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HSPの私と統合失調症の遺伝子。

本日の記事は、ちょっと長くなります。

4000字超ありますので、お時間ございましたらお願いいたします!




高次脳機能障害の父


昨夜、私が書いた記事を読み返していた。


私はきのうの記事で、重度の精神疾患を持ち、現在は精神科へ三度目の入院をしている、私の母の件を書いた。

母の主治医と面談をし、母が今後どのように生活を送ることが、彼女にとってより良い選択であるのか、その方向性を先生と娘である私で話し合ったのだ。

以前から私の記事を読んでくださっている皆さまには、知っていただいているとは思うのだが、私の母だけでなく、私の父も脳に病を抱えている。

父は、過去に生死の境を彷徨うほどの重い脳の病に見舞われた。脳梗塞だ。彼がまだ50代半ばだった頃の出来事だ。

何十時間にも及ぶ脳の手術を緊急的に受けた父だったのだが、手術をした後も彼の言語機能や、半身麻痺の症状が、消えてなくなることはなかった。
(父は、自分の意思を言葉にして発することや、筆談をすることは出来ませんが、人が発した言葉を理解することは出来ます。父の意思確認は、こちら側が質問を投げかけて、彼がYESかNOで答える、という方法で行います。)


そんな父は、昨夜の記事にも書いたように、私の母の病の細かな状況や、母はもう自宅で今まで通りに父と共に暮らすということが難しい、これらのことを、未だに受け入れることが出来ずにいる。

(この母の件で私と父は、先月、過去最高とも言えるぶつかり合いをしました。今思うとこの父と娘の本気のぶつかり合いは、現在の私の、ありとあらゆる心の葛藤を超越した心境に至るためには、必要不可欠なことだったのだと、そう思います。よろしければ、こちらの記事をお読みいただけますと、ありがたいです。↓↓)




ひとまずこの、父に母の件を受け入れてもらう、というミッションに関してをいうと、現段階では娘の私に出来うる限りのことはした、ベストを尽くした、という自負がある。

後のことは、母の主治医の先生から私の父に向けてお話しをしていただくだけ、という状況になっているので、今度の週末、その日が来るのを淡々と待つだけの状況だ。


陽性症状ピーク時、妄想に囚われた母




最初に書いていた、私の母の件に話しを戻そう。

今までの記事の中で私は、母の具体的な病名を書かずにここまで来た。それはなぜか?…………母自身に「自分はその病気であるのだ」という自覚がなかったからだ。

精神疾患の症状がピークに酷かったとき、母は

「私は、誰かに盗撮されている」
「老人ホームの私の部屋のおトイレから、とんでもない異臭がする」「私のスマホが第三者の手で操作され、私の行動を24時間監視されている」

そのような主張を繰り返し、娘の私に昼夜を問わずに電話をかけまくってきていたものだった。

実際には、まったくもってそのような事実はなく、母の老人ホームのお部屋も、快適そのものなのだ。



そう。

これらの母の主張は、すべてが母自身の脳内で作り上げられた「妄想」なのである。



一般的な感覚からすると、そのような主張を繰り返された場合「いやいやいや、そんな訳がないやろ笑。あなたの方がどうかしているのでは?」となるだろうと思うし、もう何年も前、母がいちばん最初にこのような主張をし始めた頃は、娘の私は本当に戸惑いを覚えたものだった。

このように、この病の恐ろしいところは、こうして症状がピークに酷くなってしまうと、これらのことを「自分の妄想である」と気が付けなくなってしまう、というところだ。


私の母は「統合失調症」



…………。

結論から先に述べてしまうと、私の母の病名は
統合失調症」だ。



統合失調症、とは何か?

自分が他者からコントロールされていると考え、思考知覚感情言語自己感覚、および行動における他者との歪みによって特徴付けられる症状を持つ、精神障害の一つである。

青年期以降に後天的に発症し、症状は徐々に進行していく特徴がある。この精神障害は「統合失調症スペクトラム障害」の一つであり、症状が進行しやすい。

日本では2002年平成14年)まで、精神分裂病(せいしんぶんれつびょう)と呼称されており、2002年から「統合失調症」という呼称に改訂された。

一般に幻聴幻覚異常行動が見られる。
発症のメカニズムや根本的な原因は解明されておらず、また、単一の疾患ではない可能性が指摘されており、症候群である可能性がある。

精神疾患として深刻なものとされるが、治療が可能な病気である(具体的な治療法については「#治療」を参照)。しかし患者の2人に1人は、医師の受診につながっていない。この疾患の担当診療科は精神科であり、精神科医が治療に当たる。

Wikipediaより引用


統合失調症スペクトラムと妄想性障害


正確に言うと統合失調症は、統合失調症やそれに連続する障害や病気を、ひとつのまとまりとした呼び名「統合失調症スペクトラム」という考え方のなかのひとつ、であるらしい。

私は、とにもかくにも気になることがあったら、まずは本を読み学ぶ、このことをマイポリシーにして生きている人間なので、当然のことながら、この統合失調症や統合失調症スペクトラムに関しても、様々な本を読み学んできた。



脳科学などのマニアックな知識がなくても、わかりやすいようにまとめられているこちらの本にも、とてもお世話になったので、ご紹介したい。

「自分は、ひょっとしたら統合失調症なのではないか………?」と思い始めた最初の頃などに読むと、いいのかもしれない、こちらはそのような本だ。↓↓↓




正確にいうと、私の母が昨年の夏に精神科へ入院したときの診断名は「妄想性障害」だった。

こちらの本から引用させていただくと、

統合失調症とは→
妄想、幻覚、思考障害、まとまりのない行動、興奮状態、昼夜逆転(不眠)陰性症状のうち、二つ以上が現れる。現れる症状のうち、少なくとも一つは幻覚、妄想、思考障害のうちのどれか。

「統合失調症スペクトラムがよくわかる本」より引用

それに対して、

妄想性障害とは→
上記の症状のうち「妄想だけ」が症状として現れた場合に、妄想性障害と診断される場合が多い。

「統合失調症スペクトラムがよくわかる本」より引用



私の母は、昨年の夏よりも、明らかに今回の入院時の方が、病気の症状が複合的に現れていた。

妄想、そして幻覚があって、常に興奮した状態であったし、生活リズムもめちゃくちゃになって、夜眠ることが出来なくなった。それに伴って食欲もみるみるうちに無くなって、一時的にではあったが、母はやせ細って行った。

「こうなってくると人はもう「」についてを考え始めてしまうものなのだな……」と母の娘であり、そして変態的なまでの脳科学、そして心理学オタクでもある私は、妙に冷静に考えてしまったのだった。

そして不謹慎であるな、とは承知しながらも、非常に興味深く、そんな母のことを観察していたことを今になって思い出している。



ここまで書いて来たように、私の母は、統合失調症だ。

ということはすなわち、彼女のひとり娘である私にも、もれなくその遺伝子が受け継がれている、ということでもある。

まだnoteを始めるずっと前、数年前、私が30代に入ったばかりの頃だっただろうか。まだ今よりもずっとメンタル弱々女だった私は、母の病と本格的に向き合うようになり、その統合失調症の遺伝子が自分の中にも間違いなくあるんだ、という事実を知って、衝撃を受けた。

私がまだ実家暮らしをしていた学生だった頃は、私の父は母の病気についてを知り、ひとり苦悩していたにも関わらず、娘である私に、その運命を背負わせてしまうことを心苦しく思ったのだろう、何も告げてはくれなかった。

そして私自身も結婚をし、二人の子供たちの母になって、あの頃の自分に比べれば、少しは強くなった。

病に倒れた父に代わって母を支えるようになって、すべてを知った私は、何年もの年月を重ね、この受け入れがたい事実を、自然と受け入れることが出来るようになった。


統合失調型(スキゾタイパル)パーソナリティー障害



先程ご紹介した本や、その他の数冊の本を読んで気が付いたのだが、おそらく私は軽めの「統合失調型(スキゾタイパル)パーソナリティー障害」の傾向あるのだと、自分で自分のことをそう思っている。

統合失調型(スキゾタイパル)パーソナリティ障害とは何か?→
統合失調症スペクトラムのなかでも、病気ではなく「パーソナリティ障害」としてとらえられているタイプ。様々な要因が重なって、統合失調症の遺伝子を持ちながらも、発症はしていない、という状態のことをいう。

(パーソナリティーとは、周囲の人や物事に対するときの考え方や、行動パターンのこと。)

統合失調型パーソナリティー障害では、独特のこだわりや思い込みのために、周囲から孤立しがちです。本人にとっては人と関わり合うほうが苦痛なことが多く、すすんで人間関係を求めることはほとんどありません。

「統合失調症スペクトラムがよくわかる本」より引用



う~ん………。

最後の部分は、私は当てはまらないな、と思った。

私は、基本的には人が好きだし、人とコミュニケーションを取ったり、会話をしたりすることも、とても好きだ。人見知りなども、あまりしないタイプなのだと思う。

でも「独特のこだわりや思い込み、そして思考癖がある」ここはもう、ほんとにそうだな~て思ったし、ご存知の方も多いとは思うが、私にはなかなかに特徴的な妄想癖がある。

そして私は、人も好きなのだけど、ひとりでいることもとても好きなのだ。


「孤独じゃなくて、孤高に生きる」&本記事まとめ



私の友人がいつだったか「自分は孤独じゃなくて、孤高でありたい。」そう言っていたことを、今思い出した。

孤独とは?グーグル先生にお尋ねしてみたところ「頼る人が居なくてひとりぼっちである状態」のことをいうのだと。

それに対して孤高とは「理想や信念に基づいて、集団に属さず他人と距離を置いている人」そう出てきた。

私自身も孤独ではなく、孤高でありたい、そう思っている。

自分自身を追求、そして分析し、自分が抱く理想を追い求め、人生の最適化を目指す。私は、このことを心に抱きながら自分自身の感性を信じ、前に進んでいる。



いつだって己の敵は、己の中にある弱さなのだ

私はそう思っているから、HSPやエンパスの気質を持っていようが、統合失調症の遺伝子を持っていようがなんだろうが、何度失敗して打ちのめされようが、とにかくいつだって自分の弱さから目を背けずに怖くても、人生新たなことにチャレンジし続けるだけだな〜と、そう今は思っている。



 

ということで、今日は日中から気合を入れて、4000字超の大型カミングアウト記事を書くに至りました。

今とてもお腹が空いていて、お腹がぐ~ぐ~となっているので、とりあえずご飯をもりもりと食べて来ようと思います。



長い記事にも関わらずここまで読んでくださった方、人生の貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

また明日、おやすみなさい。


(よろしければこちらの記事も、よろしくお願いします!↓↓)


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マナヒロ
記事を読んでいただきありがとうございます☺️これからも真摯に文章を書くことを追求して行きます。よろしくお願いいたします!