故郷 を想う
私には帰省 という言葉が存在しない。
実家は生粋の東京。
出身だけ兵庫県宝塚市であるが、当時父の転勤でたまたまそこにいただけ。幼いうちに東京に戻り、かれこれずっと都会暮らしをしている。
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私は昔、そこまで行動力のある人間ではなかった。不自由なく暮らせれば、今ある環境に落ち着くことができれば、それで十分だと思っていた。ところが、大学の時のある出会いがその後の私の人生を変えるきっかけとなった。
それは「写真を撮ること」
私は大学に入ってから、大切な人に影響されフィルムカメラを始めるようになった。日常の些細なモノから出かけた時の景色など、技術面などど返しで感覚で撮ることを楽しんでいたら、次第に「表現する」ということに関心が深くなっていた。
ある時「もっと表現する写真を撮るためには」と、都会ではない自然豊かな土地をもとめ、たまたま冊子で見つけた小豆島へ突如ひとり旅へ出かけてみた。
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フェリーを降りた時の空気は新鮮だった。
聴こえてくるのは自然の音や鳥のさえずりだけ。
純度の高い澄んだ空気。
都会では考えられないくらい人もいなくて、取り残されたような自分にわくわくさえしていた。
そこから私の「行動力」は生まれた。
情報だけでは覚えることはできても学ぶことはできない。自ら体験することで学ぶことができる。自分なりの考えも生まれてくる、と。
この頃から、無駄に地図を見るのもすきになっていた気がする。地図を見るだけで旅の目的地を決めるのが楽しくなっていたのだ。
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かれこれ時を経て、私は航空業界の仕事を始めた。旅好きだった私は、遠出することも多くなっていた。
さまざまな地域を見てきた。
心地よい景色や人、美味しいや楽しいを多くの場所で感じてきた。
入社2年ほど経ったある日、社内で定期的に行われていた地域のマルシェで出会いがあった。
この日の地域は山形県鶴岡市。
「赤川の花火は本当に凄いから、今度きてみい!」
パンフレットを手に取り話しかけられたその一言がきっかけで、私はその年の夏、赤川花火大会を訪れていた。
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花火大会の当日、私は不思議と縁を感じた。
たまたま河川敷で話しかけたおばあちゃん。遅れてきたお孫さんが、身近にいた会社の先輩の幼馴染であったのだ。
故郷でもなければ、住んだことも降りたこともなかった見ず知らずの土地。なのに私は、その時に強い縁を感じた。
一度きっかけができると、またと訪れる機会もでてくるもので、自然と降り立つ回数が増えてきた。
訪れるたび知ることが増える。出会いも増える。
見たい景色も増えていく。自分の足で多くの楽しみを見つけてきた。
ある時、地元の方からこんな話を聞いた。
ほら、ゴミもたくさん増えると後片付けも大変だしね!と加えて話されていたけれど、根底にある想いはしっかり心に響いた。
一番を求めすぎない謙虚な姿勢。
地元の人々に喜んでもらえることを心から楽しんでいる姿勢。
別の場所では、Iターン移住者の方からこんな話も聞いた。
私はこれらの言葉聞いた瞬間、この土地を本当に大切に想いたいと強く思った。
そして、ゼロから始まった旅が5年も経った今、山形庄内地方の魅力を伝えられるまで、人をはじめ自然も食も文化もだいすきになっていった。
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私には帰省する土地はない。
ただ、想う「故郷」ができた。
自らの好奇心や行動力で得られた出会いから
本当の「心地よさ」を見つけたから。
そこには、パンフレットだけでは見つけられなかった出会いがたくさんある。
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「心地よい」とはなにか。
前にあるところで「心地よさとは、身の丈の中の最上級」だと印象的な言葉を見つけた。
心地よさはゼロから見つけるものではなく
自分の中に蓄積されたものである、と。
つまり、自分にとっての心地よさを知っているということは、その人なりの経験の重なりがあるということ。もちろん私もまだまだ知らない世界は沢山あるけど、それでも自分なりに様々な地域を訪れた結果、見いだせた心地よさがあった。
何度でも訪れたいと思える、
そしてずっと大切にしたいと思える、
そんな「故郷」が、今の私にはしっかりある。
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