【20代の無茶な経験】富士山貧乏旅行記①
20代の私を振り返ってみると計画性がなく、愚かな挑戦を時々した。
世の中をもっと知りたいとか経験したいという大げさな考えより、なんとかこの状況から逃げ出す刺激が必要だったと思う。
そんな思いで世に出かけた旅だった。
40代の今もその時の旅行記録を読んで舞台砲でハングリー精神の20代の自分から刺激を受けたりもする。
下記は20年前のその時の旅行記録だ。
2004年8月24日 .火曜日
さて、どこから話を進ませるといいかな。まずは旅行しながら書いた記録をもとに書いてみることにする。
最初に自転車旅行を企画することになったきっかけは、おそらく村上春樹の「ノルウェーの森」の一節だった。
そこで主人公は東京で公開する映画を全部見てリュックに荷物を積んだ後、銀行預金を余すことなく出金して、新宿駅で急行列車に乗る。
空き地、駅と、公園と、ビーチととにかく眠れる場所ならどこでも寝袋を広げて寝た。
交番で寝かしてくれたこともあり、墓地で寝たこともある。私はどこに行くのか決めた目的もなく、ある村からある村に移動した。世界は広く、そこには不思議な事物と奇妙な人間たちでいっぱい溢れていた。
たぶん始まりはこの文章からだったのかもしれない。
日本生活がすでに3ヶ月目に入っている。これまで私は何をしたのか?
夜遅くまで寝ることができず、昼間になって起きる。
引きこもりの生活が続いていた。
直そうとしたがなかなかできない。そしてますます現実を知るほど壁にぶつかりながら自分を失っているようだ。
今最も重要なのは自信を信じる力がなくなっていた。
村上春樹さんの一節を見て私も見知らぬ世界に出ることができるような感じがした。
実は最初には少なくとも名古屋まで行こうとした。
状況が合えば京都や大阪まで行きたかった(ママチャリで?)、しかし様々な問題があって東京から富士山に変更をした。
様々な問題はのちほど後に書く...
やはり最も重要なことを忘れている。
何のために、なぜ日本に来たか。
答えを探したいし、自分をもっと強くしたい。
それで旅行を決心した。今まで怠惰だった自分に罰(?)を与えたいと思って…
恐れ半分の期待半分だ。
2004年8月25日. 水曜日
夜中のまだ日が明ける前に、ママチャリに荷物を積んで自転車を回した。
最初は快適に進んだが、日が昇って渋谷を通って神奈川県に入ってから246国道を沿って進んだら、蒸すような暑さに体力が枯渇した。
なんとかなるんだろうと思いながら続いて進んだ。 (この時代はスマホがなかったので地図の本と道表示だけに頼って道を探して行った)
道を間違えて再び246国道に戻る途中にタイヤがパンクした。
真夏の熱くなったアスファルトと重い荷物だとしても、こんなに早くパンクがするとは思わなかった。
あきらめて帰りたいくらいだった…
100円ショップで買った修理用具はあったので、いつかパンクがした予行練習として修理することにした。
しかし、道の真ん中での空き地でタイヤチューブの穴があいた部分を見つけることができない。
普通はチューブを水に入れてプクプクと水玉が上がる部分を探すが、そうはできなかったのでほっぺたの肌で微細な風が抜ける部分を探すしかなかった。
なんとか見つけて修理をしたのだがどれだけ耐えるか分からない。
急にお腹も減ってきた。
砂場というところに午後5時ごろに到着したが、ふもとだからか早く暗くなる。
道の標識を見て、休める公園を探しに村に入った。
公園では子供たちが楽しく遊んでて表情も明るい。
当時辛かった私とは真逆な感じだった。
トイレに急いで子供たちにトイレの場所を聞いてみた。
分かるはずがないだろう。
小さな公園だったので、もっと他の大きな公園も探してみたり聞いてみたが見つからない。
ここを最初の露宿場所にすることにした。
まず、ご飯を炊いておいて、あっちこっち探索みた。
引っ越してから間もないというおばあさんとベンチでしばらく話をした後、夕食を食べた。
ちょっと焦げたが、一日中ほぼ食べラズ初めての食事だったので美味しかった。
缶抜きがなかったのでイワシ缶詰は開けるのに一苦労したが美味しかった
地図はあったが、漢字を読めなかったし疲れてここがどこなのか探してみる気もしない。
今日はこれでよかった……
公園で夜を過ごしながら月を見た。
満月ではなく半月だったが、なんとなく母が会いたかった。
To be continue...
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