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2月9日の夜の食卓
義理兄家族が土日で泊まりにきていた。義母(以下もっちゃん)と姪っ子が、日曜日のお昼にちらし寿司を作ったらしい。最近姪っ子はお手伝いをしたり率先的に一緒に作りたい!という意欲がすごい。
夜、仕事が終わって帰ると兄家族はいなかった。夜寒くなる前にともう中津川に帰ったらしい。木製で、ゴツゴツしてどっしりした手触りの飯台がデデーン!とテーブルにあった。これは初めて見た気がする。かっこいい。そんな大きな飯台にはたっぷりのちらし寿司。きっと姪っ子と焼いたんだろうな。太めに切られた卵と、にんじんやれんこん。刺身醤油用のお皿に、みちみちにのせられたお刺身たちも。しかもお刺身は一人一皿ずつあるらしい。わたしはもうこれでおなかがいっぱい。
菜の花のお浸しと、さつまあげとれんこんなど根菜もたっぷり入った煮物まであった。もっちゃんは本当にいつもたくさんのご馳走を家族のために作ってくれる。メインが2個も3個も。副菜まで。しかもどれもおいしい。魔法使いですか。
遊びにきていた兄嫁(以下ゆかさん)が毎年仕込んでいる生醤油のおすそわけとワサビをお刺身にかけてまぜまぜ。ピタピタになったお刺身たちを、ちらし寿司の上にのせて食べた。
さっき仕事で帰る前に、とある人を仕事上で叱る場面があった。わたしは人を叱ることがとっても苦手。くまだくんも、得意でない。でも言わなくてはいけない場面もある。
個人的な感情であれば「人それぞれじゃん~」マインドなので基本気にすることはないのだけれど、生活や仕事となるとそうはいかないことも。
叱って、叱られてる相手の顔を見るとつらくなる。感情が伝わってきて胸も痛む。「そんななら言わなければいいじゃん」という自分と「思ったときに言わないとあとからちがったかたちに感情が膨らむよ」という気持ちをその場で天秤にかけて、後者に従った。そして経験上、気になったことは早めに言う方が、結果としてくすぶらなくて双方いい。
家族にもその話をしながら、ご飯を食べた。もっちゃんも、社会的には教育的な立場だからかうんうんと共感してくれた。義父(つねくん)は「俺は上司にはなれんな~。人を指導する!ってことはできんな~」が口癖。昨日も聞いてはくれていたけれどずっと黙々とごはんを食べていた。
叱って、自分自身も成長させてもらってるんですよね、、。と、わたしなりにまとめたところで話が終わった。
ずっと相槌してくれていた義弟(以下おさむ)が寿司用の海苔を持ってきて、パリパリやぶって飯台のお寿司にのせだした。ちらしと海苔を最強。その音と、おさむともっちゃんの「多い?これ多い?」「お寿司隠れそうやで、もういらんじゃない?」というケタケタした掛け合いが心地よかった。
ちょっとモヤモヤしたことも、「あれでよかったんかな~」みたいなことも家族に話すとスッキリする。答えなんかなくても、別にいい。
そしてなんとここに書ききれなかったメインがもうひとつ。これはさすがに次の日に。ドーナッツのような不思議なかたちをした甘辛そうな、なにか。なにかはわからないけど、絶対に白いご飯に合うはず。ちらし寿司とその子じゃ、どちらも主張してきっともったいないことになるので明日に持ち越し。甘辛いなにかはできたてもおいしいけれど、ひと晩置くとさらにおいしくなることをわたしは知っている。
食事が終わって、まだまだちらし寿司は飯台に残っていた。お米を2回炊いて、半分は義理兄家族にもたせたらしい。もっちゃんほんとうにすごい。何合炊いたんだろう。この日はわたしが洗いものを買って出た。
飯台の周りに散らばっているお米たちをしゃべりながら真ん中に集めて、丸く集められたちらし寿司の上には蓋がかぶせられていた。少し高さのあるアルミの鍋蓋。規定の蓋ではないのに、妙に合っててなんだかいい感じ。とっても愛しい。蓋のポテンシャルが発揮されてていい。
気温も低いしそのままテーブルの上に。
満腹になって、世界では本当にいろんな悲惨なことがあっているけれど我が家は今日も幸せです!と食べ終わってつい叫んでしまった。みんな笑ってた。
次の日になって、叱った自分の言葉を反芻した。発した言葉はまた、自分に返ってくる。今夜は甘辛いドーナッツのメインを食べるぞ~