母と父は、家にいるとケンカばかりするようになっていた。 ケンカの原因はよくわからない。 後に父にチラッと聞いたが、母の几帳面さ神経質さに耐えきれず、人間としての扱いを受けてない程の神経質になっていたそうだ。 人間としての扱いを受けてない程の神経質… んー私も今思えば受けていたかもしれない。 例えば、遊んで泥だらけになった靴、靴が蒸れて足が臭くなりやすい体質なので、靴が汚いと家の玄関で外靴を脱がせてもらえなかった。 外靴は、玄関の前(外)で脱いで、玄関には全面新聞紙がひいて
写真のキレイな残し方からみても、母がいかに几帳面だったのか分かる。 私の記憶の中にも、家が常にキレイで、物がとても少なくガラーンとしており、「あったかい家」といえ感じはしなかった。 それは、友達の家に遊びに行った時に感じる温度差から今も覚えている。 友達の家は、家に入るとなんか温かい感じがしたが、家に帰るとピリッとしているというか硬いというか… おそらく今思うと、母が私にも父にも几帳面さを押し付けていたことが窮屈に感じていたのもあったかもしれない。 母は、物が散らかっているの
若くして結婚した両親の間に7年越しの待望の子供が産まれた。 それが、私。 待望の子供だったためか、貧しいながらもたくさんの愛情を受け育ててもらったと思う。
はじめまして。 現在、鍼灸師として不調を治し健康で過ごす体になるサポートをしている2児の母です。 ここでは、 ・幼少期からの家庭内不和、 ・その中で、母親を約10年ほど看病をしていた過去の日々 ・そこから鍼灸師になるきっかけ ・鍼灸師となってからどのように活躍しているのかなどなど 私の生い立ちをまとめてみようかと思ってます。 ヤングケアラーが今やっと、このように言葉ができ、サポート受けられる体制が少しずつではありますが広がってきたのかな?と思います。 まだまだ足りないこと