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『英語語法文法研究』第30号 (2023) を読む (1)
『英語語法文法研究』第30号 (2023)に収録されている論文を読む「ひとり読書会」。今回はこちらの論文を読みます。
内田聖二 (2023)「語法・文法研究から語用論へ、あるいは語用論から語法・文法研究へ」, pp. 5-21.
内田先生はいわずとしれた語用論研究の第一人者のおひとり。現在、奈良大学の特命教授で、奈良女子大学の名誉教授。毎度お名前を拝見するたびに思うのだが、「特命教授」ってカッコイイ響きだ……。
1節. はじめに
最初に、意味論的規則と語用論的原則の違いが書かれている。
正直、こうした区別をする効用は言語学全体で見た時に良く分からない。区別するのが多数派かもしれない。
一方、認知言語学では、意味論・語用論については、ずばっと境界線を引けないよねとされていると思う (第4節に関係してくることをこの時はまだ知らなかった)。
なんて感想を抱きながら第2節。
2節. 語法・文法研究から語用論へ
2.1節の感想
2.1 節は、伝達動詞と発話行為 (speech act)に関する話題。具体例として、直接話法における伝達動詞 (promiseなど) と被伝達部の関係が提示される。
「約束」という行為が成立するにはいくつか条件を満たす必要があるとのこと。
命令文+promise
疑問文+promise
現在完了+promise
は非文になる。
直接引用される内容と発話内の力 (illocutionary force) は対応関係にある。発話内の力を示唆する動詞の類例として
命令文+advise
疑問文+demand
ほのめかし+suggest
の例が挙げられている。
さすが、語法研究者。例文の出典が Jeffrey Archer の小説。こういう研究態度を見習わなければならない。
次に、発話内容が実際にはどういう行為だったのかを示す例が挙げられている。この例は面白いのでぜひ実際に見てもらいたい。例えば、以下のような例である (ここでも小説から取った例が挙げられている。まじでカッコイイ)。
"….", he joked.
ここでは、発話媒介行為が関係しているそう。論文内に書かれている「発話媒介的な特徴から伝達部は後置される」という説明は、おそらく、発話媒介目標のマーカーとして joke のような動詞が機能しているということだろうと理解した。
発話媒介行為は、発話媒介目標と発話媒介結果の2つを含むが、この場合、発話媒介結果までは含まれないように思う。つまり、他者が joke だと理解するかは別問題なように思える。
2.2節の感想
2.2 節は、「命題対応と発話行為対応」というタイトル。
「命題対応」というのは、
肯定文 → 賛意の場合 Yes / 反対の場合 No [Are you ready? に対して、「準備ができている」なら Yes。「できていない」なら No]
否定文 → 反対の場合 Yes / 賛意の場合 No [Aren't you hungry? に対して、「いや、お腹が空いている」なら Yes。「空いていない」なら No。]
命題対応が見られない場合が「発話行為対応」で、例えば、Don't … のような禁止命令文に典型的にみられる yes による応答などがある。「~するな」という命令に対して、「はい、~しません」と賛意を示しており、上記の命題対応とは異なっている。
また、論文では否定文に対して、それを確認する(「そうですね。~してないですね」という感じ)Yes の例も挙げられている。
これも全部小説からの引用。というか内田先生 Anthony Horowitz 読んでるんや……。しかも最近発売された作品。私も読まなければ……。
続いて、本来 Of course not で応えるべきところを Of course で応えている例が挙げられていて、否定文に対応して答えているのではなく、「内包されている発話行為に対応している」と説明があり、洞察力ヤバいなと思った。
最後の否定文に対して Why? で応えている例も面白い (これは Ken Follett の小説からだった)。
読書から興味深い例を引っ張ってくるには相当な読書量が必要で、専門書や論文だけでなく、実例に深く大量に触れているのよね。見習わなければ……(n回目)。
2.3節の感想
2.3節は「会話での引用とダイクシス」。ダイクシスは内田先生のご専門ですね。
ここでは、(直接・間接)話法とダイクシスの興味深いズレの例が取り上げられ、「発話の場のダイクシスの原則」として、「ほかに制約がなければ、聞き手の労力に配慮して、発話の場のダイクシスが優先される」が提示されている。
ただ、個人的な感想として、「聞き手の労力に配慮して」というのは疑問が残った。
トランプ元大統領と安倍元首相の例は、「聞き手の労力」に配慮した例なのだろうか。単に誤訳してしまっている例ではないのか。誤訳してしまっている点で、ミスコミュニケーションが生じており、聞き手は「なんでここでこんなことを言っているのだろうか」と悩むことになり、労力が増しているような気がするのだが……。
その前に挙げられている例も、本当に「聞き手の労力に配慮した」結果生じたものなのかはよく分からない。発話の視点に引っ張られている可能性もあるような気がした。であれば、これは発話者の労力に配慮した結果、言い易いダイクシスを選択したことになるのではないだろうか。
3節. 証拠性と語法・文法
ここでは、according to NP と証拠性 (evidentiality) の関係性について議論されている。
3.1 節の感想
「情報の内在化」(internalization) のプロセスは興味深く読んだ。本当にこうした認知プロセスを得ているかは何かしら検証が必要なように思えるが、こういう道筋を立てると色々議論ができるように思える。
3.2 節の感想
According to me, … が先行研究では許容されないものとされてきたが、コーパスデータでは観察されることが指摘されている。これは面白い。
この用法が観察される理由について、概略、according to NP が本来持つ情報源を提示する表現から、in my view / in my opinion などのような主観的な意見を述べるものに文法化していると説明が与えられているが、この見方は面白いですな。
4節. Implications
図らずもここでの内容は、意味論と語用論の領域が実は交差していることが述べられており、統語論の領域にも語用論が浸食していることが言及されていて、認知言語学と近い?見方だなあと感じた。やっぱり境界線ってズバっと引けないと思いますね。
4.1 節の感想
語用論が意味論に影響している事例として、真理条件的意味論の解釈よりも語用論的推論の解釈が自然な例や百科事典的知識から得られる語用論的情報から解釈している例が挙げられている。
認知言語学でも、意味論と語用論の境界ってグラデーションだよねって言う時に似たようなことは言われるので、納得の内容。
4.2 節の感想
先行文脈で指示物が明示されていない場合の代名詞の顕現のしかたを考えるうえで面白い例が提示されていた。
統語論に語用論が侵入しているという表現が適切なのかは分からないが、人が指示物を指す場合に、どんな代名詞で表すかという問題を考えるうえで非常に示唆的な内容だと思う。
数ある言い方から、当該文脈で、話し手はその表現をなぜ選んだのかという問題はもっと深く考えられるべき問題だと思っている。
4.3 節の感想
最後は日本語学的な内容。「たい/たがっている」構文が取り上げられている。
私は B と ・・・したい。→ OK
私は B と・・・したがっている。→ダメ
というコントラストが伝達動詞を入れると一変するという事実は興味深い。
太郎は私が・・・したいと言った。→ダメ
太郎は私が・・・したがっていると言った。→ OK (内田 (2013) では「隠れ3人称」と呼ばれている)
また、
太郎は花子と・・・したいと言った。→ OK (内田 (2013) では「隠れ1人称」と呼ばれている)
太郎は花子と・・・したがっていると言った。→ダメ
この観察から、「願望表現の当該人物と情報源が一致している場合に『たい』表現が現れ、一致しないときには『たがっている』表現と共起する」とまとめている。
ただし、「太郎は花子と・・・したがっていると(私は)言った」なら最後の文は容認されると思う。
言及した文献:
内田聖二 (2013)『ことばを読む、こころを読むー認知語用論入門』東京:開拓社.