人が自分自身であるという方向性

ヒーリング、トラウマケア、トランスパーソナル心理学、仏教思想、寺、スピリチュアリズムなど、やってることの共通点と、その段階がなんとなくわかるのだけど、うまく言葉にできない。
ケン・ウィルバーの思想が一番しっくりくるんだろうが、じゃあそれを一般のさまざまな問題に適用しようとした時に、あまりにも複雑化しすぎている。
今日、気になったのは4つ。
一つ目、「覚醒の真実」を書いておられる清水友邦さんのFacebookでの2022年10月15日の投稿。病気が敵で、死が敗北だという慣習的思考に支配されているということ。
まさにそうなんだ。肉体があるからこそ、そういう慣習が出来上がるのだ。いわゆる健康神話というのを言われているのに、健康ということにとらわれて、苦しみを作り出してしまう。
たしかに健康ではないと不自由だ。しかし、問題は、その肉体が健康でないということは、自分にとってどんな意味があるかだ。肉体の健康と同様に精神の健康も同じことだ。
一時期、アメリカの精神科医ブライアン・ワイス博士の「前世療法」が爆発的なブームを引き起こした。読んだ人もいると思うが、キャサリンというクライアントの精神の不調がなかなか治らず、催眠療法で突然、キャサリンが催眠下で「過去世」を再体験し、現在の精神の不調が癒されていく実話だ。
やはり精神の不調が日常生活に不具合をきたすから、キャサリンは精神科医を訪ねたわけだ。その訪ねるプロセスがパズルのように関連しあっている。過去世があるなら、これを過去世のカルマという解釈をすることもできる。

二つ目は、たまたま今日、「癒す人の教科書」本郷綜海著を手にとって読んでみる気になった。
著書の方が、右肩上がりの会社を手放し、やがてバーバラ・ブレナン・ヒーリングスクールで「スピリチュアル・ヒーリング」を学ぶことになった。そして、さまざまな人をヒーリングし、その方がの人生を良きものにしていかれている。
本郷さん曰く、人はエネルギーであるということ。でもそれをうまく扱うことを知らないから、さまざまな問題が生じるということだ。エネルギー状態が整えば、本来の自分になれる。できるなら、僕も、バーバラ・ブレナンのスクールに行ってみたいと思った。

三つ目は、トランスパーソナル心理学。最近、諸富祥彦さんの「トランスパーソナル心理学入門」を、読み返している。
諸富さんは、最近EAMA (体験‐アウェアネス‐意味生成アプローチ)の理論についての本を出された。諸富さんの人生を賭けた本らしい。「トランスパーソナル心理学入門」は、その萌芽を感じる。
諸富さんの魂の理論とも言える流れがある。その思想の背景には、しっかりとした心理学の理論、ご自身のカウンセリング経験からくる臨床心理学、少しの仏教のエッセンス、CIISで学ばれたトランスパーソナル心理学理論が統合されオリジナルなプロセスを作られている。

そして4つ目は仏教。
仏教が教えてくれる、修道論。
ブッダが悟った真理からみた人間。
それが、地理的、時間的、人間経由的なものを経ていまに伝わってきている。
でも形骸化したものだけに満足して、人はその真理そのものに近づくには程遠いものになってしまった。
日本に至っては、表面的な派の違いで、何が仏教か分からなくなってしまっている。
しかし、根本は、私がいったいなんなんだということを顯かにし、悟りに近づくことにより、自分自身と他の人々を気づかせることだろうと思う。

これら四つが別々に何かをやっている。
一部では、それらをうまく使い分けることができる人もいる。

なんとかそれを同じ場所で扱えないかということを考えているのだが、なかなか言葉にできないし、それを現実化することができない。
自分がそれらを、全部マスターしてればいいのだが、そうはいかない。

一方が他方を批判することで、自分の優位性を主張することだけでは、それこそエネルギーの無駄使いだ。

人がそれまでの慣習や思い込まされたことや、自己中心的なことから解放されて生きることができれば、どんなにか素晴らしい世界になることだろう。
そうではない部分もあるが。

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