ウルティマオンラインと荒野行動に学ぶ:バーチャル新時代の生き方を考える①
荒野行動というオンラインゲームにハマってしまい、寝不足の日が続いている。45歳にもなってスマホのゲームにハマったわけだが、子供たちとのコミュケーションの場にもなっていて悪くない。このゲームを通して、考えることがあったので書き残してみる。(小野堅太郎)
Windows95発売に端を発するパソコンの普及とインターネット利用により、企業や個人のホームページがかなり利用されるようになった1997年、「ウルティマオンライン」というゲームが発売された。中世騎士ファンタジーを世界観とした広大なバーチャルマップの中で、インターネットを通じて繋がったユーザーが協力してゲーム内の課題をクリアしていくものである。当時学生だった小野は、同学年の友人数人でパーティーを組んで、かなり頻繁にゲームにハマりこんでいた。
この時代、まだインターネットは安いものではなかった。接続するために電話(モデム)をかけて「ピーゴロゴロ」という接続音の後にようやくインターネットが使えた時代。現在の常時接続状態を維持するためには月数万円の支払いを覚悟しなければいけなかった。しかし、大学にLANが配線され、「ME研究会」という謎の部活の部員になれば、学内LANからネットワークつなぎ放題となる情報を得て、数人で入部した。
「ウルティマオンライン」というアメリカ発のオンラインゲーム。いまでこそオンラインゲームは当たり前だが、同時は珍しかった。音声会話などできない。日本語文字も使用できない。よって、知り合い同士で繋いだ場合はローマ字での日本語会話、外国人と繋がった場合は拙い英語で会話しながらゲームを進めていた。一緒に苦難を超えながらクリアするとちょっとした「友情」が芽生えて、会ったこともない人と時間をあわせて次回も一緒に遊んだりしていた(一人は直接会ったこともある)。
ある時、事件が起きた。大学の友人4人で部屋に集まってプレイしており、一人魔術師を外部の初対面のプレーヤーと組んでいた。ゲーム課題をクリアして街に戻っている最中、いきなりその魔術師が我々を攻撃し始めたのだ。「HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA」と高笑いと思われるテキストが画面を覆う。「PKだ!」と一人が叫んだ。Player Killerの略である。我々は一気に全滅し、これまでに獲得したアイテムを失った。人生で初めて「裏切られる」を学んだ瞬間だった。次第に、PK狩りなどの対抗チームもできたりして、盛り上がりを見せた。我々は勉強が忙しくなってみんな辞めてしまった。
さて、20年がたった。パソコンではなく、スマホやゲーム機が主体となっており、オンラインゲームはあたりまえ。NETFLIXで「ソードアートオンライン」というオンラインゲームを舞台にしたアニメがあり、頑張って観てみた(100話ほどある)。第一シーズンは、まさに「ウルティマオンライン」であった。第2シーズンは銃を取り扱う世界であり、今回の「荒野行動」の世界の元ネタである(その元ネタは押井守監督「アヴァロン」)。
「荒野行動」ではオンライン上でユーザーが100名集められると、全員ヘリコプターに乗り、仮想の島へパラシュートで任意に降り立つ。ランダムに屋内に配置された銃器、防具、爆弾などのアイテムを装備し、撃ち合ったりして最後の一人になることを競う。1名(シングル)だけでなく、2名(デュオ)、4名(スクワッド)、5名(クインテット)でチームを組んで、最後の生き残りチームを目指すモードもある。家族や友人とチームを組んでも面白いが、全くの赤の他人と組んでも面白い。
敵はプログラムではなく、実際の人である。熟練したゲーム操作をリアル世界で獲得し、運よく良いアイテムを入手した者が有利に立つ。レベル上げなどなく、実の熟練が要求される。相手は小学生かもしれないし、私のようなおっさんかもしれないし、どんな人かよくわからない。プレーヤーの実力のみが試される。シングル戦闘は腕を磨くのに有用で、自分が打倒された後、そのプレーヤーの視点に移って、最終的に1位となる者を見て勉強することもできる。そうやって如何にして生き残るか、どういった動きで敵を倒せるかを勉強できる。ゲームという制限された世界の中で各プレーヤーがしのぎを削っている。
「ウルティマオンライン」と大きな違いを感じたのは、チーム内同士での戦闘が不可であることだった(つまり、PKがいない。というか、シングル対戦ならみんながPK?)。そして、会話の用語がゲームを行う上で最低限しか用意されていないため、Twitterとは違って暴言など吐けない仕様になっている(スピーカーONにしてたらある)。ゲーム内で衣服などを買うことができるが、それ自体はアイテムの機能をアップグレードするものではないので、あくまでもファッションである。実社会のお金をつぎ込んでも、ゲームキャラクターの能力が上がるわけではない。すなわち、実社会とは完全に別物の世界が出来上がっている。
これらオンラインゲームにおけるバーチャルコミュニティー感覚は、とても一般のSNSでは味わえない。SNSにけるテキストベースのやり取りでも友情や怒りが生まれるが、その比ではない。ゲームでは、外部の人との交流を踏まえて課題をクリアする。達成や失敗といった「体験」が、遊ぶ者の心を揺さぶる。ただし、あくまでも今のところバーチャル界でのみ成立しており、決してリアル界には踏み込んでこない(いまのところ)。
さて、オンラインゲームとSNSは体験型SNSとして今後融合して、普及していくかもしれない。「ウルティマオンライン」はその原型となるだろう。プレイステーション4にヘッドマウントディスプレイを接続して遊んでいるが、初期の頃「バットマン:アーカムVR」という短いゲームをやった。ゲーム自体は語らないが、ラストのジョーカー登場のムービーシーンは、これまでにない狂気をリアルに感じることができた。逃れられない恐怖に立ち尽くしてしまった。このような体験システムがSNSに取り入れられれば、バーチャル世界での新しい活動(部活のようなもの)、学校、ビジネス、宗教が生まれてくるに違いない。前述の「ソードアートオンライン」やスピルバーグが映画化した「レディプレーヤーワン」では、リアル界に踏み込んでくる。これは空想ではなく、いずれやってくる未来を予言している。
現在のSNS界隈でも、なんだかんだ言ってリアル世界に良い影響も悪い影響も及ぼす。困ったときや寂しいつぶやきには、皆が励ましてくれてリアル世界で気持ちを切り替えれるが、調子に乗ると非難を浴びる。ビジネスに利用して成功する人もいるし、気軽に参入して逆に批判を浴びて収益を下げてしまうこともあるだろう。未来の体験型SNS、バーチャル世界もリアル世界と繋がるはずだ。若い人たちは、生き抜くためにもSNSとオンラインゲームをやらなくてはならない。
そういったわけで我が家では、子供たちが強制的に「荒野行動」をさせられている(試験前は禁止)。次回は、このバーチャル新時代では「組織」ではなく「個」が重要となってくるという話をします。
全記事を無料で公開しています。面白いと思っていただけた方は、サポートしていただけると嬉しいです。マナビ研究室の活動に使用させていただきます。