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一社のスペシャルセミナーとタイのプラカーン蒸留所の弾丸取材!!

 あまりのハードスケジュールとテイスティングのやり過ぎ(?)、さらにガロアとイヤーブックとコニサークラブ、コニサーの資料集を作っていたため、足、腰、首が痛く辛い日々が続いている。いっぽうで一社日本ウイスキー文化振興協会(JWPC)のセミナーや記念パーティーの準備等もあり、机のまわりはその資料で山のようになっている。ファイルにしている案件が100を超えていて、毎朝の日課はそのファイルの整理、ファイルさがしで1~2時間費やすという、本末転倒(?)の事態に陥っている。

 と、嘆いてもしょうがないので、朝は6時に起きて(老人のせい…)、ヘタをすると7時から原稿を書いている。2月の1日、2日(土日)は、その一社のスペシャルテイスティングだったが、タイミングよく朝日新聞が全国紙の経済欄で大きく、このジャパニーズの法制化について書いてくれ、それをセミナー参加者に資料として渡すことができた。それも上・中・下と3回にわたって記事にしてくれていて、ありがたいと思っている。イヤーブックの巻頭でも書いているとおり(発行は2月17日)、このままではジャパニーズウイスキーの蒸留所は、2030年には現在の半分、いや3分の1の30くらいしか残らないでのはという危機感を持っている。再び、ウイスキーの冬の時代が来るのかもしれないと、この頃、真剣に憂慮しているのだ。

 1日、2日のセミナーはトータルで40名近い方が参加してくれ、励ましの声もいただいたが、私はジャパニーズの造り手でもないし、業界を代表する立場でもない。しかし、この危機感、そしてウイスキーの未来にとって、今何が必要かは、人一倍分かっているつもりだ。世界中のあらゆる現場を取材してきた40年近い経験から、真剣に危ないと思っているのだ。この危機感を役所や業界団体、そして造り手が持っていないのが、何とも歯がゆい。

 JWPCの次のステップに向けて、一刻の猶予もなく、本来、私たちの目的ではなかった、いわゆるJWA(ジャパニーズウイスキーアソシエーション、日本ウイスキー協会)の設立も視野に入れて、動きださないといけないかもしれないと、思いはじめている。そうでないと、日本のウイスキーは世界からおいていかれることとなる。特にアジアの蒸留所を見ているとそう思うのだ。

 2日の日曜日のセミナーが終わったのが5時すぎで、一度恵比寿の仕事場にもどり、荷物をパッキングして、9時すぎに羽田の第2ターミナルへ。ANAの0時05分発の深夜便でバンコックへ向かう。タイビバレッジが2018年にオープンさせた(蒸留開始)、カンペーンペッ県のプラカーン蒸留所を取材するためだ。翌朝5時にバンコックに着いて、そこからバスで7時間のカンペーンペッを目指すことに。プラカーン蒸留所初のシングルモルト3種の発売を記念して、イギリスやスコットランド、フランス、ドイツ、アメリカ、オーストラリア、中国、シンガポールなどのバイヤーやジャーナリストが招待されたもので、26~7名の大きな団体が、2泊3日でプラカーンに訪れることになっていた。

 日本はもちろん、インポーターの三陽物産と、私とライターのOさんの2名が招待されていた。次号ガロア(3月12日発行)に間に合わせるためで、一社やコニサー、ガロア、コニサーの原稿、編集作業の合間をぬって、弾丸ツアーで参加した次第だ。結局カンペーンペッには2日いただけで、5日に再びバンコックまで車で5時間移動し、同じANAの便で東京にもどってきた。羽田に着いたのは夜の11時すぎで、恵比寿にもどったのは深夜1時前。さすがに、こんな強行旅は71歳を前にした老体にはこたえる。さらに悪いことに、道中、奥歯が欠けてしまい、急遽バンコックから歯医者を予約するハメに!! 人生、この年になると、何が起きてもおかしくはないのだが…。



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