめた途端
高熱は出なくなりました。
まさか10日以上も投与していた点滴が合わなくなるなんて……。1月3日久々にクリアな思考で目が覚めました。
後半へ続く