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【短編】コインランドリーにて
洗濯機が壊れた。
ある日突然夜中に、カタカタカタ……という小さな音を立てて壊れた。
洗濯機の断末魔にしては、控えめな音だった。
仕事から帰って来て
脱ぎ捨てたシャツを乱暴に突っ込んだところだった。
マジかよ。
あちこちボタンを押したり
揺さぶってみたり
コンセントを抜いて差し直したりしてみたけれど
さっきまで元気だった洗濯機は
ウンともスンとも言わなかった。
ご臨終です。
どこかで声が聞こえた気がした。
汚れた水にぷかぷかと浮いたままのシャツを見ながら
僕の人生は本当に、ろくでもないな。
と呟いた。
この小さな街に引っ越してきて最初の春。
真夜中の出来事だった。
明日着るシャツがない。
僕の人生がろくでもないのは、とりあえず置いておくにしても
明日仕事に着ていくシャツがないことには
明日が始まらない。
汚れた水にぷかぷかと浮いているシャツを掴んで引っ張り上げ
雑巾みたいに絞り上げて
スーパーのビニール袋に突っ込んだ。
歩いて5分くらいのところにある
コインランドリーを思い出していた。
24時間営業だったかな。
いや、24時間営業であってくれ。
スウェット姿のまま、財布と鍵だけ持って家を出た。4月の夜は思っていたよりも寒い。
時折り吹く風に首をすくめながら、トボトボと歩いた。
小さな街の小さな飲み屋街を抜けた。歓送迎会の季節だからか、こんな夜中でもあちこちに賑わう人が見えた。
客引きの男が居たが、声をかけられなかった。
僕はいつも、そういう人間だ。
客引きに声をかけられたことはないし
無料配布のティッシュはなぜか僕だけもらえないし
たまに自動ドアが反応してくれないこともある。
一つ一つは些細な事なのだけれども
僕はいつもそう言う時なぜか
「地球に歓迎されていないなあ」
と思う。
何故そう思うのかは分からないけど
小さい頃からずっと
「地球に歓迎されてない」
と思って生きていた。
だとしたら僕はひょっとしたら
地球人じゃないのかもしれない。
コインランドリーが見えてきた。
24時間と書かれた灯りにホッとする。
自動ドアはちゃんと反応してくれた。
入ってみると思ったよりも綺麗な作りで、掃除も行き届いているように見えた。
洗濯物の出来上がりを待つための小さな待合所みたいなスペースがあり
フードコートによくあるような、簡単な椅子と机が置いてある。
女性がひとり腰掛けて雑誌をめくっていた。先客だろうか。
僕はいちばん端っこの洗濯機を選び
表示に従ってコースを選んで、百円玉を何枚か投入した。
ゴオンという音がして、洗濯機が回り出す。
僕のシャツが一枚だけ、ぐるぐると回る。
他の洗濯物も持って来れば良かった。
どうして僕はいつも、そう言うことに気が回らないのだろう。
小さい頃からずっと
一つ気になることがあると
それが頭の中をぐるぐると回って
その事以外は何も考えられなくなるのだ。
僕の頭は
ちょうどこのコインランドリーみたいなものだ。
シャツのことが気になり始めると
シャツ一枚だけが
頭の中をぐるぐる回る。
洗濯して、乾燥して、シャツはシャツの形を取り戻して、すっかり何もなかったことになるまでは
シャツ一枚だけが、永遠にぐるぐると回る。
僕はため息をついてコインランドリーを見つめる。
もう、シャツだけ見つめていよう。
他のことは何も、考えたくないな。
ポツンと一脚だけ放置されていた椅子に座って
ぐるぐる回るコインランドリーを見つめた。
見つめているうちに
眠ってしまったらしい。
夢を見た。
昔の夢だ。
遠い昔になんだか
幸せだった夢。
よくわからないけれど
とても暖かくて心地よい夢。
トントン、と肩を叩かれて目が覚めた。
目を開けると、先ほど待合スペースに腰掛けて雑誌を読んでいた女性が
微妙な距離を取りながら僕の肩を叩いていた。
「わっ」
びっくりして飛び起きた。
眠っていた?
眠っていたのか。
一瞬ここはどこだろうと思って
すぐにコインランドリーだ、と思い出した。
「あのね」
女性はおっかなびっくり、洗濯機を指差した。
「せんたく、おわってる」
ああ……
そうか
シャツを洗濯していたんだった。
「ありがとうございます……すみません」
恥ずかしいやら寝ぼけてるやらで
どう振る舞っていいのかもわからず
とりあえず頭を下げて洗濯機を覗き込んだ。
シャツは綺麗に乾いていて
何事もなかったかのような顔をしていた。
シャツを乱暴にビニール袋に突っ込むと足早に自動ドアに向かった。
その瞬間、ガツン!!と音がして目の前に火花が散った。
あ、やってしまった、と思った瞬間、自動ドアが遅れてウィーンと音を立てて開いた。
まただ。
自動ドアが反応してくれなかったのだ。
どうしていつも、こんなことばかり。
額を抑えてうずくまった。
なんかもう、情けないな。
僕の人生、こんなことばかりだ。
「大丈夫?」
さっきの女性がうずくまった僕を心配そうに眺めている。
「大丈夫です……」
僕はそう言いながらなぜか、泣いていた。
「僕の人生、こんなことばっかりで……」
そう、こんなことばっかり。
いつもなんだか、ここに居るのか居ないのか。
そんなことばかりだ。
あれやこれや
ついでに泣いてしまった気がする。
情けないけれど
涙が止まらなかった。
しばらくそうやってうずくまっていたけれど、流石にまた恥ずかしくなってきて
「すみません」
と小さくつぶやいて立ち上がった。
バツが悪い。恥ずかしい。大の大人が何をやっているんだ。振り向かずに行ってしまおう。そしてもう二度とこのコインランドリーには来ないことにしよう。
そう思って自動ドアをくぐろうとする僕の腕を女性がツンツンとつついた。
振り返ると何か小さな包み紙を差し出している。
「チョコレート」
僕の手のひらにポイ、と銀色の包み紙を放り投げてくれる。
「いいことあるよ」
ニカっと女性は笑って、Vサインを出した。
ありがとうございます……。
僕はまた涙目でそう言った。
そして深々と頭を下げて
コインランドリーを後にした。
すっかりと夜の更けた街を歩く。
女性がくれたチョコレートを口に入れた。
ほろ苦いビターの味がした。
人生みたいでしょう
という声がどこからか聞こえた気がした。
自動ドアが反応しなくても
とりあえず明日のシャツがあって
親切な人にチョコレートをもらえて
そして明日がちゃんとくる。
頭の中でぐるぐる回る問題は
まとめてコインランドリーにかけてしまえばいい。
洗ってすっかり綺麗に乾かして
そしたらまた
明日が来るのだ。
何があったわけでもないけど
なぜかとても良いことがあったような気がして
帰り道の足取りは軽かった。
小さな飲み屋街を抜ける。
「お兄さん、キャバクラどうですか?」
客引きに声をかけられた。
僕は笑った。
「また今度」
生きていればこういう日もあるのだ。
空にはぽっかり月が浮いている。
満月だった。
明日はきっと
晴れるだろう。