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今日のYOGA。「霜降:冬の足音/”気づき”から”変化”までのステップ/涙ほろっとこぼれる」
昨年の11月からお休みしていた
「YOGA日記」を再開いたします。
出逢ってから8年目のヨガ。
日々続ける中で得た
気づきをつらつらと綴る日記です。
今回からは
二十四節気、七十二候にのせて
お届けしてまいります。
✴︎
霜降・そうこう
【霜始降・しもはじめてふる】
「10月23日~10月27日頃」
<10月23日>
冬の足音
聞こえてくる季節。
少し「焦っている」
自分に気がつく。
暑い夏が終わり、
秋も終盤になり
わっ、今年もあと二月しかない!
という気持ちからだと思う。
近頃気になっていた
「浅い呼吸」は
この気持ちによるものなのかもしれない。
ただ焦っていても
よいことはほんとうになくて。
空回りして
余計にタスクが増えて
さらに焦るという
悪循環はこれまでに何度も経験してきた。
落ち着いて
目の前のできることを
していこうと思う。
<10月24日>
昨日のような
「気づき」はヨガの中でよくある。
とてもありがたい。
それでも
気づいたからといって
何かがすぐに変わるわけではない。
「気づく/認識する」
↓
「意識し始める」
↓
「納得する/ふに落ちる」
↓
「(違うことに気を取られ)忘れる」
↓
「ふたたび意識するように」
↓
「変わり始める」
↓
「いつの間にか変わっていた」
このようなステップを
いつも踏んでいるような気がする。
あんがい長い道のりだ。
その中で
昨日感じた「焦り」をなくすことは
年内には難しいのかもしれない。
だからといって
何もしないのはもったいない気がするので
まずは「深い呼吸」を心がけようと思う。
上記の
「(違うことに気を取られ)忘れる」の部分を
できるだけ挟まないように気をつけながら
ヨガの中でも
日常でも
呼吸を深いものにしよう。
<10月25日>
祖母をデイサービスに送り出し
ヨガを。
バタバタしたあとには
余計に静かに感じられる
マットの上。
本来の
「静けさ」を再確認する。
「渦中(かちゅう)」にいると
どうしてもバタバタ、セカセカが
基準に思えてしまうけれど
静かで、穏やかで、柔らかい
この時の流れこそが
「本当」のようだ。
その流れに
自分を一日一回は戻すこと。
すごく大事だなと思う。
自分を大切にするためにも。
大切な人を大切にするためにも。
<10月26日>
いい時間に目覚められた。
出かける前に
ヨガをたっぷりできることが嬉しい。
身体の前面、背面、側面と
まんべんなく伸ばし
心身を整えて
社会に自分を送り出す。
自分の健康のために始めた
ヨガだけれど
続けていると
心身を機嫌よく保てるようで。
結果的に
「ごきげんな人」を
世界に一人増やせていると思うと
ちょっぴりよいことを
しているような気分にもなる。
(少し大げさではありますが!)
<10月27日>
また今朝も呼吸が浅い。
やはりまだ「焦っている」。
それでもポーズをとっている中で
ふとあることに気づかされる。
この人生で
「できること」は限られていると。
好奇心のかたまりのようなわたしは
ふりかえれば幼い頃から
「やりたいこと」がたくさんあった。
今も変わらず
「経験」に関しては
かなり欲張りなのだと思う。
・大好きな祖母と暮らし
食事をつくること
・美しいものに出逢いに行くこと
・茶道での「一生もの」の学び
・noteやInstagramに綴ること
とこの上なく幸せな
経験ができているのに
もっともっとと
広げたくなったり
深めたくなったりしている。
それでも、全部はできない。
ふと現実を
突きつけられたような気がした。
心の奥でほろっとこぼれる涙。
この事実は
受け止めないといけないのだなと思う。
その上で
「できること」=「やりたいこと」
に限りなく近づける努力はしたい。
「やりたくないこと」を手放す。
このことが
「焦り」から少しは解放してくれるのかもしれない。
そう小さく結論づけながら
今朝のヨガを終える。