子どもの自己肯定感を育みながら自分の自己肯定感を育てている、という偉業
ある日、娘にこういう質問をされた。
「ママ、小さいころに、大人に褒められたことって、どんなこと?」
小学校の授業で、先生から同じような質問があったそうだ。
道徳の時間だろうか。子どもたちからさまざまな答えが出て面白かったという。
だから私にも聞いてみたいと思ったようだ。
「う----------ん・・・」
「そうだなあ---------」
「待ってね、思い出すから・・・」
驚くほど、出てこなかった。
もちろん遠すぎる昔だから記憶も朧気だ。
やっと一つだけ、中学生の頃、担任の先生に褒められた内容が出てきた。
その先生はとても真っすぐな人で、私が高校の志望校に落ちた時、わざわざ我が家に来て泣いてくれた。
今はもう会う機会がないけれど、今でも大好きな先生だ。
他にもあっただろうに、褒められた記憶は消えてしまったのかな。
とても大切な記憶であるはずなのに。
それとも褒められたこと自体、ほとんど無かったのかな。
あまり言う事を聞かない子だっただろうから、それも仕方がないのかもしれない。
そんなことをいろいろ考えていた。
今は「子どもを褒めて育てよう」というのが当たり前になっているが、数十年前、私たちが幼少期の頃はどうだっただろうか。
私が地方の出身だからかな。体罰は当たり前だったし、あまり褒められた覚えもない。
クラスで褒められる子はいつも決まっていて、先生のお気に入りだった。
そんな私がいざ子育てするとなったとき、世間は「子どもは褒めて育てましょう」「体罰は言語道断」というのが当たり前になっていた。
ややパニック状態で泣きじゃくる子どもに、言い聞かせるのは本当に大変だった。
頭にカーっと血が上った事が何回もある。
でも、小さな体を大人の手で痛めつけるなんて、考えただけでも恐ろしすぎたから、理解できる言葉を選びながら、抱っこしたり、おやつをあげたり、何が正解か不正解かわからないままに、なんとかやりぬいていた。
幼少期、褒められたことが少ない人間は、自己肯定感をどう育んでいけばよかったのだろう。
ましてや女性の場合、女性というだけで、話を聞いてもらえないこともあった。
大人になってからも自己肯定感について語られることが多いのは、それを幼少期に育むチャンスが少なかったことが原因、という考え方もできる気がする。いや、それだけが原因ではないかもしれないが。
家事と育児と仕事と自分、そしてパートナー。
毎日が嵐のように過ぎていく中で、子どもの自己肯定感を育みつつ、自分自身の自己肯定感も育てている私たち。
自分は幼少期に経験することは少なかった「褒めて育てる」を、手探りであっても理想に向かって実行し続けている。
なんだかもっと、「自分、よくやってるなあ」と自画自賛してもいいのではないかなと思ったりするぞ。