米国のトランプ・日本のイシマル(1)
政治家の実存的な役割:
近現代において政治家の持っている権力は凄まじい。昔からそうであるが特権階級と言って良いと感じる。ただその権力の目指す方向(力の赴くべき場所)が戦後と戦前にて似て非なるものになっていると感じる。
戦前というのは政治が機能する役割がとてもあり、その役割に対して国民も納得していた(多かれ少なかれ従っていたとここでは考えたい)。なぜか戦争などの対外問題に対して主語を国として語ることが多かったからだと考える。個人としての自己よりも国に帰属している自己が強く現れていた。これが政治の力をそれが実際に持っている力よりもよりも歪曲した形で拡大してしまった。
もっと簡単に言い換えれば大衆の自己喪失と国家への帰属意識への高まりが戦前の政治的な全て意思決定に存在していたのだと考える。
そして私たちは戦争に負けた(色々な物言いはあるだろうがここでは「負」という文字で表現したいと思う)。
こうなると閉じ込めていた自己がめきめきと発現してくる、そして国家に対しての迷い、グラつきが出てくる。
今まで私たちが信じていたものは何だったんだろうか・・・
そして政治家に対しての期待はなくなり、自分たちのアイデンティティーを攻撃してくる対象だと認識し戦わないように、関わらないようにする。この意識の集合体が今の日本の政治への無関心の礎を作っているように私は感じている。
こうなってくると自分の思想やそれに付随する考え等で人は靡かない、政治活動に参加する動機がなくなってきてしまうのだ。
アメリカが民主主義を内側から破壊してくれる存在としてのトランプを作り出したように、(成田博士が宮台先生との会話の中で言った言葉)
私たちが作り出したのは思想や政治的圧力や癒着から真反対にいるイシマルさんだったような気がする。