States to Nation
United States of Americaはアメリカ合衆国の英語表記における正式名称である。
United Nationsは国際連盟の英語表記における正式名称である。
「state」は由来を含めた語義において、「立場・状態」などの比較的中立的ないし選択など積極的な行為に基づくニュアンスがあり、「nation」は自然発生的で土着的な(本人の希望とは関係なく)付与されたという受動的なニュアンスがあると私は感じている。
アメリカ合衆国も国際連盟に加入しているので、Nationの一つとみなされるだろうが、同じく連邦制のドイツよりも歴史が浅いせいか「自然発生的で土着的な」「nation」という意識が共有されているのか疑問に思っていた。
マイケル・サンデルの源流がジョン・ロールズにあることは疑念の余地はない。チャールズ・サンダー・パースらの思想とそこで育ち、繰り返され止揚していくテーゼは「プラグマティックな公正」であろう。
その「プラグマティックな公正」はアメリカ人の共同幻想かもしれないと思う一方、それの正誤については私には検証のしようがない。ただ漠然とした、大同異小のなにか共有されるものがあるときに、アメリカ人であることは、自然発生的かつ土着的なものになりつつあるのではないかと私は思った。
私は美術展が好きだ。そこにはテーマとなる芸術家(複数のこともあり)とその時代の関り、同時代の作品との関係が整理されて提示されていて、事象を繋ぎ辿り世界に導かれる感覚がある。
そのような営みは美術展だけで行われるものではない。書籍で言えば小川洋子『博士の本棚』もその一つだ。
その『博士の本棚』に導かれ、ポール・オースター『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』を手に取った。
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』は「アメリカ人である市民に実際に起こったこと」をテーマとしたラジオに寄せられた投稿の一部をまとめた本である。収められた179の物語は長さも内容も書き手の背景もすべて異なるが、書き手のほとんどは自らをアメリカ人と認識しているようだった。たとえ移民であることをあるいは英語以外が母語であることを明言していてもだ。
刊行は2001年9月13日。アメリカ合衆国の建国から235年が経ち、その地で生まれ、育ち、そして土に還った人が何代もいるには十分な時間が経っているように思える。そこに生まれることで、育つことで、自らがそこに属していると無自覚的に感じることができる人々がいても、もう何も不思議はないだろう。そのことを予見していたのか、この本のタイトルは『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』である。『ステーツス・ストーリー・プロジェクト』ではない(タイトルはラジオ番組から来ており、この企画が始まった時からこのタイトルであったとのこと)。
ルーツがアメリカのみに由来していなくても、自らをアメリカ人と認識することができる社会になっているのだろうかと由緒正しき根無し草である私はアメリカへの幻想を抱き始めた。