才能、才能、才能

※大学3年の時に書いた文章です。

小さい頃から絵を描くのが好きだった。当時の私は、女の子の手の指をいかに丁寧に描けるかということと、アンパンマンの顔にある3つの丸を、重ならないように、そして離れすぎないようにぴったりくっつけて描くということに執心していた。絵を描けばみんなに褒められるから、家の裏紙入れが空になるまで絵を描いた。「将来は画家さんかな?」なんてみんなに持ち上げられた。
小学校に上がり、中学校に上がり、女の子たちはカーストを形成するようになった。私は人見知りの優等生だったので当然カーストは下の方だったが、勉強の成績と絵の上手さをアイデンティティにして、自分を保っていた。私は昔っから、自分の絵の上手さに関して根拠のない自信がある。その自信は、高校1年生で初めて美術予備校の夏期講習に行った時にもなぜか揺らがなかった。自分より遥かに絵が上手い人たちと対面したのにも関わらず。「まあもちろん自分より上手い人は沢山いるけど、私も初めてデッサンしたにしてはいい線いってるっしょ!」とか呑気に考えていた。ある意味、この呑気さがあるから今でも絵を描き続けられているのかもしれない。
高校3年生になり、本格的に美術予備校に通い始めてからも私の自信は揺るがなかった。自分のことを最強だと思っていた。事実予備校の講評での成績はずっとよかったし、そのことで私は絵を描くのがもっともっと好きになった。
高校にあまり行けなくなった。美大志望だから、私文を目指すクラスに入れられて、私はそこの女の子たちとあまり馴染めなかった。毎日美術室でお弁当を食べた。予備校に行くことだけが救いだった。どんなに落ち込んでいても絵は描けるし、絵を描けば講評で褒めてもらえるし、受験のために絵を描いていれば高校なんて行けなくても関係ないと思った。
でも、全落ちした。藝大は1次で落ちて、多摩美は補欠合格だったけど、確か21番目とかだった。結局繰り上げにはならず、浪人が決まった。
私は絵に関して、呑気ではいられなくなった。新しく入ってきた現役生の子がみんなデッサンが上手くて、私は調子を崩した。現役の頃は感覚で何となくできていたことが、途端にできなくなった。私は写実的な絵が上手いわけじゃない。ただなんか色彩感覚がよくて、絵心があって、無自覚にいい感じの絵を描けていただけだ。無自覚な才能にはいつか終わりが来る。それを思い知った。でも私は、写実的に絵を描くということを練習しようとしなかった。そんなのはつまらないと思った。一刻も早く、現役生の頃の感覚を取り戻したいと思ってがむしゃらに描いた。ゴミみたいにデッサンの狂った、絵画的にも美しくない絵をどんどん生産した。高校を卒業して、化粧を覚えて、朝出かける前にせっせと化粧をして、予備校に行って、絵が上手く描けなくて、トイレでマスカラが落ちるまで泣いた。私と同じく浪人した同期は、夏になると予備校に全く来なくなった。でも私は絵を辞める方がよっぽど怖くて、よくない絵をひたすら描いた。
予備校の先生たちはみんな面白かった。夏期講習のときにはモチーフのセッティングを手伝いながら、先生たちと一緒に「1番ドラえもんのモノマネが上手い人がその覇権を握れる」という謎の対決をした。
あとは、毎日昼の授業と夜の授業の間にクロッキーの時間を設けてくれて、先生たち自らポーズを取ってくれた。私は毎日毎日クロッキーをして、人物デッサンがだんだん上手くなった。それが、スランプの突破口になった。
高校生の頃の私は、基礎を飛ばしていきなり応用をやっていた。それで変に上手くいってしまっていたのだ。そのまま大学に入ってしまっていたらと思うと、すこしぞっとする。予備校は生徒ひとりひとりの面倒を見てくれるけど、美大は基本放任だから。現役で受かっていたら、私は大学1年でスランプを迎えて、そのまま絵が嫌いになって苦しんでいたかもしれない。そういう意味では浪人して、1回基礎を固められてよかったのかもしれないと思っている。
調子を取り戻した浪人生の私は、それでも藝大は1次で落とされ、多摩美に入った。
大学3年生の今の私は、やっぱり自分の絵に関して根拠のない自信を持っている。同級生が有名になったり賞を取ったりしても、「でも私の絵もいいからな〜」などと呑気に考えている。無自覚な時って、自分がいかに無自覚かに気づけないものである。美術館に行って、絵を見て、圧倒されることがある。自分より遥かに技量のある人の絵を見ると、制作過程を想像することができない。自分の認知できる範囲を超えていると感じる。それこそが圧倒される、ということだ。
でも、なんか描いてたらたまたまめちゃいい絵が描けてしまうことがある。自分が認知できる範囲を超えて。それはラッキーなことだが、でも自分が認知できていないということは再現性がないということなのだ。それは、とても不幸なことである。だってまぐれにすぎないから。
今の私はどれくらい自分の絵に無自覚なんだろうか。自分の技量以上のことは認知できないので、わからない。また、マスカラを滲ませる時期が来るのだろうか。
私はこのまま呑気なまま絵を描いてられるんだろうか。   
今は学生だから生計を立てるとかそういうことを考えなくても絵を描いていられるけど、卒業したら絵で生計を立てるのか、就職して絵を描く時間を減らすのか、どちらか選ばなきゃいけない。もう、美術をやめることは絶対にできない。
ずっと昔から、美術は私の苦しみを和らげるためのものだった。美大に入って、美術、創作活動、というものが私の中でどんどん大きな存在になって行った。それはもちろん、高校までは勉強にあてていた時間も制作に使えるようになったからというのもあるし、私の入った油絵科が現代美術をやる学科だったからというのもある。
現代美術は、「今この時代に生きている他でもない私がどういう表現をするのか」ということをずっと考え続ける分野である。
生きづらさを抱えつつも承認欲求を持て余している人間にぴったりの分野だ。
自身の苦しみについて表現すれば、それは他の人では作り得ないものということになる。そして、その時点で代替不可能性が確証される。
私にしか作れないもの。私にしか描けない絵。
つらいことがあっても、それを上手く作品として発露できれば褒められる。自分の心の奥深くに踏み込めば踏み込むほど、代替不可能性は増す。きもちいい。作品を作るために血を出すということがきもちいい。だって別に苦しくない。私はもともと苦しんでいるから。それを黙って抱えているくらいなら、少し苦しんで作品にした方がいい。
私は現代美術をやるために生まれてきた人間だとつくづく思う。技術があるとかそういう問題ではなく、性格上向いている。欠けているところを美術が埋めてくれている。だから今更辞められない。
お母さんに、「卒業したら就職して、絵は趣味ってことでもいいんじゃない?」と言われたことがある。もう、趣味なんかじゃない。絵描くの好きで、たまに辛くて、色んなこと考えて、もう自分の一部なのに今更趣味なんて呼べないよ。別に売れなくたっていいよ。売れなくたって、私はいいものつくってるし、その自負だけあればいい。お母さんは綺麗な絵が好きでしょ。花とか自然とか夕焼けとかそういうのが好きでしょ。私の絵を褒めてくれはするけど、抽象画なんかよくわからないでしょ。
お母さんは、宗教2世って言葉がトレンドになった時期に、私が救世教の教祖の写真に祝詞をあげながら、お母さんが送ってくれた冷凍唐揚げ食べるっていうパフォーマンス作品やったの知らないでしょ。パフォーマンスしながら、私泣いたんだよ。その作品が現代美術という観点からどうやって講評されたかなんて、想像もつかないでしょ。
お母さんにとっての明主様だよ、私にとっての美術は。
小さい頃の私が今の私を見たらどう思うんだろう。22にしては子供だなとかも思うだろうけど、でも私は美大に入って、小さい頃の夢どおり、画家を目指している。
小さい頃の私が、今の私の作品を見たらどう思うんだろう。なんにもわからないよねきっと。そうだよね。きれいな女の人の絵とかの方が好きだよね。


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