見出し画像

1月18日のふりかえり(あそびば桑園)

1/18(土)のあそびば桑園でのふりかえりより抜粋)

1.周りの目とこどもの遊びと

■ななかまどの実落とし

常連のKくんがななかまどの木に登って、ジョンパ(雪かき道具をする柄が長いプラスチック製のスコップ。ジョンパは北海道の方言。)で実をバシバシと落とし始めた。
すごく楽しそうだったのだけれど、公園の木を荒らしているとも見えなくもない。「うわ〜、(止めようか)どうしようかな」と思っていたところ、通りすがりの散歩の人がじ〜っとその姿を見ていたので、「あ、こりゃマズイ」とKくんに話しかけに行った。

さて、どうやって話そうか。
自分としては「実を叩き落とすのを止めて欲しい」というのがある。ただ、やめるかどうかはその子の判断に委ねたい。別にこちらの言う事を聞かなくても、誰かがケガをするわけでもない。さすがに実を全部落とすようなら止めるが。
しかし、通りすがりの人からしたら、プレーパークとかそういうものは全く知らないだろう。とすれば、公園管理の部署にクレームを出すかもしれない。それは避けたいなぁ・・・。
とすれば、強めに止めて欲しいと言う風に伝えるか。バンバン落ちる事自体を楽しんでいるのだから、落とした実をどうしようかとかは考えてないだろう。ならば、そこを突っ込むか。うう〜ん。このあたりは大人のずる賢い部分で正直嫌だなぁ。でもしょうがないかぁ・・・。
(だいたい3秒位かけて判断)

「あのさ〜、これ落ちた分全部使うの?使わないんだったらもったいないしやめてよ〜」と言うと、Kくんは落ちた実を見渡して「あ〜・・・。」と言う。ほんの少し考えて、スゴスゴとその遊びをやめた。
その様子を見て、楽しそだったあそびを止める事になったのはちょっと、いやかなり心が傷んだ。ごめんよ。ほんと、すまん。

他のプレーワーカーとの話の中で「外からの目を気にして遊びを止めちゃう事があって、そういう時悩む」という話をした事があって、その時は私は「そういう事もあるんだ〜、まぁあるかもなぁ〜。」と思っていたのだが、今回自分が立ち会っている今、まさしくこのシチュエーションだよなと思った。なるほど、これは悩む。モヤモヤする。

その後Kくんは他のあそびを始めていたので、ホッとした部分はあったものの、こどものあそびを保障するべきプレーワーカーとしては、矛盾した行動をとった事自体にまだモヤモヤっとしたものを抱えていた。

■ふりかえりの時に

あそびば桑園の終わりには、スタッフで簡単なふりかえりを行う。目的としては、その日あったモヤモヤをちょっとでも出して、家に出来るだけ持ち帰らない事。その後自分自身でのふりかえりに役立てる事。
基本的には大人のスタッフで集まっているのだが、時々片付けを手伝ってくれたこども達がそのまま面白そうに残る事がある。大抵は真面目な話をしてるので、退屈したのか途中でいなくなる。が、この日は例のKくんが残ったままだった。

スタッフのふりかえりが済んだ後、最後に「なんかある?」とKくんに聞くと「(実を落とす遊びを)止められたけど楽しかった」と話してくれた。ああ、それを言いたかったのか・・・。
はて、これは「楽しかったので止めないでほしかった」という意味なのか、それとも「悪い事はしたけれど、楽しかったんだよ」と伝えたかったのか、はてさてどちらなのだろう。それはもしかしたら両方かもしれないし、そもそもそういう事を考えてないかもしれない。そこを明確にするよりは、やるべき事が有るはずだ。

「ほんとに楽しそうだな〜と思ったけど、ごめん。」
「散歩してる人がじーっと嫌そうな目で見てたから止めちゃった。みんなで使う公園だから、その辺も考えてくれると嬉しいな。」
という事をこちらも話した。悪いと思ったんだよ、という事と遊びを止めた理由をしっかりと話していなかったので、その理由を伝える事ができた。この瞬間、自分のモヤモヤは消えた。
Kくんもこちらの目を見て真剣に聞いてくれていた。自分の考えを押し付けるのではなく、お互いにどういう思いがあったのかを話す時間が取れた。ほんとはこちらからそうするべきだったんだろう。これは大反省。彼が残って話しかけてくれたから、そうういう時間が取れた。Kくんやっぱりすごいなぁ。

Kくんのお母さんと最近よく話す。
お母さんいわく、彼はこの場をとても楽しみにしているらしい。家族の予定(お出かけとか)で来れない時は、ほんとにしょんぼりしてしまうそうだ。(彼には悪いが、ちょっと想像すると笑ってしまった。)
お母さんからは「こどもがやりたい事を自由にさせてもらって、ほんとにありがとうございます」と、何にも代えがたい嬉しい言葉をいただいている。
そんな彼と、こうして話せる仲になったのは、ほんとに嬉しく思う。

たぶん「(遊びを)止める・止めない」は問題としてあるんだけど、それは大きな問題じゃなくって、こうした「自分はこう思っていた。相手はこう思っていた。」とお互い話す時間が持てるかどうかが一番大切な部分だろう。
またこども達から教えてもらった。ほんとにプレーパークの活動は対話の大切さを教えてくれるなと、つくづく思った。

2.あそびばの文化の継承

■関わり方に対する違い

あそびば桑園で行っているたき火とキラビーづくり。
(ビー玉を加熱、急冷する事で内部がひび割れたビー玉をキラビーと呼ぶ)
たき火をボランティアで来てくれたWさんが、キラビーづくりを常連のお父さんが、それぞれこども達にやり方を伝えていた。

どちらもこども達にはやり方を教えるだけではなくって、自らがやってしまている部分があって、プレーワーカー的には関わり過ぎに見える。特に常連のお父さんがしているキラビーは、こどもじゃなくってお父さんが作ってしまっていて、出来たものを渡す感じになっちゃっている。
うーん。これは介入しようかどうしようか迷う。

どうしようかと思ったが、こども達に嫌がっている様子が無かったので、そのままにする事にした。このへんの塩梅はとても難しい。
やってくれているボランティアや常連のお父さんは、プレーワーカーとしていろいろプレーパークやプレーワークを学んでいるわけではない。だから、こどもへの関わり方がプレーワーカーとある程度異なっていても仕方ないと思うのだ。また、そういう人達がいる事で場に多様性も生まれる。

けれど、プレーパークにいる大人としては、そういう関わり方も考えて欲しい。どちらも正しい。
だから悩む。

■あそびを伝える

また、こういう遊びで技術ややり方が存在するものは、プレーリーダーが伝えるんじゃなくて、来ている人達同士で伝えあってくれる。そんなあそびばの文化の継承みたいなものが生まれてきているのは、とても喜ばしいと思う。それも悩みに拍車をかける。うーーん。

あそびばでのこどもの関わり方は、時間をかけて理解してもらえると嬉しいなと思う。そもそも、彼らだって悩みながらこども達と付き合っているかもしれない。どうすればいいかわからず、とりあえず自分の経験の中でこども達と付き合っていて、このふるまいがこの場にふさわしいのか、悩んでいるかもしれない。

プレーワーカー的にはあそびばでの振る舞いのある種正解的なものはあるのだけれども、それはこどもに対してすべて正しい物とは限らない。そのあたりが私達の活動をとても難しくする。

だから、プレーワーカーとして今出来ることは、この遊び場にいる大人としてふさわしい姿を見せる事だと思った。そのうちこういうプレーワークについても話し合える日がくるといいなとも思う。

ただ、介入した部分もあった。
キラビーづくりをしているお父さんは、こども達に教えるというよりも最後の方は自分で作って完成品を渡していた。
なので最後の最後にこども達に向けて
「どう?キラビーづくり簡単でしょ?もう作り方わかった?」
「うん!」
「じゃあ今度は自分で作ってみたら良いよ」
と声をかけた。

常連のお父さんは私の後ろにいて振り向いてなかったけれど、たぶん聞いてくれていたんじゃないだろうか。たぶんこの人ならこれで十分伝わるだろう。そんな関わり方でいいのかも。

いいなと思ったら応援しよう!