【開催報告】甲羅文庫の哲学室/第3回「遅さの哲学〜世界は「遅さ」でできている〜」を終えて
2024年8月25日(日)、甲羅文庫の哲学室にて「遅さの哲学〜世界は「遅さ」でできている〜」というテーマでお話しさせていただきました。
顔なじみの人、人から紹介されて参加した人、ご近所の人、ランニングの途中で立ち寄った人、「遅さの哲学なので遅れてきました」という人など(笑)、今回もいろんな背景を持った方々が集まってくれました。
最初に全員で簡単に自己紹介をしてから、今回のテーマである「遅さの哲学」について、40分ほどお話させていただきました。
そもそも、この会場である「甲羅文庫」さんのモチーフは「亀」。そして運営されているのはkamebooksさん。
亀と言えば、遅さの象徴。
そんな場所で「遅さの哲学」をやるというと、「ああ、亀にちなんだんですね」と思われるかもしれませんが、これ、本当にただの偶然なんです。
kamebooksさんから「次のテーマ、どうします?」と聞かれた時に、以前からぼんやり考えていた「遅さ」というテーマを思い出して、「遅さの哲学とかどうですかね?」と提案したのでした。
それからしばらくしてから、ふと「甲羅文庫で遅さの哲学って、運命やん」と思った次第です。
これぞ「神の采配」ならぬ「亀の采配」。やばいですね!
冒頭では、「速すぎてはいけないこと、遅いほうがいいことって、実はいっぱいありますよね」という事例をいくつか取り上げて、そこからベルクソンの時間哲学の内容に入っていきました。
いやー、これがまた面白いんですよ。理屈を突き詰めて追っていくと、ものすごくむずかしい気がするんですが、直観的になんとなく理解できる気もする。
そして不思議と、そういう内容のほうが、具体的な日々の生活と、直接的に結びついていたりする。そこに活かすことができる、ような気がする。
そのせいか、「遅さ」という視点から見た「被災地の復興」、「下町の再開発」、「これからの働き方」、「親の介護」、「福祉の現場の話」など、どこまでも話題が広がっていきました。
そもそも、人間が「生きている」ということは、「死ぬのが遅い」ということにほかなりません。何でも速い方がいいのなら、生まれた瞬間墓場行き、が正解です(笑)。
どうせなら、その「遅さ」をしっかりと味わい、楽しみたいものです。
ちなみに、この「遅さの哲学」はシリーズで続ける予定です。
次回はたぶん、速度の「速さ/遅さ」と、視野の「広さ/狭さ」をテーマにしながらの人生論みたいな内容になる気がします。しらんけど(笑)。
でもきっと面白いですよー。何と言っても、答えがないんですから。
参加してくださったみなさん、そしていつも素敵な場所を提供してくださっている甲羅文庫さん、今回もありがとうございました!次回もよろしくお願いしますー!