すき焼き四方山考
ヘッダーは、かの有名な「孤独のグルメ」の原作者、久住昌之氏の別名義(共著)の漫画タイトルから…
と思った人、ツウですね。
でも実はこれ、違うんです。ちなみに、そう思った方。それは「かっこいいスキヤキ」ですぞ。
このタイトル、野武士のグルメ、という漫画があって、そのいちタイトルです。
久住氏はどうやらスキヤキに相当なこだわりがあるらしいな。
さて、全く知らない人の為に一応補足。
「野武士のグルメ」は原作久住昌之、漫画を土山しげる先生が担当された作品です。
土山しげる先生は、大食いをテーマにした漫画「喰いしん坊」を描かれていた方でもある。続編「大食い甲子園」もそうだし、「食キング」「男麵」「喧嘩ラーメン」など、晩年作品タイトルを並べて見れば食には一家言あるのは語らずとも分かると思うが、結構独自なこだわりや理論があって、なかなか面白い。
流石にそれは誤解してない?っていう語りもあったりするけれど、それこそが「こだわり」なのだから、第三者がうるさく言いますまい。
で、食にこだわりのある原作と漫画家が集えば、そのシナジーは大したモノでして。
本作、ドラマ化(Netflix)はされていてもイマイチ知名度は無い(評判はいい)という悲しさはあるんですが、野武士のグルメも独自の光を放っている良いグルメ漫画です。
内容としては、定年退職した香住という男性を語り手として、やはり食へのこだわりやら、そのこだわりから来るおかしみなんかが描かれています。
「孤独の」や「軍師」とは視点が違うため、これもまた独特の面白さがあるわけですが、各所に「ああ、これ久住さんだわ」と思える仕掛けや言い回しがあって、ニヤニヤできる仕組みです。
まず、主人公の名前が「香住(かすみ)武(たけし)」であり、これは久住氏の名前のもじりだろう。
というのも、原作が久住氏の個人視点で書かれたエッセイであるため、土山先生がコミカライズにあたって新たに立てた主人公だが、やはり久住氏の系譜は残しておきたかったのだろうな、と思う。
久住氏も漫画の後書きに、その旨の事を書き記しているので、間違いないだろう。
そして、何より久住氏の独特の言い回しだ。
この、どっかの個人輸入商や山高帽の眉が濃い男が言っててもおかしくない台詞。
やはりここは久住ワールドだ、と確信させてくれる。
やや毛色が違うのは、仕事をドロップアウトした結構な地位にいた男、という所か。
そうした原作者の色も感じさせつつ、どことなく土山イズムも感じさせる侠気みたいなモノも匂わせる良い融合だと思う。
さて、前置きが長くなったが、そんな主人公がスキヤキを食べる回がある。それが1巻収録の「カッコ悪いスキヤキ」というわけだ。
あらすじは、こんなのだ。
香住武は、リビングで読書をしている。「日本人は何を食べてきたか。(神崎宣武著…っぽい。同名の本があるため特定のヒントが少ない)」を閉じる。その中に出てきたすき焼きについて、「俺の世代には未だ御馳走」と思いを馳せていると、奥さんから「姪っ子が上京してくるので、その晩ごはんをご馳走してあげて」と言われる。妻はその日用事があるため、ならば外食にしようかとなり、香住は「すき焼きを食べるチャンス到来!」と、これ好機とばかりにすき焼きの老舗を予約する。
そして当日、老舗自慢の絶品すき焼きに大満足…
…だのに、何故か次の場面で不満タラタラに、こうなってしまう。
と、このような流れのお話。
絶賛から大批判への流れについては、昨今の情勢からはちょいと批判されそうなところもあるので、話の良し悪しについては言及しない。
ただ、こうなってしまう流れは面白いので、オチと要は言わずに紹介させていただいた。
長くなったが、スキヤキ考である。
そもそも、すき焼きはドカドカと喰うモノだろうか?世間一般には食べ放題はあるものの、これほど大量に食べるのに不向きな食べ方もない、と僕は思う。
何せ、味付けは濃い。醤油も砂糖もバッチリ効かせた上に、入るのは牛肉メインだ。水分の出る食材をあまり入れない上に、「割下」という割にあまり出汁を感じられない調味で、舌と脳にガツンと来る。
有名どころでは、「美味しんぼ」あたりで美味くないだの魯山人風だのメチャクチャ言ってるけど、食い方自体は別に悪くないと思う。
単純に大量に喰うのに向いていない。それに尽きる。
脂が美味いといえど、熱で落としてやらないと食えたモンじゃないし、じゃあその落ちた脂も美味く食おうとすると野菜や麩に吸わせて、さらに濃い味にしないと脂っぽいだけになってしまう。そこを考慮すると、こういう食い方になるのも仕方ないわな、とわかる。
じゃあ「しゃぶしゃぶ」があるやんけ、となるけどこちらはこちらで淡白過ぎるので、タレや出汁で工夫が要るし、何より肉の質がモロに出るので、美味いモノを沢山食おうとすると高くつく。
上で紹介した(別記事にもあるが)近江牛と松茸のすき焼きだが、別コースではしゃぶしゃぶでもいただけるのだ。しかし、すき焼きよりも割高になっている。お店もそうした事情は分かっているということだ。
素直に美味いすき焼きを満足いくまで食えば良いし、食えないリミットはリミットとして受け入れるしかないのだ。
年齢を重ねればまずもって、胃に入る脂は量がキツくなる。
野武士のグルメでは、酒を茶碗でやりながら、男だけで粗に野に…と謳っていたが、おそらく酒を入れた時点で高齢者はそれ以上食えない。常温で飲む酒の旨さは格別だが、その旨さが量には大敵なのだ。
冷酒にすれば辛口で舌も冷めて食えるか?となるが、腹に入った脂が凝固して今度は腹具合が悪くなるという寸法。熱燗では?甘味際立ち香気立つのは常温以上にその後がキツくなる。そして、度数で酔ってそもそも食えない。つまり、そもそも日本酒は大食いに向かないのだ。
それこそ上品に食いたい時の酒だろう。安酒であれ、日本酒の重たさは響いてくる。甘さを甘さで迎え撃つのは正直どうなんだろう。
では焼酎ならばどうだろう?これはイケるかも知れない。甘味はそもそも少なく、高いアルコール度数でキリリと舌と味が締まり、食い気を掻き立てる。
粗に野に、と言うのであれば常温ストレートかも知れんが、野武士の時代ならば水で薄めているのが恒、つまり常温水割りの麦焼酎なら問題ない。
いや、焼酎を割るのは女々か?いやいや武士は食わねど高楊枝。割った焼酎と言わずに居ればよい。
ならば苦味走り冷えるビールはどうだろう?いやいや、冷えたものは胃に悪いと何度言えば。確かに相性は抜群だが…
酸味も苦味も旨味も程よい赤ワイン。
肉との相性は抜群。常温こそ最強。
以前に紹介した暴れ喰いで編み出した最強戦法が「赤ワイン攻め」である。
実は、食い放題で散々っぱら酒との相性は試している。毎年あの暴れ喰いを食いに行くメンバーだ。面構えが違う(ダメ人間として)
ビール、焼酎、日本酒、ジュースと試して、毎年惨敗を喫していたが、メンバーの一人がワインを思いつき、店で実行したところコレがあたりだった。しかも、店員が不慣れなのかグラスになみなみと注がれており「ジュースかな?」と総ツッコミを受けながら、3杯以上に及ぶ量を飲みながら試した結果だ。
すき焼きにはワインが良いぞ。
そういえば、食うペースも問題だ。
肉をチマチマ入れるのは大食いには向かない。世間一般の食い放題はみみっち過ぎると常々思う。もっとこう…
流石に「ストップって言って下さいね」からのストップ無視して山盛りになる松茸、という地獄絵図は想定してないだろ!
そう、以前も言ったように「程々がいちばん」なのだ。大量に盛られたソレは、最初こそ景気が良く感じるが、食い進めた後はただ下品にしか感じない。むしろ食欲が失せるまである。
繰り返すが、若ければ消費出来る。出来るのだが、人間というのは歳を取るし、歳を取れば代謝が落ちて、かつ若い時に無茶をした胃腸は確実に弱っているので、元々元気だった人ほど歳を取って自らのギャップに驚くのだ。
若いうちにハジけるか、若い時から自制して歳を取ってもそこそこ楽しめるのか、つまりそういう事だ。皆さんも、いつまでも若い胃腸では居られないと、文字通り肝に銘じておいてほしい。
そうなってくると、すき焼きをご馳走とし、高級と位置付ける今の食い方が正しいのか。
そんな事はないだろう、とも思う。
例えば群馬の方では豚すき焼きがあると聞くし、なんなら自分は鶏のすき焼きが好物だ。とある京都の名店では付ける卵の卵白をメレンゲにしてくれるというこだわりがあり、濃い味で歯応えもインパクト抜群な軍鶏の肉と相まって、特別感が半端ない。値段だって高いわけじゃないのがまた嬉しい。
こういうのは特別食ではあっても、決して高いものではないという証にもなる。
粗に野に、気の向くままに、というその望みは、結局のところ気の合う仲間やシチュエーションこそが大事なのであって、その望みや形式が至上だというわけではない。
先の「カッコ悪いスキヤキ」も、結局はすき焼きを気兼ねなく食べられそうなキッカケに乗ったが、我を出せる相手ではなかったというだけで、「〜のせい」は本質ではなかった。
上で紹介した「あばれ食い」の松茸と近江牛のすき焼きだって、値段は大したことあるが、そもそも一緒に行く仲間が底抜けに面白いからこそ、「ああ、これ以上食えねぇ!」はネガティブな感想ではない。
むしろ「たまの無茶な食い方も楽しいな」的な、面白さの共有、という意味を内包してる。
それは、仲間の食い方を気にしないでいい、気安い関係だというのが根本だからだ。
一人飯を信奉する自分ではあるが、この点は間違いなく一人飯では辿り着けない境地だと自覚している。
さて、カッコ悪い、カッコいいすき焼きとは何だろう。
結局のところ、自分の望むシチュエーションを作り出す、プロデュースする手腕、関係の構築こそが本質なのかも知れない。
そうした機微は、普段の生活や仕事の関係で培われるし、一朝一夕でどうにもならない面はある。一人が気楽だとする人にとっては煩わしいものだろう。
ただ、一人飯が良いな、と思う人こそ、足掻いて足掻いてこの境地に一人で辿り着こうとしているきらいがある。
この本質を取り逃していると、永く自分を徒労に浸らせることになるので、是非とも、一人以外で何かを食べる事を忌避しないで欲しい。
家族、仕事仲間、友達、同級生…そうした人と囲む食事というのは、実は大事なのだ。