otonaの発達/今こそ変革の時。
世界はコロナ禍の嵐だ。 今回の件で色々学ぶこと、気づくことは多い。「大人が発達すること」が大事だと…本当に大切だと常日頃から思っているが、コロナ禍によってもたらされている現状に対する大人の捉え方、向き合い方、対応力を見てると・・・いや、かなり「他人事」だなって思う。やっぱり、大人が発達することの大事さを感じている。
緊急事態宣言対象地域ではないのも関わらず、 学校を休校にした沖縄県。(複数の離島除く)生徒いないし、新学期準備はほとんど終わってるのに…教員を出勤させている、矛盾。課題作成?家でできますやーん。休校の意味は?教員も密を避けた方がいいんじゃなかろうか。そんなことをビシッと言えるようなリーダー…いないのかな。
【禍中にいる自分に気づかない大人】
自分達は「大丈夫」なのか。「対象外」なのか。
いずれにしても、コロナ禍の自粛要請と学校現場が結びついていない。それは、今の現状を「自分達も含めた課題」であると認識していないという認識の甘さを感じさせてしまう。
やっぱり、こんな時によく分かるなー。大人の発達の大事さ。含んで超える。コロナのことも「自分の外側で起こっている出来事」だと捉えている人と「自分の内側で起こっていること」として捉えられる人とに見事に分かれる。めっちゃ、分かるな。いかに大人こそ発達が必要か。
こういう時の大人の行動や判断って、子ども達・・・見てると思うんだよなー。休校中に出歩く生徒に「なんのための休校だ!」って注意したとしても「いや、先生こそ家で仕事しろや」って言われたら・・・私だったら返す言葉もなく、「そりゃそうだ」と笑うしかない。子ども達はいつだって矛盾をつくのがうまい。そして、考え方がシンプルだし、常に本質を感覚で捉えている。
大人は、常日頃子ども達に「考えろ」「臨機応変に動け」と要求する割に、こんな時にも「いつも通り」で新しいことを生み出すこと、一歩踏み出すことを躊躇する。
【今までのやり方から脱却せよ】
この状況、意味分かってる人どれだけいるのかな?目に見えないウイルスが人から人へ。で。今のところワクチンないよ。ワクチンどころか、コロナに感染してるかどうか全員検査できるような状態でもないし。
沖縄はまだ大丈夫・・・?いや、今だからこそ自粛する必要があると思うんだけど。教員のリモートワークを良しとしない教育現場の闇。やばし。
なぜ、それをしないのか。公務員としての責任?
いや、今回ばかりは出勤してクラスターを生む方が批判でると思う…。多くの会社が損失覚悟で営業自粛やリモートワークを決断している中、生徒いないのに!授業ないのに!学校の職員室で仕事しなきゃいけない重要度って低い。学校でじゃないと・・・っていう決定打がない。
古い体質?固定概念?ここらへんで、「なぜ、黒板で授業する必要があるのか」考えてみません?
こういう時、学校ごとのプラットフォームがあればいいよねー。生徒がアクセスして、授業や解説動画見れるみたいな。
コロナが終息してからも登校しないで、オンラインでやればいいじゃん!ということが言いたいわけじゃなく、今回のコロナ騒動で登校できないような状況がつくられてしまっていて、今までのやり方では教育を届けられない、という現実をきちんと受け入れて、じゃあそんな状況でも子ども達に教育を届けるためにはどうしたらいいのか?
ということを考えていく必要がある、ということが言いたいのだ。
そして、何よりその「考えること」は家でできる。今は何より自粛だよ。教員こそ自粛だよー。だから、リモートワークもやってみよう。今までやってみたことない?だからこそやってみる。
【新しい時代はもうすでに始まっている】
今まで気づいていたけど、見てみぬふりしていたこと。今まで気づかなかったけど、改革した方がいいこと。アイディア出し合って、みんなでいい循環にしていきませんかーー?
休校だって、とりあえず2週間。そう、とりあえず。だから、もしかしたら一年間ずっと、それこそワクチンできるまで休校かもよ。その可能性を否定できないのが現状だ、ということも受け止めないといけない。
だから、「終息」をただただ待ってても意味がない。考えながら、必要なアクションをおこしながら、待つ必要がある。ただ、待ってても世界は何も変わらない。むしろ、コロナが終息してももう元には戻らない。終息した先は新しい時代で、(いや、とうに新しい時代は始まっていた)今まで通りなんてこと…今以上に通用しない世界が待っている。
だから、今この状況に真剣に向き合う。こんな時の乗り越え方を考える、工夫する。柔軟な姿勢を学ぶ。変革を選択する。今まで考えなかったこと、今までやってこなかったことをやる時……今。
大人が発達しない世の中は、色んなことが難しい。大人が発達する世の中は、本質がクリアでシンプルだと思う。そんな世界を生きたいよな。