見出し画像

ノイズキャンセリングな世界

新年のカウントダウンを車の中で迎えたのは初めてかもしれない。
正確には車の中でカウントダウンをしたわけではなくて、日付が変わるころ、僕は妻の実家から自宅に向かって藍色の夜道を目を凝らして運転していたのだ。
そんな風にさらりと新しい年を迎えた夜、僕は珍しく夜中3時過ぎまで布団の中で本を読んで過ごした。ミステリーを読む元日。読書は思いのほか捗った。

元日に初詣に行くのが慣例になっていたが、今年は時間的に混雑しているタイミングだったのか、神社に行くとなかなかの行列だった。
「ねえねえ、絶対にお参りしたい?」と妻に訊ねると、意外にも「ううん、別にしなくてもいい」という返事が返ってきたので、僕たちは遠くから神社を眺めて初詣をした気になって帰った(結局、5日に再びこの神社に出かけてお参りしたのだが)。

昨年は年末に引越しをしたからとても慌ただしい年末年始だったが、今年は一転、予定がほぼない正月であった。食べてはごろんと横になって本を読み、駅伝を見てはうとうとし、たまに買い物や散歩に出かけ、翌日以降もほぼ同じ行動を繰り返した。

正月に買ったものは、ワイヤレスイヤホン(ノイズキャンセリング機能つき)とアウトドアブランドのリュック。買ってもらうときだけ妻にいつも以上の感謝の言葉を伝える調子のいい男である。古いリュックはまだ使えるから少しもったいなかったけど、収納スペースのことを考えて捨てることにした。

それにしてもノイズキャンセリングがこんなにも快適なものだとは思わなかった。カフェでも自宅でも本当に心地がよい。こんな静かな環境を求めていたんだ、オレは! スケボーの堀米雄斗くんがオリンピックのとき(だったかな?)にイヤホンで音楽をかけずにノイズキャンセリングのみで集中力を高めたというのがよ~くわかる。

ところで、年末に2025年の目標みたいなものを手帳に書き出してはいたのだが、それら細かい目標はさておき、今年は「やりたくないことは無理してやらない」ということを念頭において生活していこうと思う。
やりたくなくてもやらなければいけないことも当然あるが、できるだけ苦行の道を避けたいと思う。
これまでの人生を振り返ったとき、僕は自分が嫌なことでもいい子ちゃんを装って「はい、僕がやります」的なことをよくやってきたなと感じたのだ。でももう、そういうのはやめようと思う。

やりたいことをして、それを続けること。これが真の目標だ。
人に流されず、許される程度に自分勝手になって、好きな時間を費やす。
周りの目はあまり気にしない。もちろんまったく見ないわけではないが、なるべく見ない。
自分で言うのもなんだが、自分にとっての自分本位はそんなに自分本位ではない気がする。そのくらい僕は人に合わせてしまう人間だということ。

〝いい人〟になると、知らぬ間に相手にとって都合のいい人になってしまう。
〝いい人〟だと、相手のほうがどんどんわがままになっていく気もする。なんというか、要求が増えてくるのだ。それが積み重なると徐々に相手のことが嫌になるし負担に感じてくる。しかも、はじめ〝いい人〟だと認められていると、一言ぼそっと愛想のない言葉を発しただけで、〝あいつ、実はイヤな奴〟になりかねない。

僕は自分のことをいい人だとは思っていないけど、〝いい人〟だとは思っている。もっと丁寧に表現すると〝いい人〟になりたい症候群的な素質を昔から持っていた。
でもいい加減、そういうものから卒業したい。そういうものにいよいよ疲れてしまったのだ。
そんなことより、自分がやりたいことをもっと好き勝手にやっていこうと思っている。

相手のことを考えるのは素晴らしいことだけど、それが中心になるのはやっぱり違う。
今年は自分優先でいこう。どこまでも自分優先で。
それはどこかノイズキャンセリングの世界に似ている。
すなわち居心地のよい空間だ。だけど、うっすらと周りの声は聞こえる世界。

人が変化していくとき――大袈裟に言うと、人生が変わるような出来事が起こるとき、そのきっかけは必ずしも大きなことではないらしい。ほんの小さなことがのちのち大きなことへ影響するのだという。
小さな大切なことを見逃さないように、自分の内なる声に耳を傾け、今年も健康に生きていこう。
ノイズキャンセリングな世界――僕だけの、僕中心の世界で。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集