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梅ヶ枝から元盛せせらぎ、そして長崎のグラバー園と墓地を訪れる
ウイスキートーク福岡が終わるとすぐに佐世保に移動し、翌10日の月曜日は駅前でレンタカーを借り、まずは梅ヶ枝酒造へ。途中、右手にハウステンボスが見えていて、思わず車窓から見とれてしまう。梅ヶ枝酒造は江戸時代の天明元年(1780年)に創業した日本酒の蔵で、建物の大部分は国の重要有形文化財に指定されている。老舗中の老舗の日本酒蔵だ。案内してくれたのは3人兄弟の真ん中、長野剛士さん。古い蔵の中に日本酒や焼酎、ジンやリキュールの生産設備があり、その中にウイスキーを造るホルスタインのハイブリッドスチルがある。詳細は9月発売のガロアだが、これが長崎県初のウイスキー製造所で、なんともユニークな蒸留所(日本酒蔵)である。
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次に向かったのは、そこから車で30分くらいの波佐見町にある元盛せせらぎ酒造。元盛と書いて、ガンジョウと読ませるらしいのだが、これはもちろん日本語ではない。実は蒸留所のオーナーは中国の企業で、福建省のアモイに本拠を置くワイン関係の会社だという。元盛の元はゼロからのスタート、盛はもちろん繁盛することで、せせらぎは日本らしい響きということで加えたのだとか。北京出身のシンジュンさんに案内されて蒸留所を取材。
梅ヶ枝が古い日本酒蔵だったのに対し、こちらは街道沿いのスーパーマーケットだったところで、それをリースして蒸留所とウエアハウスにしている。生産設備はすべて中国製。まだ生産が始まったばかりで、どれもピカピカだ。話を聞く限りでは、かなり本格的なクラフト蒸留所で、3年以上、元盛せせらぎで熟成させたら、大部分は中国に持っていくという。蒸留所内にはすでに瓶詰ラインもあり、準備万端という気がした。中国人オーナーということでは、神戸の神戸蒸留所がそうだが、1から建物を手当てし、ウイスキーに特化した蒸留所ということでは、ここが日本初だろう。長崎県に誕生したウイスキー蒸留所としては、梅ヶ枝についで第2号ということになる。
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2つの蒸留所を取材した後は、波佐見のセラミックパークにより写真撮影。その後、長崎市に向かい、夕方4時過ぎに長崎大学の図書館へ。ここには倉場富三郎の『グラバー魚譜』が保管されていて、それを見たかったが、残念ながらそれは難しいと言われ、結局、実物を見ることも、撮影も叶わなかった。本当はこれを寄贈した渋沢敬三のように(渋沢栄一の孫)、じっくりと見てみたかったのだが、それだけ厳重に保管されているということなのだろう。時間が余ったので、ホテルに向かう前に坂本町にある外人墓地に向かい、そこにあるトーマス・グラバーと倉場富三郎の墓を見に行くことにした。
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トーマス・グラバーが亡くなったのは東京だったが、のちにこの長崎の墓地に移されている。一人息子の倉場富三郎は長崎に原爆が落とされた1945年8月に、そこからすぐの所にあった南山手9番地の家で自死して、生涯を終えている。ウイ文研のオリジナルボトルは、ずっとその倉場の『グラバー魚譜』の中から魚を選んで、ラベルに使ってきたが、もうじき許可をもらっている50種に達する。その前にぜひ倉場富三郎とトーマス・グラバーの墓に参りたいと思っていたが、ようやく、その念願が叶ったことになる。本当は墓前で、そうした想いに浸りたかったが、ヤブ蚊の襲撃にあい、それどころではなくなってしまった。
翌11日の火曜日は午前中に有名なグラバー園に行き、園内をくまなく歩いて取材。10年以上前に、ザ・ウイスキーワールドの取材で来たことがあったが、その時はグラバーハウスだけだったので、詳しいことはわからなかった。今回はたっぷり時間を取ってあったので、グラバーハウスだけでなく、他の歴史的な建物も見て回ることができた。館内の撮影許可ももらい、2時間ほど取材をして、昼はそこからすぐのところにある四海楼で、元祖長崎ちゃんぽんを食べることに。さらにフライトまで少し余裕があったので、もうひとつの観光名所、出島にも寄ることができた。いずれにしろ、ガロアで今年中にはグラバー親子の物語を書こうと思っている。
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