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出産のお話2☆入院2日目・40w7d 陣痛促進の点滴

出産のお話2☆
入院2日目・40w7d 陣痛促進の点滴


AM10:00
昨日振りの分娩台へ。
バルーンは膨らんでいて、ズルリと先生が取り出した。子宮口もバルーンの大きさには開いてきているらしい。
「部屋に戻ったら点滴開始して」と看護師さんに先生が指示していた。
また子宮グリグリされた気がする。今まで何度か子宮グリグリされたけど、バルーン挿入や昨日の微弱陣痛?より全然痛くないように感じた。

AM10:30位
陣痛促進の点滴開始。
昨日の微弱陣痛が痛かったので点滴したら産まれると思い、母に1日付き添いをお願いした。

AM11:00
昨日の微弱陣痛より痛くない痛みが徐々に襲ってきた。

AM12:00
昼御飯を食べてる間も多少の痛みの並はあるものの耐えれる痛み

PM1:00
先生が来てくれたが「昨日のお昼の時の方が痛かったです」と余裕をかます私。

陣痛時に描いて知人に渡すと知人が子宝に恵まれるという逸話を描く余裕を見せる私。


PM2:00~PM6:00
余裕をかましていたからか、段々痛みが増していった。間隔も10~5分間隔に私の体感ではなっていった。
「陣痛は激痛って聞くから怖いけど、24のジャック・バウワーに拷問されてると思って耐える。」と馬鹿な発言をしていたし、陣痛を測るアプリを自分で押せていたし、夕食も少しは食べられたのでこの時はまだまだ余裕があったのかもしれない。

PM7:00
息遣いも荒くなったが、先生の回診でも「まだ大丈夫です、我慢出来る痛みかも」と答えていた。
妹も今夜付き添って泊まってくれる事になった。

PM8:00
自分で陣痛アプリを押せなくなっていた。妹に頼む。
「押して」「止めて」「押して」「止めて」
何度も繰り返す。
そして痛みで押して、止めてさえも言えなくなって
「はいって言ったら押して止めて」
唸りながら「はい」「はい」
「痛い」と泣き始める私。
よく妊娠雑誌などでテニスボールでお尻や腰を押してもらうと良いとあったのを思い出し、母に腰を押したりしてもらっていた。母は痛くて泣き出した私の傍にいて擦ってくれていたり押してくれていた。

看護師さんがナース室で胎児の心拍モニターを見ていて胎児の心拍が落ちてしまったので駆け付けてきた。
痛くて呼吸さえ忘れてしまっていた。
「はっはっはっはっ。ってしてちゃんと呼吸しないと赤ちゃんに酸素いかなくなっちゃうから」と怒られる。しようと思っても上手く出来なかったので繰返し注意される。
怖い(笑)出来なかったので看護師さんがいなくなったら「はっはっはっはっ」ではなく自己流で「ヒッヒッフー」に変えてみた、これのが楽だった。
出産で本当に「ヒッヒッフー」って言うのかな?都市伝説かな?って思ってたけど、言うわ、この台詞。って納得。


PM9:00
人生最大の痛み。もう産まれると思った。ナースコールをする。「痛くて吐きそうです」泣いていた。
「まだ間隔は産めるまでいってません、吐きそうなら洗面器用意します」看護師さんに言われる。
洗面器を持ってきてくれて、本当に痛みで吐いた。
人間って痛みで吐くんだね。

PM9:30
「耐えられない」号泣しながら吐く号泣しながら吐くという惨劇。
ナースコールをまた押す。「先生に伝えました、脱毛して子宮口確認しますね」と痛みの中、半分だけ脱毛される。これは切る時の為だったようだ。半分だけって。痛くて恥ずかしさは皆無。
子宮口チェック「まだまだなんだけどなー」と言われ泣く。

泣きながら吐き、人生最大の痛みが続いて何時間も経っていたように感じていたがほんの数時間だった。

泣きながら吐くだけではすまなくて泣き叫ぶようになっていた。大声ではないところが私らしい。
とっくにアプリ陣痛を気にするどころではなくなっていた。

PM10:00
またナースコール「耐えられません。」泣きながら訴える。
子宮口チェックしてもこの時も「まだまだ」
「そんなに耐えらないの?先生に相談します」
看護師さんが先生に伝えて戻ってきたが「点滴やめて様子見ることにしましょうとのことです」と点滴をはずされた。

朝からこの時まで500の点滴を3本していた。
点滴やめても陣痛続いて出産になる場合もあるらしい。

点滴をやめて暫くすると陣痛の間隔と痛みが減っていってしまった。
その後は寝れなかったけど、「明日も点滴すると思うんで寝て下さい、寝ないともちませんよ」と言われて白目。


こんなに苦しんでいたので私の家族は今日産まれると思い込んでいたのに予想は外れる。

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manalink
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