カナダの会計税務スタートアップBenchのサービス停止と買収について
2024年12月27日にサービスを突然停止したカナダの会計税務スタートアップのBenchが、12月30日にカリフォルニアのHRスタートアップEmployer.comに買収され、サービスが復旧したというニュースが話題になっています。
スタートアップの信用リスク
Benchはこれまでに1億ドル以上を調達していましたが、最終的に資金が枯渇したようです。大企業でも倒産リスクはゼロではありませんが、資金力で不利なスタートアップでは、こうしたリスクが特に顕在化しやすいことが改めて浮き彫りになりました。
私自身も過去にとあるスタートアップが作ったサービスが素晴らしいので、社内でサービスを導入しようとしたのですが、当該スタートアップの信用力について反対意見が出て導入を断念したり、スタートアップ側でサービス拡大に取り組んでいた時に大企業から信用力を指摘され導入を見送られたりと両方経験しています。
今回のBenchのケースは日本で言えばfreeeやマネーフォワードのような会計クラウドサービスプロバイダーのサービスが急に終了する事態でした(すぐに復旧しましたが)。会計関連の帳簿は会社法で作成保管が義務付けられている書類のため、これにアクセスが出来なくなる事態は会社運営の根幹に関わるものです。
会計税務だけでなく人事情報や営業情報を取り扱う新規サービスが次々と生み出されている状況の中で、スタートアップのサービスの質とスタートアップの信用力の確保はサービスの深化に伴いますます重要になっていくと感じました。
Benchの差別化戦略と課題
Benchは、単なる記帳や申告書の自動化にとどまらず、専任チームが取引内容を確認し財務諸表を作成するという差別化を図っていました。また、リアルタイムで専門家に相談できる体制を整えることで、競争優位性を持っていた点も特徴です。
しかし、こうした高付加価値サービスには固定費が伴います。Benchのクライアント数は公式には35,000社とされていますが、報道では実際には12,000社程度ともいわれており、損益分岐点に到達していなかった可能性があります。この事例は、自動化サービスに人間の付加価値を加えるモデルの難しさ、特にコストと価格設定のバランスの課題を示しています。
最近の会計サービスは、銀行口座やクレジットカード情報をAPIで会計ソフトと連携させ、基本的な仕訳を自動作成する機能を標準的に備えています。さらに、請求書や人事給与データ、経費精算、他の台帳との連携など、かつては人手が必要だったデータ処理も大幅に自動化され、効率化が進んでいます。
大企業にはIFRSや多通貨対応など複雑な会計基準への対応が求められる一方、Benchがターゲットとする中小企業では、社内リソース不足を補う通常業務のサポートが主なニーズです。このような状況下では、次の2つの課題が特に重要となります。
業種や業態を考慮したイレギュラー取引の自動仕訳の精度向上
直感的な操作を可能にするUI/UXの向上
ただし、これらを実現するのはどちらも高いハードルです。そのため、Benchが選択したような「人間による手厚いサポートを組み合わせた戦略」は、中小企業のニーズを満たす上で合理的な選択といえるでしょう。おそらく通常の会計ソフト提供企業よりも多くの人員を抱えた結果、固定費が増加したと考えられます。
専門家とタイムリーにやり取りできる点はユーザーにとって魅力的ですが、会計ソフト自体がコモディティ化している現在、料金が少しでも高いと「他社で十分」と判断される可能性が高まります。このため、十分な売上を確保するには至らなかったのではないかと推測されます。
36時間での買収合意
Employer.comのCEO、ジェシー・ティンズリー氏は休暇中にBench閉鎖のニュースを知り、28日午後にはBenchの関係者と接触。30日朝までに契約をまとめたとされています(記事によれば36時間で合意)。この短期間での合意は、法人に付随するリスクを引き継ぐことが難しいため、事業譲渡の形式を採用した可能性が高いと考えられます。ただし、通常の買収プロセスで必要なデューデリジェンスをどのように進めたのかは注目すべき点です。
Benchの株主は事業停止の数週間前から事業売却を模索していたため、基本合意書のひな形やDDパッケージを事前に準備していたのかもしれません。そうした準備がなければ、週末だけで契約をまとめるのは極めて難しいでしょう。それでも、週末の短時間で論点を整理し、議論を重ねて合意に至ったEmployer.comのチーム(外部アドバイザーを含む)の対応力は驚くべきものです。
最後に
日本でも、近年の金利上昇や投資家のリスク許容度の低下により、スタートアップへの資金供給が厳しくなりつつあります。この影響で、資金繰りに苦しむ企業が増え、事業モデルが不安定だったり収益化が遅れていたりするスタートアップが、投資家に十分な価値を示せないリスクも高まるでしょう。その結果、低バリュエーションで買収されるケースが増加する可能性があります。
今回のBenchの事例は、スタートアップにとってリスク管理や事業モデルの持続可能性を見直すきっかけになるかもしれません。資金調達への過度な依存を避け、早期に収益性を確保する戦略や、環境変化に柔軟に対応できる体制の重要性が改めて問われています。これから日本のスタートアップエコシステムがどのように進化するのか、引き続き注目したいところです。