復讐の品詞分解
移動中に眠気がなかったので、「夜行秘密」(カツセマサヒコ)を読んでみた。
J-POPのアルバムをベースに、エッセンスを再構成して書かれた小説であるということを本編読了後に、収録されている対談で知った。
群像劇という形をとっている小説だが、松田英治が岡本音色に声をかけるシーンからはミステリー、しかも解の与えられないタイプのそれだと感じた。
二人が話してからのストーリーを大雑把に言ってしまえば「岩崎凛を殺した人への松田英治の復讐」となるが、これについては「誰が、誰に、何のために」の「誰が」以外はそこまで明瞭ではないように思える。
前提として、それが復讐であると明確にわかるのは(読者と死んだ岩崎凛を除いて)岡本音色と松田英治しかいない。そのシチュエーションを作り出したのは岡本音色だ。
誰に対する復讐かと考えたとき、直接的には岩崎凛を殺した人だろうが(事実、作中で松田英治に復讐の名目で殺されている)、それと同時に岩崎凛と別れたことで間接的な要因を作ってしまった岡本音色への復讐も含まれているのではないだろうかと私は感じた。
自らのすべての行いに対して責任など取りようもないが、復讐という、一番個人的な物語足りうることにおいては論理や法を超えたものが核を成すと考えられる。そのため、岡本音色が松田英治に恨まれていて、間接的に復讐されるという推察も成り立つのではないだろうか(それが正しいかどうかの議論はここではしていない)。
別日に友人に誘われて映画「ラストマイル」を鑑賞してきた。ポップコーンムービーとしてのミステリーだ。ここでも復讐というものが物語の核となっている。しかし、ここでは復讐は果たされない。というよりも、復讐というにはあまりにも相手のダメージが小さかった。それに対して犯人は死んだ。
この映画でも「誰に」というのがはっきりしているようで明瞭ではない。感覚的に法人格が人格でないからだとは個人的には考えている。
そして両者に共通するのは「何のために」復讐をしたのかというところが「喪われた(奪われた)愛した人のため」という点である。
「喪われた(奪われた)愛した人のため」に「復讐を成す」というのは物語として筋が通る。しかし論理的に考えると「それでどうなった」が欠落している。もちろん生きていく上でのすべてに論理が必要というわけではない。しかし、そこに欠落(欠陥ではない)を感じる。
「夜行秘密」では松田英治は生きており、復讐を通して岩崎凛を内在化させることで永遠化し、その欠落を埋め
「ラストマイル」では犯人が自らの存在を消し、実際に死ぬことで欠落と一体化した。
そう考えると、復讐の中核は(一方的にもたらされた)欠落なのかもしれず、それとの対峙方が物語となるのかもしれない。