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6,000文字を超えているので、長いです。笑
覚悟が必要です!
今後も、更新していきます。

それでは、どうぞ、Manamiの世界へいってらっしゃい。


✅プロフィール 1986年8月生まれ アラフォー

出身地:埼玉県
居住地:神奈川県

幼少期からサザエさんと同じ生活
母方の祖父母、父母、年子の弟の6人暮らし

■幼少期  ほぼ記憶にないが、外で活発に遊ぶ    

記憶に残っていることは、  
母に怒られるのが怖くて怖くて仕方がなかった。    
母の言うことは絶対。反抗してはいけない。  
母の機嫌を損ねてはいけない。     

怒られるときは、誰もいない部屋。お風呂。

家から出ると、怒られないから  
精神的に楽だった。  

褒めれたことはなく、
自分はダメな人間ではないかと思うようになる。  

小学校3年生からバスケットボールを始める。  
高校3年生まで。  

勉強は出来ないけど、運動は出来たので、  

練習すると上手くなっていき、
小学生4年生からレギュラーに選ばれる。

そこから東部選抜、市の大会優勝を経験。  

だが、肝心なところで、シュートを外したり、
ファールをしてしまうことから、  
母からのダメ出し攻撃を受け、
応援に来られると余計に固まってしまう。
緊張が増してしまって、本来の姿でプレーができない。  
それが仇となり、更に怒られる。  
自分に自信がなくなる。

小、中、高とどこにもいるような真面目で  
先生の言うことはきくタイプ。  

勉強は出来なくて、塾にも行かせてもらうが、  
成績はよくならず、お金をかけているのに、  
結果がでないと、怒られる。  

勉強できる弟と比べられ、運動だけの子と認定される。 。。   

高校進学も、バスケットボールの推薦枠で入学。  

そこでもレギュラー、選抜に選ばれる。  
だた、校則が厳しい、監督は怒ると練習に出てくれない。
口をきいてくれない。  
そんな状態が多かった。  

高校でバスケットボールがイヤになっていく。
楽しくない。
でも推薦で入ったから、辞められない。
やるしかなかった。

高校生になって初めて、骨折2回、疲労骨折、肉離れを経験。  
ギプス、松葉杖での生活。ケガが多かった。  

大学受験。  
バスケットボールばかりしてきたことから、  
勉強が更に出来なくなっていて、大学に入学するのも難しい状況。  
内申点だけが私の救い。  

クラスで1人だけ、大学に合格せず、決まらない。  
努力しても結果にならない、人生終わってしまうかも。  
卒業後は、フリーターになって、アルバイトか。  

暗い部屋にこもって、一人で泣き続ける日々。  
ゆずの「栄光の架橋」を何度もリピート。  
そのとき、初めて母がドア越しで、
一緒に泣いてくれていたことを知る。

母は、私に寄り添ってくれるんだ。と、
怖いけど、本当は愛情深いのではないかと思うようになった。

大学は唯一、1校合格。
大学まで往復4時間の学生生活が始まる。

何となく入った大学。
将来やりたいこともなく、
何となく入れば、就職に有利。
それだけだった。

バスケサークルに入るが、
お酒の飲み方が激しい。
みんなうるさい。常にテンション高い。
スウェットでいるのがデフォルト。
違和感しかなかった。楽しくない。

夜も遅くなることが増えて、
母の怒りモードが増える。
大学生になっても怒られることは普通だった。

親元から離れて生活している人が羨ましかった。

交通費、教材費、洋服等々娯楽は、
全てアルバイト代。
アルバイトしないと、娯楽が楽しめなかった。

時給の高い早朝バイト、ドトールでアルバイト、
夕方はRF1という総菜屋さんでアルバイト。
勉強というより、掛け持ちでアルバイトすることで、
何とか学生活を送っていた。

旅行にいくことなく、趣味もなく、
アルバイト代でできることを
毎月することで精一杯だった。

就職活動、ここでまた自分の不甲斐なさを知る。
履歴書、自己PRも書けない。
大学でしてきたことは、アルバイトばかり。

ちょうど、リーマンショックが始まった頃で、
募集人数の枠も減り始めた。
更に窓口は絞られ。
何十社にエントリーシートを書いても、
不合格ばかり。

もう私って、、、大学受験の頃を思い出す。
特別やりたいこともなかったので、
不合格になるのも当然で。

同じことをまた繰り返してしまったと、
何も考えて生きていない自分に腹立たしかった。
就活アドバイザーの方に、
何もやりたいことがないなら、
事務職をメインに探していきなさい!と、アドバイスをもらい、
事務職を中心に、エントリーシートを書くようになった。

そして、1社。内定をもらうことが出来た。
唯一内定をもらえた会社が、現在の会社である。

2009年4月入社。

都内の高層ビルで、お財布を持ちながら、
ランチに行けて、オフィスでワイワイしながらも、
事務をチャチャチャっとこなしているところをイメージしながら、
希望を膨らませ、キラキラしていた。

が・・・・

一変。

配属されたのは、北関東支店。
埼玉県さいたま市。
最寄りは大宮駅。

今は、大宮も住みたいまちランキング上位に入るような場所になったが、
当時はそこまでにぎわっていなかった。

オフィスは雑居ビル。
10年以上異動のないお局様ばかりで、
新入社員が入るのは、10年振り。

夢見た世界とはお門違い。
もうやめたい。
雰囲気暗い。
シーンとしている。

私ってなんで、こんなについていないんだろう。
なんで、こんな人生なんだろうって。

自分がイヤになった。
それでも働かないと。
両親にたくさんお金をかけてもらったから、
その分返していきたい。

まずは免許費用を返す。
その一心で乗り越えてた。
OJTの先輩は入社16年目。
怖い。

覚えの悪い私は、
何度も聞いてしまうし、
なかなか理解できなくて、思わず泣いてしまったことも。

それでも、こわかった先輩だけど、
見放すことはせず、時間が掛かっても面倒をみてくれた。
感謝しかない。

支店長は、部下に優しく、上司や役職のついた人には、
噛みつくタイプ。
社内でもなかなか珍しいタイプで、
目を付けられていたが、私たちが働きやすように、
長年働いている人を異動させ、支店に新しい風を吹かせるように、
動いてくれた。
私は、変わった支店長だったけど、
この支店長でよかった!

よく奢ってもらった!笑

メンバーは変わるのはよかったが、
同僚の体調不良、派遣社員の定着率の悪さ。
どんどん人がいなくなっていく事が多くなり、
それを全て引き受けることになる。

残業ばかり、
寝不足。
若さゆえに乗り越えられた。

ただ胃腸炎になることが多く、
太っていた私が、どんどん痩せていく。
周りもビックリするような状態。

痩せて嬉しかったけど、よくない痩せ方だった。

2025年結婚することとなり、
北関東支店→横浜支店に異動。

住まいは、埼玉県から神奈川県へ。
夫の社宅に住むことに。

初めての引っ越し。
キッチン、お風呂、お部屋、全てが最新式で、
夢見る新婚生活なんて、思っていたのは、一瞬で終わる。

なんと40年前に建てられた昔のアパート。
お風呂は、石畳でマットを敷かないと座れない。
ガスは、ガス栓を回して、レバーをくるくる回さないとお湯がでない。
温度調節が難しい。部屋も狭くて、虫がよく出る。

綺麗好きな私にとっては、生きた心地がしない場所でした。
そこで1年半過ごす。
駅からアパートまで、ものすごいアップダウンで、
毎日が軽い登山のよう。
妊婦中は、本当にきつかった。

その社宅も取り壊しとなり、
強制的に借り上げ社宅に。
UR団地に引っ越すことに。
古いけど、社宅よりはよくて、
やっと普通の生活になれたと、ホッとした。

2016年5月に娘が生まる。
里帰り出産で、産むため、
実家に2ヶ月ほどいることに。

祖母、父、母、みんなが楽しみにしてくれていた。

右も左もわからないけど、
なんとか育児をこなし、
「寝不足だからって、疲れ切ってるんじゃないよ」と、
スパルタ・・・

正直、自分の家に早く戻りたかった。
なんか自由じゃないし、やっぱり気を使ってしまって、
居心地が良くない。

祖母が認知症になったこともあって、
母も精神的にピリピリしていて、
タイミングが悪かった。

娘が1歳になる年に、職場復帰。
家事、育児、仕事のトライアングル。

ママになっても働くことに憧れていたけど、
憧れとは違って、常に時間との戦い。
慣れないこともあって、イライラしている。
余裕がない。
常に作り笑い。

娘が0歳ので保育園入園だったので、
可哀想な気持ちが強く、2歳まで授乳していた。
娘の精神安定剤。

その反面、夫のちょっとした行動にイライラすることもあって、
夫婦仲がうまくいかないことも多々あった。

娘がパパ嫌って拒否することから、
夫は傷つき、凹むばかり。
その姿がイヤだった。
そういう時期と言っても、
パパ嫌っていうから、今は娘に近寄れない。とか。。

なんなんだ!って、
イライラ。ふつふつ。

時間が経つに連れて、
解消されていったけど
現在息子がパパイヤイヤ病。笑

仕事は、量ばかり増えていって、
残業をしないように
毎日が必死。

子育てしながら働くってこんなに大変なんだ。
何で、満員電車に乗って、潰されて。会社行って。
仕事と時間に追われて。
全然楽しくない。
辞めたい。
でも辞めたら、生活していけない。
そればかり思う毎日。

そこで、当時はアメーバブログを読んでいました。

ママでも起業して
月7桁。会社を辞めて自由な生活を。
キラキラワードが、たくさん目に入ってきました。

毎日見ているから、だんだんその気になってきて、
副業とかやったことのない私ですが、
30万支払ったら、人生変わるんだ!って、
それしか思えなくて。
夫を説得して、30万円を支払った。

そのとき、起業の意味も分かっていなくて。

ただ会社を辞めたいから。って気持ちだけで。
お金を払えば、月30万円は固定で入ってくるって、
勝手に思い込んでいた。

実際3ヶ月で結果を出すという内容。
えっ!?何それ?結果。

動画をみて、毎日LINEで日報を出す。
日報から返信がある。

自己分析、ビジネスとは、
アメーバブログで発信して、
あれこれやるんだけど、
ちんぷんかんぷんで。

講師の方もだんだん、私にイライラしてきているのを感じて、
途中で放棄してしまった。

こんなんだったんだ。
何も調べてなくて、お金さえ払えばっていう考えがそもそも間違っていて。

本当に、私ってバカだな~って。
私って、何もわかってない。

この30万円を取り戻すために、
今の会社で必死に頑張るしかないと、
やるしかなかった。

夫も30万円がパーになってしまったこと。
呆れていた。

お金さえ払えば、何とかなるって、
そもそも甘いよね。

でも、本心は仕事を辞めたいから、
鴨頭さんや両学長の動画をみて、
気休めな感じで、私には無理だけど、
こんな人いるんだな~って。
何となく、YouTubeをみていた。

そこから、とにかく一生懸命仕事にコミット。
私は、労働でしか収入は得られない。
私は、人の言いなりにしかなれない。
そうやって思い込んでいた。

2020年に妊娠がわかり、育休を取ることになるから、
なんか始めようって思っていた。

理由はないけど、なんとなく、英語をやろう!
娘をECCジュニアに通っていたので、
なんとなく英語に興味を持つ。
英語を話せたら、なんとなく、かっこいい。
転職できるかも!っていう、淡い期待。

一般動詞、be動詞を忘れるくらい英語初心者。
独学でYouTube見ながら、英語の勉強を始めた。
学校の勉強は、YouTubeでいいんんじゃないってくらい、
わかりやすい。

学生のとき、全然英語わからなかったのに。
今ではスラスラと頭に入ってくる。
時間が経つことで、言葉の意味も理解しているし、
状況もわかるし、
勉強が楽しいと思えた。

そこから英検3級。英検準2級に合格。
勉強できない私でも、短時間の勉強でも隙間時間を使えば、
結果が出ることを知って、自信になる。

独学だけど、英語の本には結構投資してた。。。
良いと言われるものは、全て購入。
新品のままのもあり、ほとんどがメルカリ行き。

新しいもの、イイと言われるものには、
すぐに飛びついてしまうところ。
とりあえず、持っておこうっていうところがあった。

2021年11月に息子を出産。

2人育児しながら、子どもを優先することが更に増え。
自分の時間がない。
継続して英語を勉強してきたのに、
隙間時間のヒアリングだけしかできない。

変な焦りと余裕のなさから、
だんだん、やらなければいけない。という使命になってしまい、
楽しかった、好きになっていた英語が、
もういっかって、諦めに変わっていってしまった。

子どもを言い訳にして、手放してしまった。

2023年4月に復職。

やはり今の仕事しかない。
子どもが2人だから、更に働かないと。
伸し掛かる変な圧。

自分に余裕がなくて、
子どもたちの癇癪が更に私を奮い立たせ。
怒り爆発したり。
子どもたちに言いたくないこと、
「うるさい!泣いてばかりいないで!」
「わがまま言わないで」
「いい加減にして」

使いたくない言葉を使うことも増えていた。

こんなんじゃなかったのに、
子どもたちから離れて、
1人で泣きながらこもる。

子どもたちは、私が怒鳴ったことも忘れて、
ケロッと現れて、私をのギューをせがむ。

何やってんだ!って、更に涙が出て、
子どもたちを抱きしめる。

「ごめんね。」

このときから、
そんな姿を見せないように、
子どもたちには、笑顔で接しようなんて、
決めつけて、余計に生きづらくなっていることに気づき。


私は完璧じゃない。
真面目で、不器用で、一人で頑張っちゃう。

だから、子どもたちに、ありのままを見せることが、
本来の私を知ってもらうことだ!って、
気付いた。

私が私らしくいることが、一番。

そんな風に思えるようになってから、
喜怒哀楽を見せられるようになって、楽になった。

今まで、
母を理由に、お金を理由に、自分と向き合うことを避け、
我慢して、
八方美人で、陽キャを演じて、
色んな人に声を掛けて、
話しかけやすいオーラを出して、
自分の意見は押し殺してきた。

嫌われないように、人に合わせるように、
争いごとからは避け、気を使える人を装ってきた。
猫被ってた。

もう、そんな私とはおさらばしたい。

私が、私と向き合うことを避けて
自分で選択してきたことが、
今の人生を作ってきたという事実に
やっと気づいたから。

本当の自分。心の声をこれからオープンにしていきたい。
素直に、正直に。

まだ自分のことを理解できていないし、
私は何がしたいのか、明確ではないけど、
自分の人生を変えたいって本気で思っているのは、確実。

今すぐに、自分の環境を変えることはできないけど、
副業を始めて、関わる人を変えた。
これも自分で決断して、始めたこと。
これだけでも前に進めている。

そして今、自分でお金を払って、
ビジネスの本質を学んでいる。
これも、自分で決めた、自己投資。

今まで、自分に使うお金はすべて、
子どもたち優先で使ってきた。
そんな私が、自分に自己投資。
スタバのコーヒー買うのも渋るくらいの私がですよ。笑

ここまで、自分の過去を語ってきました。
自分史です。

ビジネスをやるには、自分史を作るのが必要って、
学んだので、1つ1つチャレンジ中。

リアルタイムな発信をこれからも、noteで発信していきますので、
よろしくお願いします😊

Manami


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Manami 自分に素直に、自分に正直に、自分で切り開く人生に✨ 
お越しいただきありがとうございます😊これからも学びに投資し、よりよい記事を心を込めて投稿していきます!よろしくお願いします😊✨

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