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西表島(いりおもてじま) 御嶽(うたき)参り⛩

2022年5月15日に沖縄は本土復帰五十年の節目を迎えました。
私は今から25年前に1年ほど西表島に住んでいました🌈
沖縄は戦跡も多く、悲しい話しもたくさんあります。
25年前に西表島に行った私は、そのことを知り、心を痛めました。

私が西表島にいたときに、両親が私に会いに来てくれたことがありました。
父は15年ほど前に亡くなりましたが、最近母に、父と母で西表島に行った時に神主の父が御嶽(うたき)にお参りしていたと聞きました。

この話しを聞き、私も父がかつて巡った西表島の御嶽をお参りしたいと思いました😊
私は言霊学を学びお伝えする活動をする中で、日[霊] の本(日本)と、琉球そして西表島の和合・調和を御嶽をお参りしながら、祈りたいと思いました。
沖縄の御嶽と、神社との違いについても知りたいと思いました⛩

このような意図を持って、2022年5月下旬に私は西表島に行ってきました⛴

まずは半年ほど小中学校に勤務していた船浮という集落に赴き、その際に船浮御嶽をお参りしました。

次は日を改めて、レンタカーを借りて、御嶽をお参りすることにしました。
その地に赴けば導かれるのではと思い、事前に下調べはしませんでしたが、有難いことに御嶽をお参りするための情報を知ることができ、西表島に詳しい方が同行して娘さんと共に案内してくれました。

また、御嶽をお参りすることが、失礼に当たるし、怖いことではないかとの、意見も聞きました。
このような意見を伺い、私の中で、再度意志と意図をはっきりさせることができました。

私が泊まっていた宿のご主人には謙虚な気持ちでお参りすれば大丈夫とも言われました。

この日は全部で10箇所の御嶽をお参りすることができました。
今年の梅雨の西表島は特に雨が多いとのことでしたが、雨も晴れ間も曇りもあり、そのお天気のもと、導かれるようにお参りすることができました。

途中、古い集落の御嶽のお参りを終えて、鳥居をくぐり一礼をすると、神域の向こうから、二人の男性がやってきて、拝所の戸を開けて話しを始めました。拝所は大事な話をする場所になっているようです。

そこで、私が、西表島の御嶽をお参りさせていただいていることなどをお伝えしたところ、その男性から次のようなお話を伺うことができました。

🔸沖縄本島では御嶽(うたき)と読み、西表島では御嶽(うがん)と読むこと。
🔸御嶽とは御嶽(おんたけ)信仰の現れであること。
  御嶽信仰とは、木曽の御嶽山に対する信仰で、山岳信仰でもあり、さらには海などの自然に感謝して畏敬の念を持つ信仰であること。
🔸先祖崇拝の意味合いもあるとのこと。
🔸年に数回、神まつりをする時には、沖縄本島や石垣島から、代々世襲として巫女の役目の女性が来られ、また男性の神職の方もいるとのこと。
🔸一般の方が入っていい場所は決まっていて、神域の中に石垣があり、そこから先には入らないでください、と言われました。

これを聞いて、沖縄にある御嶽とは、古神道が受け継がれているように思いました。

私は神道は日本の文化だと捉えています。(こう解釈する人は珍しいと思いますが)
神道には古神道と神社(国家)神道があります。
古神道とは、日本人がご神体として鏡や剣を神殿に祀るよりも昔に、石や木・太陽・川・山・海に神様が宿るといった自然崇拝の考え方です。
神社神道とは、現代、神社に行ってお願い事をし、また稲作を中心とするお祭を執り行うことが主になっています。明治時代になり、キリスト教文化を元にする西欧化政策の際に、神道は宗教と定義されたました。宗教とは、その宗教の神と言われる存在を拝むことで自分が救われるというものです。
その明治時代には、一村一社令が出されました。それ以降、神社は小字(こあざ)に一箇所のみ祀ることとなりました。
ですが、今回西表島の御嶽は、古い集落には4箇所ぐらいの御嶽があり、一村一社令が適用されていないように思いました。
これも古神道が受け継がれる証のように思いました。

お参りした日は、私の叔父の命日でした。
ご縁のある西表島の御嶽を亡き父と叔父と共に、感謝を伝え巡ることができました。

御嶽の神域の中で、手を合わせていると、心地よい風が吹き心が鎮まり、自然と感謝の念が湧きました。
西表島の植物・動物などの大自然と目に見えない存在にも、守られ、応援されている感覚もありました。
西表島の御嶽をお参りし終わった時に、私はすっきり清々しい気持ちになりました。

足ることを知る、知足の世界には心の平安があることを体感しました。

以上、西表島 御嶽参り報告です🌈

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