【父の日イブに父と高屋神社に登った話】
移動解除になった即日。
4月に父が腰の手術でこのご時世に2週間入院、
5月末に母が転んで頭を打って救急搬送と、
なかなかきな臭いので、ただただ顔を見に香川に戻った。
ことの発端は2日目の朝、父(80)が運転する軽トラで
ちょっとしたバザーに出かけた帰り、
父「ここいらに、高屋神社とかいう
空に浮かぶ鳥居さんがあるらしいぞ⛩」
私「へー、(いつか)行ってみたいな」
父「ほな行こうか」
私「そんな近いんや!」
父「近い近い、こないだ車で行ったきん。」
という軽いノリから。
坂道をトラックであがり、
境内の駐車場まで車で上がると
「何かもうちょっと行けた気がするんやけどな」
と
田舎ジジイ独特の甘めの予見。
まぁ従うかとそのままいくと、
「ここから先は車では入れません」の立て看板。
(どこが車で行ったきんじゃ...)
先を見れば、30°程見上げるほどの坂道がのび
その先はカーブで見えなくなっている。
もちろん駐車場まで引き返して
車を置いてくるとかいう行儀はない田舎ジジイ。
その場で車を降りて急な坂道を眺めながら、
父「ワシは多分むりやけん、お前行ってこいよ」
私「いや、それやったら改めるし」
父「1度登ってみたいとは思っとったけどのぉ..」
とかいうものだから、
私「...途中まで行ってみるかい?」
父「行ってみるか。行けんかったら引き返そう」
と、また甘めの予見で、
さっきのバザーで母にと買ったばかりの杖を手にし
踏み出したのが、まずかった。
杖を使うと意外と山道も歩けることに
機嫌を良くした父はぐんぐん進んでいく。
まずはそこまで、次のあそこまでと、
初めの約束から目標は先延ばしに延びて、
どんどん山道らしく険しくなってくる。
多分2.30分ほど登ったところで小休止。
もう引き返すことを考えたら、
そろそろ限界かな?とちょうど思った頃に、
たまたま下山してきた人がいて。
「あとどれくらいですか?」と聞いたら、
「まだ全然、これからですよ!」と言われ、
2人して「全然!?」と確かにひるんだのに、
人間というのは、やめ時を見誤る生き物で、
「まぁ、でも...もうちょっと行けるか?」で
更に進んでしまった楽観父娘は、
行けども行けどもゴールが見えず、
とうとう、もう帰れない距離まで登ってしまい
行くも厳しい帰るも悔しいで、
最終的に
「ここまで来たら、頂上目指すしかない」と
逆張りの達成モードに。
いまどこらへんやろ?まだまだあるん?
さっき鳥居から200mってあったのに、
今度700mってどういうこと?離れてるん?
1000m?は?1100m?ゴールを教えてくれ
これはあれちゃうか天に登りよるんじゃないか。
墓穴掘るってようあるけど天に登るは新しいな
オカンに杖買った時点で呼ばれてたんかもやで。
呼ばれる?誰に?オカンに?あぁ神さんに。
それはいよいよお迎えが来よるということやな
お金の神さんやけん引き返したら見放されるぞ
やめんか何でそんな呪いみたいなこと言うんじゃ
ほんでお前なんでそんな高いツッカケで来たんぞ
などと騒ぎながら、約1時間半。
何の目標もなく、完全に見切り発車して
戻るに戻れなくなった結果、
急傾斜、岩場、ぬかるみ、心臓破りの長い石段を
「あとちょっとあとちょっと」と言いながら
登り切った先が、冒頭の風景。
「意外に登れるもんやのぉ」と、
手術前にはあまりの痛みで全てが億劫になり
何ごとも諦めが先に立っていた父の
満足げな顔が見られて、プチ親孝行した気分。
おかげで、 その後のコンサル受けるの大幅に遅れたり、
そんなつもりで出かけてないから
途中で電源が切れた私の携帯に何度も電話して
心配で青ざめた母がいたりで、
周りにまぁまぁ迷惑もかけたのだけど、
「自信がついたわ」というてる父の顔で
チャラにしといた父の日イブの出来事。
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