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【依存と共存と生きる人】
依存してはいけない。
共存こそが正解だ!!と言う言葉を見かける。
これは、正解では無く
共存が正解だという人の”納得解”なのである。
彼らは、正解欲しさに納得解を正解だと信じたいのだ。
『成功したいなら、会社に依存することを辞めろ』
『自立するには、依存を辞めろ』など
依存を『悪』だと決めつけ、自立した自分たちが『正義』だと言っている。
その言葉に丸みは無く、
針葉樹のように尖った『言の葉』のようだ。
言いたいことはすごくわかる。
私も、そんな時期がありました。
依存していたら、成長できないよう様な気が
するのです。
だから、依存から抜け出さないといけないって
気持ちになるのですよね。
でも、よく考えて見て下さい。
世の中、依存してみんな生きてませんか?
例えば、たばこが辞められない人。
タバコがあるから、多少はイライラするけど
毎日仕事が出来るのでないでしょうか?
昼休みに、ちょっと一服。
よし、昼からも頑張ろうと思えるのです。
会社員の人なら、
会社に依存して、給料をもらっているから
趣味にお金を使うことが出来るのではないですか?
もうすぐ、給料日だ。
週末は、○○へ行って、○○を買おう。
これも立派な依存です。
じゃ、たばこを辞めて依存先が無くなったら
どうなるでしょうか?
アルコールに奔る、ドラッグに奔るということは
自身を傷付ける事になり、それは避けたいことです。
なので、依存することは絶対悪ではないのです。
もう一つの例としては、
夫婦関係においても共存が良いと言われます。
確かに、お互いを高め合う関係は良いことですが
依存の関係であっても、家族やお互いが幸せなら
それでいいのではないでしょうか?
私は、依存しています。
細かく言うと、夫婦関係は共存ですが
妻を愛している自分に依存をしています。
いわゆる、ナルシスト体質と呼ばれるものです。
これでも私たちは幸せなのです。
果たして、依存は”悪”か”正義”か。
依存を否定するのであれば、共存を肯定する事になる。
共存を否定すれば、依存を肯定する事になる。
実質、どちらも正解ではないのだ。
世の中に、正解は無い。
あるのは、自身が納得するか、しないかの
”納得解”だけである。