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味覚にまつわる生理学的意義の矛盾

 生理学実習で「味覚」を取り扱う意義について考えていきたいと思います。九歯大の学生さんにとって、本記事は実習後レポートのヒントになりますので、しっかり読み込んで欲しいです。(小野堅太郎)

 そもそも「味覚」とは何でしょうか。感覚とは、生物個体が環境に適応して生きるために必要な神経システムです。アナログに外部情報を受容し、末梢神経系に入ったデジタル情報が、シナプスを介して再度アナログ化されて、中枢神経系でデジタル化された情報を統合します。味覚は、口腔内の味蕾構造の味細胞が味質を化学受容して、膜電位変化に応じて神経伝達物質(おそらくATP)を放出して味神経(鼓索神経、舌咽神経、大錐体神経)で活動電位を発生させます。この情報は脳幹の孤束核に入り、グルタミン酸などの神経伝達物質を介して情報伝達されます。そして、視床後内側腹側核小細胞部から大脳皮質の一次味覚野を経由し、二次味覚野にて視覚や聴覚情報と統合されて味覚を感じるわけです。本実習では、「味の強度」と「基本味」という制限された質問に対して、下行性の神経系と運動系を駆動させることにより言葉や身ぶりを通して、LMSから数値化されたものがグラフ化されているわけです。

 果たして、このシステムは何のために我々の身体の中に備わっているのでしょうか。

 塩味はナトリウムイオン(Na+)が受容(ENaC)されて引き起こされると考えられています。Na+は体液の浸透圧バランスの調節に不可欠のミネラル成分で、細胞の正常形態維持に関わっています。少なければ浸透圧が下がって細胞が膨らみ、多ければ浸透圧が上がって細胞が縮みます。ですので、血中Na+濃度が低いときは塩味を好み、血中Na+濃度が高いときは塩味を嫌います。このような好き嫌いには扁桃体という脳領域が関係しますが、血中Na+濃度のモニターは脳内の脳室周囲器官と呼ばれる領域が関与していることが示唆されています。つまり、塩味とは体液浸透圧調節のために必要なわけです。

 甘味は単糖(グルコース)か二糖(麦芽糖、ショ糖)が受容(T1R2/T1R3)されて引き起こされると考えられています。糖(グルコース)は細胞のエネルギー源とされるATPを作るのに必要な成分です(解糖系、TCA回路・電子伝達系)。ですので、糖をたくさん摂取することは生体の生存に有利に働きます。そのため、ヒトは単糖か二糖を含むものをに対して積極的な欲望(快楽)を得るように神経回路が組まれているわけです。

 旨味は、種々のアミノ酸や核酸が受容(T1R1/T1R3)されて引き起こされると考えられています。細胞機能を発揮させ、細胞分裂により新たな細胞を作るためにはアミノ酸や核酸が必要です。ですので、糖と同じく、アミノ酸や核酸をたくさん摂取することは生体の生存に有利に働きます。そのため、ヒトはアミノ酸や核酸を含むものをに対して積極的な欲望(快楽)を得るように神経回路が組まれているわけです。

 苦味は、様々な身体に有害性を起こしかねない物質が受容(T2Rs)されて引き起こされると考えられています。物質により個人差が大きいです。これは身体に取り込みすぎると「毒」となりますので、ヒトは積極的な忌避(嫌悪)を得るように神経回路が組まれているわけです。

 酸味は、組織変性や歯を溶かしてしまうプロトン(H+:水素イオン)が受容(Otop1)されて引き起こされると考えられています。腐敗物や未熟な果実にはH+が多い(pHが低い:酸性)ですから、これらを検出すると生体の生存に有利に働きます。これもまた、ヒトは積極的な忌避(嫌悪)を得るように神経回路が組まれているわけです。

 こういった個体生存上有利な働きについて理由付けしたものを、「生理学的意義」といいます。勘違いしてはいけないのは、生理学的意義とは科学的な裏付けのない「研究者が空想して勝手に考えたもの」であるということです。こういうのを「目的論」といって、アリストテレスが用いた自然現象の納得法です。授業でもこのようなことを教えているのですが、間違いと矛盾だらけです。こういうことを言うと、学生さんたちは混乱してしまうのですが、大学で習うことなんて、ほとんどは後に間違いとして否定されてしまうものばかりです。

 上の「受容」の後に括弧書きで受容体分子名を書きましたが、「今はそう考えられている」というだけで、まだ確定しないものもあります。酸味受容体なんてこの10年でASIC→HCN→PKDL→Otop1と変遷しています。旨味・旨味受容体もようやくT1Rsが確定してきましたが、他の受容体分子の関与も報告されています。塩味もENaCと言われていますが、まだ確定的なものではありません。

 多糖体であるデンプンは消化過程でアミラーゼにより二糖まで分解できるので、ATP合成に有利に働きます。ならば、デンプンも甘く感じてもいいわけです。なのに、小麦粉を甘く感じませんよね。ネコとかは甘味を判別できません。でも、ネコは生きているわけですから、甘味は個体生存に必須の神経システムとは言えないはずです。

 旨味は近年新しく加わった基本味ですが、齧歯類(マウス・ラット)は甘味と旨味を区別できません。両方とも快楽系に繋がる神経回路なわけですが、なぜヒトは区別するのでしょうか?そもそも5基本味と言っていますが、10年前まで4基本味であったし、今後、6基本味、7基本味となる可能性が高いです。

 苦味受容体は、ヒトゲノム解読時は200ほどあると言われていました。時と共に、どんどん減っていって今は20種類ほどです。毎年、実習のたびに数を調べないといけません。「身体に有害性を起こしかねない物質」つまり「毒」と一般的に言われている物質のことですが、どうやって我々は「毒」を検出する分子情報を遺伝子に得ることができたのでしょうか。初めにランダムにたくさんできて、進化の過程で無くてもよいものは偽遺伝子化した、という考えは納得いきません。

 生理学的意義において「有利に働いた」という言葉は、魔法のワードです。生理学的意義について説明すると、学生さんはみんな納得するのですが、小野は説明しながら「全く納得していない」のです。それで話が長くなって、学生さんたちが悲鳴を上げます。

 「納得する」はマナビではなく「思考の停止」です。小野は「もう考えるのをやめた」とき「納得しました」といいます。院生との実験結果の議論あとに「納得できた?」と聞くと、笑顔で「理解できました」というと、「この優等生が!」と怒ります。「ほほう」と納得感が出てきたら「え?本当に正しいの?」と考えてもらわなければいけません。院生が私の考えに否定的に噛みついてきたときに「いやーすばらしい!」と感じます。

 味覚はまだ何にもわかっていないのです。結果として出てきた班員全体のデータと個人のデータを見比べてみると、結構、違っているのがわかるはずです。それはなぜなのか?違うことにどのような意義があるのか?といったことを、グラフから導かれる結果に対して「考察」してほしいのです。こんなポジションからレポートを書いてくれると、いい点をつけます。

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