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人生最後のコンタクト(feat.くるりのライブ)

普段メガネで生活している僕は、一昨年くらいに一応コンタクト(1DAY)も購入していて、でもその残が1個になっていて、それをいつ使おうか少し悩んでいた。
「目が疲れるし、今後はもうコンタクトはやめにしよう。ずっとメガネでいこう」と思っていたから、その残り1回分がおそらく「人生最後のコンタクト」になるはずなのだ。
だから、その残り1回をいつ使うか迷っていたというわけだ。

そしてついに、その残り1回分を使う機会がやってきた。
「くるり ホールツアー2025 Quruli Voyage 〜くるりと弦楽四重奏〜」を観に行くその日が、僕にとっての人生最後のコンタクト使用日となった。

なぜこの機会に使うことにしたのか。
それは僕の自意識過剰が大きく影響している。
くるりの岸田さんといえばメガネが印象的で、音楽界ではメガネ=岸田さんと言ってもいいくらい〝ロックンロールメガネ〟なお方で、そのビジュアルに僕もかなり影響を受けてきた。

だから、普段は当たり前にかけているメガネをライブにも装着していくことが、岸田さんをかなり意識しているファンだと思われやしないだろうかと気になったのだ。
しかも、ちょっとおしゃれして外出するとき用のメガネは、僕が所持しているメガネの中でも比較的フレームが太いものなのだ。
これではもろに岸田さんを意識しているファンみたいで、いや、実際に影響は受けているのだけど、なんだかそれを誰かに悟られるのはちょっと恥ずかしい……という気持ちが作用してしまったのだ。
……とまあ、そんな感じで、僕だけが勝手に抱いた自意識のもと、ついに「人生最後のコンタクト」の日がやってきた。

ライブ会場に到着すると、普通にメガネの人がたくさんいて(当たり前だ)、やはり自分の自意識が過剰であったことを思い知った。
しかしそれよりも、久しぶりのコンタクトということで、じわじわと目に疲れを感じ始めていた僕は、ライブ直前まで目薬をこまめに点すことになり、逆にコンタクトにしたことに対する不安と後悔の思いが頭を占めていた。

久しぶりのくるりのライブだ。目が霞んでしまったらもったいない。
霞み目でぼんやりしか観られなかったら、メガネで来たほうがよかったということになるし、「人生最後のコンタクト」の日が、「やっぱりコンタクトは引退だな」という、まるで千代の富士が貴乃花に負けたときに引退を決めたみたいな決定打になりかねない。
妻にも、これで「人生最後のコンタクト」になると思う、と事前に大袈裟な告白までしている始末で、我ながらちょっとウザいなと思ったりする。
しかしながら、そんなコンタクト引退の日をくるりのライブで迎えられたことに、僕は少しだけ感慨に浸っていた。

さて、そろそろ話をくるりのほうへくるりと向けたい。
くるりを観るのはたぶん人生で4回目。
最後に観たのは名古屋でのミスチルとの対バンだったから、ワンマンはかなり久しぶりで、ホールツアーを観たのは初めてだった。
僕のコンタクトのおさまり具合や目の渇きや疲れ、メガネの自意識過剰問題など、ライブが始まってしまえばどこへやら。

とにかく、圧巻であった!
今、日本で、こんなにも見事に弦楽器とコラボができるロックバンドが他にいるだろうか。
今回はライブレポを書くつもりはないので、詳細は自分の胸の中にしまっておくが、あれからもうずーっと繰り返しSpotifyでセットリストを聴いている。

僕がくるりについて以前から思っていることは、「くるりはクセになる」ということだ。
とにかく音楽の幅が広い。今回はベスト盤みたいな内容で、個人的には大満足。ベスト盤といっても、シングルばっかりみたいなベスト盤という意味ではなくて、くるりの魅力を網羅しているという意味でのベスト盤。

そして、来年でくるりは30周年を迎えるそうだ。
ということは、来年のツアーも盛り上がりそうじゃないか!
また行きたいな~。
そのとき僕は、間違いなくメガネで参戦することだろう。だってもうコンタクトは引退したのだから。
自意識過剰など捨て去って、くるりの面々と共に30周年を(メガネで堂々と)お祝いしたい。

それにしても、こういう風に「想像できる未来がある」というのは、今日も明日もまた生きて行こうと思えるってことで、とてもありがたい。
僕の「人生最後のコンタクト」は、喜びと希望を残したまま、わずかに寂しさを伴いつつも、さりげなく、少し早めの春風みたいに去って行ったのだった。

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