打瀬小学校から始まった「家のような学校建築」の作り方 - シーラカンスK&H
1995年に建築事務所シーラカンスが設計した「千葉市立打瀬小学校」は、オープンスクール型の学校建築における先駆けだ。シーラカンスから改組後のシーラカンスK&Hも、学校関連の案件が全体の7割を占めるという。25年近く前に建てられ今なお小学校建築の指標とされる打瀬小学校と、そこから生み出された学校建築の役割と経験について、シーラカンスK&Hの代表のひとりである堀場弘さんに話を伺った。
堀場 弘
シーラカンスK&H株式会社代表取締役。東京都市大学建築学科教授。一級建築士。1983年、武蔵工業大学建築学科卒業。86年、東京大学大学院修士課程修了後、シーラカンスを共同設立。98年、シーラカンスK&Hに改組。12年には「金沢海みらい図書館」が日本建築家協会賞を、14年には「山鹿市立山鹿小学校」がJIA日本建築大賞を受賞。
http://www.coelacanth-kandh.co.jp/
幕張新都心が田園調布を超えた日
2017年、ある不動産会社の調査で千葉市美浜区在住者の平均世帯年収が田園調布を超えたという記事が上がった。平均世帯年収は、公立小の学区内にある全世帯の平均年収から、単身者と高齢世帯などを除外したものであるため、純粋にその地域の平均年収とは異なる。しかし、高所得者が住む街というイメージの田園調布を千葉のある地区が超えたという記事には驚きがあった。上に公立小の学区内とあるその公立小学校が、今回話を伺った設計事務所シーラカンス(現在はシーラカンスK&Hとシーラカンスアンドアソシエイツに改組)設計による打瀬小学校だ。
(幕張)
幕張新都心は幕張メッセやマリンスタジアムなどの施設があり、国内外の大企業もオフィスを構え、各種学校、研究施設も多い。「職・住・学・遊」が融合した都市として計画され、長期に渡る開発が行われ続けている。住宅地域の横浜ベイタウンの入居が始まったのが95年、そのタイミングで打瀬小学校も竣工している。設計は91年から始められた。
教室だけでなく街にも開いたオープンスクールの先駆け「打瀬小学校」
86年に設立されたシーラカンスは幕張副都心の住宅開発に関わっていたが、当時まだ大きな実績がない中で小学校設計のプロポーザルに声がかかる。当時、大規模な住宅地を作るという時、団地を作るというのが一般的だったが、蓑原敬や渡辺定夫などの都市計画家が主導していた委員会による基本構想のためのワーキングにシーラカンスも参加し、団地ではなく街を作ろうと決まる。
住宅に特化した南面並行配置の平等な部屋で、車が走っておらず、外から入りにくく閉鎖的という団地に対して、街は外部に対して開き、お店など様々な機能があるもの。シーラカンスは、その街の計画に対して均質的で団地的なイメージのあるグリッドパターンを提案。
「グリッドパターンは均質で冷たい印象があるかもしれませんが、自由度が高くて、いろんな道を選んで歩けるため街路が生まれるんです」
街は公園の比率の大きさがポイントになる。オープンスペースをどう作っていくのかという議論の中で、学校の校庭をオープンスペースと捉える案が生まれた。
(打瀬小学校 1995)
「最初のコンセプトは富士山の見えるオープンスペース。公園と学校のグラウンドを一体にして、東京湾に面して富士山方向に向いています。グラウンドと公園を一体化することを前提として、開放性のある都市計画とつながる塀がない打瀬小学校が作られていきます」
打瀬小学校には塀やフェンスがない。つまり外から学校の敷地へ入ることが簡単にできるようになっている。
「公園とグラウンドがフェンスなしで一体運営する学校は、86年に船越徹さんが設計した杉並第十小学校で実施例がありました。それを前例に打瀬もできるのではないかと。2001年に男が小学校に侵入した附属池田小事件が起こった時も、元々フェンスで封鎖できるように作っていたので設置も検討されたのですが、地元の方々がそんなことをしないで皆で見守っていこうと言ってくれて、事件後も仕切ることはしませんでした」
自治性の高さを示す、非常に珍しい決定と言えるのではないだろうか。
打瀬小学校が導いた地域のブランド性の向上
「新しい学校には新しい教育を目指そうと初代校長の溜昭代さんのもと、意識の高い先生たちが集いました。僕らは学校を設計するのが初めてだったので、都立大の学校建築を研究されていた上野淳先生と組んで、教室の壁のないオープンスクールの設計を進めていきました」
象設計集団が設計した埼玉県の宮代町立笠原小学校が優れた小学校の先駆けとしてあったが、オープンスクールには、単に廊下が広がっただけのものや、見学に行くとちゃんと使われておらず閑散として機能していなかったりなど、まだまだいい例は少なかった。
「先生の話を聞くだけの“講義型”からワークショップ主体の“活動型”に転換していく流れの中、音と空調に関してはその後課題もありましたが、建築はうまくマッチして機能できたのではないかと考えています。行き止まりがないような動線にして、単純に廊下が広がったものではなく、教室に庭があるような形式にして、光と風が各教室に入るようにして作りました。体育館も四方裏がないように敷地の中側に配置して、楕円形にしています」
(打瀬小学校 1995)
居心地のいい家のような学校を作りたい
街自体の評価を始め、新しい教育を実践する打瀬小学校があることで、通わせたい家族や帰国子女が日本の学校に馴染めなかった時に転校してきたりと、住宅地として人気になり学校がパンクしかけたため、2001年に海浜打瀬小学校(設計:桑田設計事務所)、2006年に美浜打瀬小学校(設計:シーラカンスアンドアソシエイツ)が作られている。
(打瀬小学校 1995)
「学校建築に対して打瀬の頃から変わらず考えているのは、空間の大きさなど教室や廊下のステレオタイプに対して、僕らはそうではない、居心地のいい家のような環境がいいのではないかということ。学校だけでなく家も勉強する場であるし、家だけなく学校も生活する場です。相当な時間数を学校の中で過ごすわけですからね」
シーラカンスは、2つに分かれてからもそれぞれたくさんの学校建築を手掛けている。シーラカンスK&Hとして最初に設計した学校は、幼稚園や公民館を併設した2001年の福岡市立博多小学校。その後、奈良屋幼稚園や丸岡南中学校、富山市立芝園小学校と中学校などを始め、保育園から大学の施設まで多数手がけている。
(福岡市立博多小学校 2001)
(東松島市立宮野森小学校 2016)
(西白山台小学校 2016)
「一般的な学校は、整然と机が並ぶ教室や体育館の整列など、子どもたちの動きやアクティビティが集団行動として画一的に決められています。大人数が効率よく行動するために必要なことでもあるのですが、一方で自分たちで居場所を選んで自由に好きなことをやってほしいという思いや狙いもあります。いろんなことが同時多発的に起こっているような、子どもたちの意志を尊重できる環境が作れたらと考えています」
オープンスペースと隠れ家、そしてユーティリティ
体育館裏をなくし、オープンスペース化することで隠れる場所がなくなり、すべてが見通されることで自由に振る舞うことを制限してしまうことはないのだろうか。子どもは隠れて何かをしたがる。
「例えば床をカーペットにして寝転んだりできるようにしたり、床下をアルコーブにして隠れられるようにしたりしています。あとは家具でそういう場所を作ることは意識しています。後から家具を足すのではなく、ひとまとまりの建築として家具を用意した。テーブルも標準よりも大きなものにしたり、本棚も可動式にしたり」
(奈良屋幼稚園 2000)
(山鹿市立山鹿小学校 2011)
一方で子どもを見守る先生たちがいる職員室についてもオープン化を行っている。
「打瀬小学校の場合は、先生たちができるだけ生徒たちの近くにいる必要があるので、1フロアにひとつ教員コーナーのような授業の準備などをするオープンスペースを作りました。廊下の連続として作って、そのまま入っていけるようにしています。全体の職員室は1Fにガラス張りで作り、生徒も中を見れるし、先生も外を観察できるようにしてお互いの関係をより透明でフラットなものにしました」
先生たちにとっても生徒たちから常に見られるというのはストレスになり反発があったのではないかと思ったが、これまで先生たち側が管理しやすい方向に学校が作られてきたことによる問題や弊害が生まれていたこともあり、こうした建築的な実践にも反発はなかったという。
「先生たちにいかにやる気を持って仕事に望んでもらえるかも大事だし、子どもたちにとっても魅力的な空間であることも不可欠です」
曖昧な用途も持つがゆえに自由な使い方を促し、意味ある場所として機能しているのが、“表現の舞台”とシーラカンスが名付けた階段式の講堂だ。打瀬小学校以来、様々な学校に形を変えて導入されている。
(福岡市立博多小学校 2001)
(山鹿市立山鹿小学校 2011)
(西白山台小学校 2016)
「大きな学校になればなるだけ建物として積層したものになり、水平的な広がりや移動はあっても、垂直方向の立体的な移動がしにくい構造になる。つまり階段的なものをどう作るかが問題になります。階段は昇るだけではなく座る場所としても機能するため、パフォーマンスや話を見る劇場的な場に適しているので、階段を広げて活動をできる機能を与えればいいのではないかと考えて作ったのが、“表現の舞台”でした。扉に鍵をかけるのではなくいつでも誰でもが出入りできる場所として、基本は何かの発表をしたり集まったりする講堂として使い、使っていない時は移動空間にもなり、休み時間の遊び場にもなる。自然と誰かの居場所として機能しているんです」
打瀬小学校はいまなお塀やフェンスがない。国内でも有数の世帯年収エリアが、セキュリティ意識が高まる現代にあって、コミュニティによる見守りの目を信頼し合えることは、打瀬小学校がもたらした大きな成果であると言えるのではないだろうか。
シーラカンスK&Hのホームページのフィロソフィーには、“教育の空間の貧しさ”への問題意識が書かれている。画一的なルールや制度に基づいたものに対して、そこを使う人々がより自由に振る舞える建築空間を作ること。ソフトが変わっただけでは人の振る舞いは簡単には変わらない、環境との対話の中で具体的に変化が現れてくる。シーラカンスK&Hが実践する“家”のような学校建築は、安心と自由を教育と地域に与えてくれているようだ。
Edit & Text:Hiroyuki Yamaguchi(good and son)
Photograph:Satoshi Asakawa