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人生の停車場がここにある。

すごく年季を感じるというか、まるで時が止まっていると錯覚するようなレトロな喫茶店が好きでよく行く。店内の空気は少し冷たく、何とも言えない趣きがある。

営業時間は七時から。もちろんそんな開店早々に押しかけるようなことはない。朝起きてシャワーを浴びて一通りの準備を済ませてから店に向かう。店までは徒歩五分。昨晩の酒が呼気から漏れ、朝の澄んだ空気と混ざり合い、そして消えていく。

店内はいつも地元の常連で賑わっている。昨日の阪神がどうだとか、コロナがどうだとか、大した話は何一つない。正直耳に入れてもしょうがないような話ばかりだが、何分声量が無駄に大きいために嫌でも聞こえてくるのだ。

いつものように朝のモーニングセットを食べながら店内の本棚の上部に置かれているテレビを見ていると、南杏子さんの「いのちの停車場」を取り上げた番組が放送されていた。

食べてる最中は朝刊が読めないので何気なく見ていたのだが、これがなんとも興味深い。

ある女医が長年働いていた急性期の現場を離れ、在宅医療に従事することになる話。いのちの向き合い方にフォーカスしたストーリーである。大学で幾度となくそうしたテーマの講義はあったのだが、そんなことをするよりこの書籍を一冊読むことで十分賄えるのではないだろうか。

またその物語だけではなく、南杏子さん自身の経歴も非常に興味深かった。再受験で医師を志し、2歳になる娘を抱えて33歳の時に大学に入学。その後医師として働いている最中に小説執筆を始め、2016年『サイレント・ブレス』でデビュー。何歳になっても新しいことにチャレンジするその精神力や積極性が本当に素晴らしい。自分もそんなふうに生きていきたいものだ。

そんな南さんは番組内で夫を始めとする周囲の方々への感謝を何度も口にしていた。夫が家事をしてくれたから自分は医学の道に進むことができており、また小説執筆を行えているのだ、と。

さて、自分はどうだろうか、と考えた。来年から医師として社会に出るわけだが、医学部に入りこうして確実にステップアップしているのは自分の努力によるものだと勘違いしていないだろうか。医学部に入ることができたのは、予備校で授業を受ける資金を出してもらえたからであり、こうして卒業が近づいているのは授業で使う教材も実習で必要な白衣や聴診器も全て用意してもらえたからだ。

『医師になる』

これはたしかに並大抵の努力ではなし得ないことであろう。これまでを振り返り、多くの時間を机に座り過ごしてきたことは自分が一番よくわかっている。ただそれで周りへの感謝を忘れ傲慢になってはならない。自分がこれまで受けてきた恩を医師として社会に還元するのが最大の恩返しだ、そう決意を新たにした。

番組視聴と自らを省みることにすっかり時間を取られ、気づけばもう店を出ないといけない時間である。読みかけの朝刊をしまい、伝票を手に立ち上がる。入店前とは違って踏み出す一歩一歩に重みがある。また今日も一日が始まるのだ。

人生について考える機会は貴重だ。目まぐるしく過ぎる日常の中ではそうした時間はなかなか取れない。

そんな僕にとってこの店はまさに「人生の停車場」なのかもしれない。

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Joyman
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