災害研究者が新型コロナウィルス感染症について考えてみた(3−2)感染症と危機管理サイクル
(続き)
5.感染症管理サイクルから見た日本政府の対応
これまでの政府による新型コロナウィルス感染症対策は、大まかに(i)感染拡大防止策と(ii)経済対策に分けられる。
(i)感染防止策ついて言えば、政府の対応はプロアクティブな対応ができておらず支援の内容も質量の両面で心許ない点が多々認められることは否めない。それでも、外出や事業活動の自粛要請、海外渡航や外国からの入国の禁止措置、学校の臨時休校、マスク・防護服の供給、アビガンの増産等の政策対応が実施されてきている。特に、外出自粛要請により最大で80%弱もの人通りの削減に成功している地域もあり、政策誘導により一定の行動変容が起きていると言って良い。
(ii)経済対策についても、紆余曲折があるものの、市民や企業に対する現金給付や資金繰り支援に関して様々な政策が講じられてきている。一律10万円の現金給付、中小企業やフリーランスを対象とした持続化給付金、無利子無担保の融資、減収世帯向けの家賃補助、小口資金の貸付、社会保険料・諸税の納付猶予、雇用調整助成金の拡大といったものがこれまでに公表されている。この他、Go toキャンペーンのような市民に対する旅行費・飲食費・イベント参加費の補助、また家賃減免策が検討されている他、自治体レベルでは休業要請に対する協力金を配布するところもある。なお、立ち消えになったものとしてはお魚券やお肉券といった商品券の他、東京オリンピックの2020年の開催も2021年に延期となった。
6.日本政府の対応における課題**
6-1.緊急対応フェーズにおける経済対策の課題**
先の記事でも述べたように、感染症管理サイクルの緊急対応フェーズにあたる現状においては、新型コロナウィルスの流行収束を実現することが最も重要な政策目的となる。そうした中で、(i)感染防止策に関しては、緊急事態宣言も含め政府が早期に断固とした対応を決断しなかったことは痛手であった。ニュージーランド、アイスランド、台湾といった国々の対応を見れば、早期封じ込めが有効であったことは確かなように思われる。ただそれは置くとしても、(ii)経済対策についてこれまでに発表された内容を見ると、それが効果的な内容であるとは言い難い。
これまでの政府の発表や安倍総理の言動を振り返ってみると、一連の経済対策は生産の休止や需要の急減により深刻な経済的影響を被っている企業や市民からの悲痛な声に対して、僅かな現金給付や補助金、税の猶予といった手段で応えようとしているように見える。しかし、感染症対策の観点からは、こうした内容の経済対策を実施することは、かえって事業活動や就労の継続を奨励することになり、結果として感染症の収束を遅らせる可能性がある。
実際に、多くの企業が事業継続を検討していることが報じられている。企業の休業に関して、政府はこれまでに繰り返し休業補償を実施しない旨を表明してきた(その代わり、自治体がその責任において一種の休業支援や家賃補助を行うことは黙認するようである)。加えて、中小企業やフリーランスを対象にした持続化給付金は、(補正予算の成立を待つ必要があるため)未だ申請が始まっておらず、あっても最大で1回200万円の給付にとどまっている。多くの企業が熱望する家賃対策は、現金給付による措置はまだ発表されていない。主要な人件費対策である雇用調整助成金の受給には(減ったとは言え)膨大なペーパーワークが求められており、かつ、その支給には非常に長い時間がかかるようである。そのため、現在でも支給実績は極めて少ないことが報じられている。このように、企業向けの経済対策の多くは、緊急対応に適した内容とはなっていない。
なお、災害対応の専門家からは、今回の事態に災害法制を適用すれば休業者に対して「みなし失業保険」を給付することができ、この方が手続きは簡略であるという主張もある。(東洋経済ONLINE「コロナで困る人に「災害対策基本法」が有効な訳。
「自然災害とみなして対応を」弁護士の提言」)こうした制度の給付水準が十分に高ければ、企業は労働者を解雇する必要がなく、労働者も休業しつつ生計を維持することができるだろう。しかし、日本の失業給付の水準は、欧米諸国と比較して大きく見劣りすることは以前から知られている。日本の社会制度の弱みがパンデミック時に露わになっている例と言える。
こうした状況では、余剰資金に乏しい飲食宿泊業や小売業、対人サービス業は、例え需要が大幅に減少している状況にあっても、営業を継続せざるを得ない(店舗の閉鎖をしようにも家賃の支払いや撤去費用がかかるため難しいという指摘もある)。また、建設業や製造業においても、生産を休止することは経済的負担が大きいため、規模を縮小してでも事業活動の継続を模索する例は少なくない。中には、マスクの生産に参入する企業もあるようである。(NHK「シャープ アクセス殺到でマスク販売見合わせ 新型コロナ」)娯楽産業においても競馬やパチンコ等の事業者が営業を継続している他、流行の初期段階において格闘技イベントが開催されたことは記憶に新しい。
労働者もまた感染症が拡大する情勢下において就労を継続する他の選択肢を持つことが難しい。特に、賃金が低く資産に乏しい家計は切実である。事実、都市部では依然として多くの労働者が通勤し、店舗で労働している様子を見かけることは珍しくない。しかし、政府の発表によれば失業者、低賃金であったり収入が激減した労働者のように経済的立場の弱い人々に向けた現金給付は行われない見込みである。総理自らが強調していた所得水準の低い人々に対する30万円の給付は、最近一律10万円を給付する方針へと急遽修正された。
なお、10万円の現金給付の目的について、総理は国難に際して国民の一体感を創出することにあると説明している。ただ、緊急対応フェーズにおける政策目的が感染症の収束にあることを考えれば、現金給付の目的は市民の行動制限を促すことにあると考えられる。そのためには所得が減少した労働者への補償により生活の安定を図り労働の休止を要請するか、あるいは通勤の削減に向けてテレワークに移行するために必要な投資を促進することが目的となる。こうした目的に照らしてみれば、一律10万円の現金支給は、テレワークへの切り替えに向けて必要な機器を購入する際には助けになることもあるだろうが、所得水準が低い人々にとっては生計を維持するには少なすぎ、所得が低くない人々にとっては減収を埋め合わせるには物足りないであろう。
他にも、雇用調整助成金が早期に支給される企業に勤めていたとしても、労働者から見れば休業中の賃金水準は通常の就労時に得られる収入に及ばない。先に述べた「みなし失業給付」が貰えたとしても、同様である。さらに、経済状況の厳しい個人に対して小口の貸付を行ったとしても、返済の目処が立つ者は少数であろう。実際、過去の震災では、災害援護資金を貸付を受けたとしても、時間が経ってみれば返済できない人々が相当数いた例がある。結局、最後に自治体が債権放棄するならば、これは実質的に返済した者にとって不公平な現金給付と変わらない。
結局、今後も多くの労働者が就労を継続する状況は避けられないだろう。なお、最近の欧米における報道では、対面でのサービス業における労働者の賃金が低いことに注目し、格差社会の敗者が感染症の罹患リスクを過大に引き受けているという批判がなされているが、こうした現象は感染拡大のリスクを孕んでいる点からも問題である。
このように、政府による一連の経済対策は、企業と労働者の双方が休業するに際して十分な現金給付を行う措置が含まれておらず、ソーシャルディスタンスや三密環境の回避要請と相まって、生計維持や倒産回避のために必要な経済活動の継続はやむを得ないとする市民の判断を後押ししているように思われる。
北海道大学の西浦教授の試算によれば、社会活動を8割削減しなければ早期の感染拡大の阻止は見込めないと言われているが、多くの地域において目標数値は未達になっているという。現状を考えれば、残念ながら市民や企業による経済活動が今後も一定程度継続していく可能性は高いと考えられる。
なお、感染症の収束のために経済活動を犠牲にすることは失業や自殺を拡大させるため、感染症対策と比較しても見合わない行為であることから、自粛要請を解除し企業活動を継続するべきだという意見も聞かれる。しかし、仮に自粛要請を撤回したとしても需要が以前の水準を取り戻すかは定かではない。また、供給側に立ってみても、労働者に対する安全配慮義務の問題にとどまらず、社員や取引先に感染患者が発生すれば企業活動における制約が拡大する。結果、企業は見通しの悪い環境での事業活動を強いられることになる。このため、パンデミック下において、平時のような経済活動の継続を奨励することは現実的ではない。
6-2.感染症管理サイクルの進め方における課題**
さらに、政府は上記の感染収束に向けた諸政策と並行して、(2)復旧復興フェーズに向けた政策対応を急ぐ姿勢が垣間見える。政府が実施を検討している経済対策の一部は、コロナウィルスにより落ち込んだ景気の早期回復に向けた財政政策としての役割が期待されていると思われる。例えば、Go toキャンペーンによる旅行費・飲食費・イベント参加費の補助、オリンピックの2021年の開催(他には立ち消えになったお魚券やお肉券)といった政策がその例である。こうした経済対策について、総理自身が「総額108兆円」という財政規模をしきりに強調するのは、政府が断固たる対応をとっていることをアピールすることだけが目的のようには思われない。加えて、総理自身がコロナウィルス禍が去った後に経済活動のV字回復を目指す、感染症に打ち勝った証としてオリンピックを開催するといった言動を繰り返すことも、こうした疑いを深める方向に作用している。
しかし、感染症収束の見通しが立たない中で、政府が同ウィルス収束後に景気の急速な回復を企図しているというメッセージを発すれば、企業はそれに先立って事業再開に向けた生産体制を準備しておかねばならず、政府の自粛要請に反する行動を取らねばならない。感染症の収束を図ることを第一とするならば、こうした政策誘導は望ましいとは言えない。
加えて、こうした短期的な財政政策を実施しても、思うほどに経済活動の回復につながらない可能性もある。仮に感染収束が確認された直後から家計消費が平常化し、その上に財政政策による需要増が図られたとしても、企業が直ちにその供給活動を以前の水準以上に拡大することは難しいだろうし、小規模な飲食宿泊業、小売業、サービス業の事業者などは需要の急増に対応できないだろう。結果として、市場の製品・サービス価格が上昇することになるだろうが、政策効果が切れた後にはその価格は低下せざるを得ない。企業は需要の急増と急減だけでなく、価格の上昇と低下にも対処しなくてはならず、難しい舵取りを迫られることになる。政策的に短期的に復興需要を増加させた場合に、その後の地域経済が低迷することは、過去の大災害においてもそうした事例が多く見られる。
さらに、企業にとってより重要な問題は、需要が回復するかどうかよりも、どのようにして市場の変化に適応していくかということである。特に、アジア諸国における感染症の動向によっては市場の需要構造が変化する可能性がある。対アジア向け貿易、対外直接投資(日本企業によるアウトバウンド投資)、訪日外客動向は大きな影響を受けるだろう。特に、海外からの観光客が以前の水準を取り戻すことは難しいように思われる。こうした需要構造の変化に適応するためには、企業経営のあり方を刷新し、技術革新を促しながら、産業構造の転換を推し進める必要がある。
このように、感染症の収束を確認する前に復旧復興フェーズにおける政策対応にとりかかれば、悪くすれば感染症の収束が長引くばかりか、再び感染拡大が起きかねない。さらに、感染症の発生期間が長期化すれば経済的損失が膨らみ、その後の復旧復興のフェーズの進展が更に遅れる恐れがある。
緊急対応フェーズにおける経済対策と復旧復興フェーズにおける経済対策は、両者の政策目的が大きく異なることから、その手段も明確に区別されなければならない。政府は様々な需要喚起策をほのめかすことで先々の市場の期待を煽るよりも、目下の感染症の収束を最優先に政策対応に取り組む必要がある。
また、復旧復興フェーズにおいては、短期的な財政政策よりも、中長期的な地域開発に向けた政策対応が求められる。感染症の収束後に膨大な財政政策を実施すれば、その効果が剥落した後に大きな景気の低迷が待っている。こうした大きな経済的変動はかえって企業活動の復興の足を引っ張ることになる。加えて、短期的な需要増に注力するあまり、都市開発や産業構造の転換に向けて十分な投資を行うことができなければ、市場の変化に適応することができず、中長期的には経済的復興を成し遂げることが難しくなる。
7.感染症管理サイクルの段階に応じた経済対策を
新型コロナウィルス感染症の収束が確認されるまでは、感染拡大の阻止が最も重要な政府目的となる。従って、経済対策もこうした文脈の上で実施する必要がある。これまで災害研究においては、市民や企業に対する経済対策は生活保障を目的としたものなのか、それとも損失補償に向けたものであるなのか、あるいは地域開発や人的資本の開発に向けた投資であるべきなのかといった議論を重ねてきた。だが、パンデミックにおける経済対策を行う際は、緊急対応のフェーズにおいては防疫投資としての意味合いを持たせることを考えなくてはいけない。
つまり、緊急対応フェーズにおける経済対策の本質は、社会活動の削減に向けた政策投資ということになる。その際、重要な変数は経済対策の効果もさることながら、時間が希少な資源となっていることを考慮する必要がある。
社会活動の削減に向けては、(a1)不要不急の外出の自粛要請、(a2)在宅勤務やテレワーク、オンライン授業の推進による通勤の削減、(a3)企業活動、イベント、就労の休止要請、といったことが有効な手段であると言われている。特に、大幅な社会活動の削減を図るには(a3)が重要となるだろう。
このうち、(a1)は日常生活の維持に必要な外出を除けば、行政による在宅の呼びかけ、公共空間の閉鎖、交流人口数やその削減率の公表といった手段がこれまで講じられてきているし、一定の成果が見られる。ただ、市民からの要望もあるのだろうが、行政があまりに細かい業種や場面ごとの対応策まで示すことは、かえってルールの複雑化を招いてしまい、ソーシャルディスタンスが遵守されなくなることが懸念される。例えば、「家族以外の人とは、必要な場合を除いて2m以上は近づかないこと」のように、単純なルールの要請に留める方が良いかもしれない。
(a2)についても、企業や学校によっては取り組みが進んでいる例が見られる。実際、パンデミックの拡大に合わせて、市民や企業もその行動を大きく変え始めている。賃金水準が高く福利厚生が手厚い企業の労働者の中には、休暇の活用やテレワークの推進を通じて就労活動を削減する動きが出てきている
(日本経済新聞「富士通、6月末までに特別休暇 新型コロナ対策」)。また、多くの大学を含む学校が積極的にオンライン授業の実施へと移行してきている。今後は、企業と行政がより積極的なテレワークの推進に向けて経営改革や業務改革を実施できるかがポイントとなるだろう。これは働き方改革の観点からも重要だが、コロナウィルス後の社会ではテレワークによる働き方が常態化する可能性があることを考えれば、早期に適応してしまう方が合理的であるとも考えられる。
ただ、経済状況が困窮している学生や、在宅勤務・テレワークに向けた初期投資を行う原資に乏しい企業や家計に対する補助は手薄である。支援に際しては、例えばルーターを貸し出すといった現物給付よりも、現金給付が望ましい対応だろう。給付政策が意図した政策効果を挙げるか不透明であるデメリットはあるものの、現物給付よりも対応が迅速であり、必要な投資の是非を個々に判断できることから効率も良い。
(a3)については政府による経済対策が十分な内容となっておらず課題が残る。特に、中小企業や労働者向けの対策が手薄であることが、社会活動の削減に向けた障害となっている。
競争力が高く資本規模が大きい企業について見れば、融資等により資金を確保する例が見られる。(東京新聞「<新型コロナ>トヨタ、1兆円融資枠要請 大手2行応じる方針」)こうした企業に対しては、低利の融資や税の猶予・減免、休暇制度の整備やテレワークの推進に向けた補助を行うことで、企業活動の抑制を後押しすることができるかもしれない。
しかし、競争力が低い中小企業や賃金や待遇が十分でない労働者は、感染症が拡大する環境下においても経済活動を継続せざるを得ない。防疫投資の観点からは、こうした中小企業や労働者に対しては手厚い現金給付を通じて社会活動の抑制を促す必要がある。
休業を要請する期間に比例して求められる給付額が変わってくることから、感染症の収束に必要な期間の想定は重要である。現状では8割の削減ができれば1ヶ月程度、それ未満であれば3ヶ月程度の時間を要するとの試算が示されている。(NHKWEB「専門家 “人との接触8割減でダメージ最小限に” 新型コロナ)なお、より早く、より大きく社会活動を抑制した方が感染症の収束に要する時間が短くなるのであれば、中小企業や労働者に対しては時間のかかる融資よりも現金給付を行うことが効果的だろう。
企業に対して現金給付をどの程度行えば良いのか、正確に推計することは難しい。とはいえ、個別の事情に合わせた支給を行うためには、補助金申請の手続きや審査に時間を要することになろう。そこで、例えば、災害弔慰金制度では最大で500万円、生活者再建支援法では最大300万円が支給されることから、ひとまず500万円の支給を基本として、受給の際は1ヶ月間の休業を条件としてはどうだろうか。
個人に対しては余裕を見て2ヶ月間の休業を要請しても良いかもしれない。例えば、就労の必要性が高い生産年齢人口に対して一律50万円の現金給付を緊急的に行ってはどうだろうか。仮に、日本の生産年齢人口に当たる約7500万人に対して50万円の現金給付を行ったとすれば、その費用は約37.5兆円となり、奇しくも今回の安倍総理が発表した108兆円の経済対策のうち真水の部分に当たる金額に相当する規模となる。(東京新聞」経済対策「事業規模108兆円」とは 実態反映せず皮算用」)
こうした個人への現金給付は企業活動にとっても恩恵がある。既に、小売業や飲食宿泊業、一部サービス業のようなB to C企業に対しては、クラウドファンディングによる支援活動も見られるようになってきている。(日本経済新聞「飲食店向けクラウドファンディング 大商など、来月中にも資金提供 」)個人に対する現金給付を相応の規模で行えば、それに比例してこうした支援活動も拡大することが期待される。また、在宅が要請されることからネットコンテンツやネットショッピングへと需要構造がシフトしているが、個人への現金給付はこうした需要を増加させるだろう。旺盛な需要に対して生産活動が活発化し、社会活動が拡大しないように注意を払う必要があるが、500万円の給付では不足とする企業は、融資と併せながら、こうした需要を捉えて事業継続を図ることができるかもしれない。
なお、政府は財政的負担を要せずとも企業や労働者への休業要請や事業活動の継続に向けた支援を行うこともできる。そのためには、政策形成のスピード感の改善もさることながら、政策対応における不確実性を大幅に軽減する措置を講じなければならない。
現在のように、不透明な政治的力学や霞が関の論理に基づいて、全体像の整理もなく、唐突な政策形成とその朝令暮改を繰り返す状況は、企業活動の不確実性を大きく増大させることになる。こうした状況では、どの程度の期間休業すれば良いのか、その間に十分な支援を受けることができるのかといった予測を難しくするため、企業や労働者は経済活動の継続を前提に行動せざるを得なくなる。
こうした事態を改善するためには、行政の質を改善することが欠かせない。誠実な行政文書の保存を行い、政治家や行政職員の活動における責任の所在を明確にすることで、公共セクターの意思決定の透明性を高める必要がある。加えて、幅広いメディアを巻き込んで積極的に情報公開の質を高める努力を行うことも重要である。後に緊急時の政策決定を検証するための材料を残すことは、政策決定の不確実性を大きく低下させると共に、不眠不休で職務にあたっている誠実な行政職員の行動を評価する一助にもなる。
加えて、政府は感染症管理サイクルの全体像を市民に示しながら政策対応について発信するべきである。現状、政府は各論における個別の戦術論を報告することに終止しており、それぞれの政策対応がどのような目的に資するものなのか、そうした政策目的が感染症対策における戦略目標とどう関係しているのか、理解できない。こうした中では、様々な政策の優先順位を巡って整合的な議論を行うことができず、悪くすれば市民や大物政治家が「大きな声で議論する政策」に政策資源が投入されていく状況に陥ってしまう。感染症管理サイクルは戦略の全体像を明確にすることができるだけでなく、それを現実の状況や市民の批判に合わせて常に修正しながら、市民との対話を図るコミュニケーションツールとして活用することもできる。
なお、リスクコミュニケーションの観点からは、確かなエビデンスを持ち合わせていない中でも、一部の首長が連日のようにメディアに露出することで市民との対話の機会を持とうとする姿勢は大いに評価されるべきである。政府が必要とする時にだけ市民との対話の機会を持とうとすれば、政府は信頼を得られないだろう。
最後に、一連の緊急対応に注力している間に、政府はその後の復旧復興フェーズに向けた総合政策(マスタープラン)を慎重に検討する時間を持つことができる点は見逃すべきでない。マスタープランは短期的な景気浮揚を目的とした財政政策というよりも、地域社会の脆弱性を克服しながら、感染症に適応した社会の実現に向けて、持続的な開発を可能とする内容でなくてはならない。来たるべき復旧復興のフェーズに向けて、拙速な景気対策は控えながら、時間をかけて市民と対話しつつ包括的な復興計画を練ることは、感染症管理サイクルの観点からは時間を浪費しているとは言えないことを付け加えておきたい。