心が長く囚われる時
自分が恐ろしく凹む時、
悔しくて地団駄踏みそうになる時、
囚われてなかなか戻って来れない時って
自分がこうだと信じたことが違っていて、
私のバカ!私の無知!という時よりも、
本当は感じていたのに手放してしまった時。
たくさんの経験の中で、
今になっても思い出し感情が強く動くのは、
自己信頼を取り戻した子どもたちの笑顔や、
救われたと涙を流す親御さんの言葉よりも、
これは病院に行った方がいい
これは親に電話した方がいい
これは割って入ってでもやめさせた方がいい
これは校長に出向いてもらった方がいい
これは私の範疇を超えるからやめた方がいい
と、ほんの一瞬だけど、
確かに直感がよぎったはずなのに、
これくらいでと信頼をなくすかもしれない
担任を飛び越えて関係が悪くなったら困る
相手のメンツを潰したらまずい
責任者が必要ないというならもう仕方ない
そこまでいうならやってもいいか
と、確かにあった直感を掴み切らず、
誰かで自分を圧して選ばなかったことで、
不利益を被ってしまった人の顔。自分の心。
後になって思えば、
あの時に確かにそう感じていたのに
心のどこかでこうなる事も分かっていたのに
何で直感を見過ごしたのか、
何で自分を信じきらなかったのか
自分が本当に選んだ時なら、
仮に思った結果にならなくて、
責められる時も、後処理をする時も、
ここまでの呵責はないだろうと思うくらい、
悔しくて凹んで嫌になって心が進まない。
客観的に見れば、
ことなきを得たこと、報われたこと、
嬉しい、感動、感激の方がよっぽど多いのに、
そんな記憶が一瞬で吹き飛ぶ後味の悪さに
二度と屈しねえぞ!と自分に怒って刻み込む。
本当はもう分かっている
本当はもう感じている・見えている
その直感をリアルタイムに捉えて掴む。
それを信じて実行する。
仮に直感に従った結果が違っていても、
その失敗は次の直感の精度をあげる。
直感を捉える力、信じて表明する力。
入り口になるのは感じる力、感性。
感性をもっと磨きたいし、
磨くお手伝いがしたい。
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