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子離れとは自分を解放することか
お腹に命が宿っていることを知った時から、自分の世界が「自分だけ」ではなくなった。
お腹にいる頃は体調や栄養管理に気を遣って、病院で測る心音にホッとする。
出産と言う大事業を終えた後は、2時間おきの授乳。
動くようになったら部屋から危ないものを排除し、常に目を光らす。
幼稚園・小学校に入ってもお友達とはうまくやっているか、発達はどうか。
こんな具合で、人生の真ん中に「自分」よりも「子ども」がいた。
2時間おきの授乳をしていたころに比べると、少しずつではあるが確実に手をかけることは減り、「ああ、ちょっとだけ楽になったかも」とホッとする。
しかし一方でそれは子どもが自立する準備にほかならない。
少しずつ、必要とされなくなっていく。
いや、正確に言うと「手をかける→気をかける」への変化であって、存在そのものはずっと大きなものとしてあり続けられるかもしれないのだけれど。
子どもが幼いころから、どうしたら上手に子離れできるようになるだろう、と考え続けてきた。
そもそも子離れするというのは、どういう状態だろう。
そして自分なりに「自分自身の人生を真剣に歩むこと」なのかもしれない、という答えに行きついた。
起業したのもその理由のひとつ。
自分がずっとやってみたかったことを全力でやる。
それによって自分の世界を創る。
そうすればきっと子供たちの人生に過度に関わろうとはしないだろうし、自分が夢中になれるものがあれば、たとえ子どもたちが巣立っていったとしても、寂しさに潰れることもないだろう。
それに加え、最近思うのは「子離れとは自分を解放すること」かもしれないということ。
自分に還るために、自分のことを開放していくこと。
「親として」「母親として」と自然に固めてきた鎧を、薄皮を剝ぐように解放していくこと。
自分はどんな人間なのか。
自分は何が好きなのか。
自分はどうありたいのか。
それをひとつひとつ考えて拾って、少しずつ「自分」という「個」に還っていくことによって、上手に子離れできるのではないのかなと思った。
これがまた面倒な作業なのだし、自分に還ったところで待っているのが素晴らしいものばかりではないのかもしれないのだけど。