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ヴィーガンの僕はカンボジアの村に帰ったとき、お肉と魚を口にするのか?
こんにちは、写真家のMiNORU OBARAです(自己紹介はこちら)。本日は、「ヴィーガンという生き方」について、僕なりにお話します。
僕の記事をお読み頂いている方の中には、僕がヴィーガン生活を続けていることをご存知の方も多いと思います。
とは言え、僕の完全ヴィーガン歴はまだまだ浅く、この記事を書いている時点でおよそ1年半です。
もともと食事には気を遣うタイプではありましたが、以前の僕は野菜中心ではありながらもお肉も魚も卵も乳製品も頂いていました。
そんな僕が、いわゆる「プラントベース」に興味を持ち始めたのはおよそ5年前。できる限り野菜を中心に、そしてお肉はあまり食べない生活を始めました。きっとそこには幾度となく旅をして周ったインドやネパール、ミャンマーあたりの食生活や考え方に理由があったのだと思います。もっとも周りの友人たちに言わせれば、僕はそれよりもずっと前から野菜中心だったとのことですが。(飲み会でのドリンクはもっぱらトマトジュースでしたし笑)
そんな僕が、いわゆる「ヴィーガン」としての食生活を始めたのは、パンデミック宣言がなされた後のことでした。
ステイホーム生活の中で、外食がゼロになったとき、毎回の食事のすべてを自分で選択できることに気がついたのです。
まずはお肉を摂るのをやめてみるところから始めました。そして、じきに乳製品と卵もやめて完全ヴィーガン生活に移行しました。
周りの人は僕に尋ねます。
「どうしてヴィーガンを選んだの?」
率直に言うと、この場でこの質問に回答するのは難しいんです。
なぜならきっと文章だと、僕からの一方的な主張に聞こえてしまうかもしれないから。
でも、「ヴィーガンはたくさんある選択肢の中のただひとつにすぎない」ということ、そして「日々お肉を食べている方(おそらく圧倒的多数)や畜産酪農業に従事されている方を否定しているわけではなく、むしろ尊重している」という立場であることを前置きさせていただきながら答えるならば、
「人間ってあまりに欲張りだよな。」
と思ったのがきっかけでした。
人間だって食物連鎖のサイクルの中にいるのだから、お肉も卵も食べて当たり前なんです。
でも他の動物と違うのは、「必要以上に摂りすぎているのでは?」という点。そこに違和感を感じたんです。
だってサバンナのライオンが必要以上にシマウマを食べすぎて満腹になりすぎたお腹を叩いている絵なんて見たことがありませんし。
理科で習った食物連鎖のピラミッドが、僕も含めた人間が産んだ無駄によって、頂点だけ大きく膨らんだ歪な形になっている。そう思ったんです。
もちろんそれは動物だけに対してではありません。
たったの1分賞味期限を過ぎただけで廃棄されるコンビニの食べ物。余った大量に捨てられてしまう季節限定の食べ物。
お肉も野菜もすべては命。なのに、そんなに簡単に捨てられていいはずがない。
いつの間にか忘れ去られてしまった「命への感謝」。
以前から感じていたことでした。
そして、パンデミック時代を迎え、逆に選択できるようになった僕はヴィーガン生活を始めたのでした。
もちろん同時に「腹八分」も心がけています。ヴィーガンを始めたからといって、野菜の命を無駄していては身も蓋もありませんから。
ヴィーガンな食生活を始めてみると、まず体が軽くなりました。朝もスッキリ起きられるようになりましたし、頭もなんだかハッキリしまして、今までは何となく脳みそにモヤがかかってたんだなと気付かされました。
これに関しては、毎日の習慣によるところもあるかもしれないですが。
しかしながら、さらにヴィーガン生活を続けると、次に栄養不足の壁にぶち当たりました。
僕の場合は特に、鉄分不足が深刻でした。ヴィーガンを始めた頃はスッキリと冴え渡っていた頭にモヤモヤがかかり始め、一日中眠気が取れなくなってしまいました。
危機感を感じた僕は、その時になって初めて栄養について考えはじめたのです。
ヴィーガンに不足しがちな、鉄分、亜鉛、マグネシウム、オメガ3脂肪酸・・・。それらがどんな食物に含まれているのか、考えるようになりました。
おかげで今ではまた、頭がスッキリ晴れ渡っています。
「体は食べるもので作られている。」
まさに、この言葉に尽きるのです。
さてそんな僕ですが、日頃から考えていることがあります。
それは
「カンボジアの村に帰ったら、僕はお肉やお魚を食べるのか?」
という疑問。
というのも、家族が住むカンボジアの村人たちはとてもおもてなしが好きで、パンデミックが去って再び僕が村に帰ろうものなら、こぞって僕をもてなしてくれるだろうからです。
食卓にはきっと、近くの川で釣ってきた魚や、その日のために命をいただいた庭の鶏、ちょっと無理をして買ってきてくれた市場の牛たちが並ぶことでしょう。
さて、その日が来た時に、僕はどうするのでしょうか。
「ごめん。僕は食べられないんだ。」
と断るのでしょうか。
いいえ、違いますね。
きっと僕はこう言うでしょう。
「ありがとう!すごく嬉しいよ!いただきま〜す!」
カンボジアの家族だけではありません。
僕の帰りを待っているネパールの友人がいつものお店でモモをもてなしてくれたら?
インドネシアの仲間がビバグリムの屋台に連れて行ってくれたら?
バラナシの友達が家でチキンビリヤニを作ってくれったら?
そしてその全員が
「また会えて嬉しいよ!」って笑ってくれていたら?
きっと、僕のとる行動は同じでしょう。かける言語は違えども、起こす行動は同じでしょう。
僕にとっての「ヴィーガンな生き方」とは、「感謝の心」です。
必要な時に必要な分だけ感謝をして命をいただく。
ただただそれだけです。
ですから今更ですが、「ヴィーガン」も「ノンヴィーガン」も関係ない。そんなカテゴライズすら、僕にはナンセンスに思えます。
だって「感謝」をひとつのカテゴリーとして括ってしまえば、どんな人だってきっと同じ仲間だと思いますから。
動物、植物、人間、水、火、土、風、太陽、地球、そして宇宙。
すべてが同じサイクルの中にいるひとつのエネルギーです。
そんなエネルギーの一員であることへの感謝を忘れずに、僕はこの生活を続けてみようと思っています。
感謝、優しさ、愛。言葉にするとくすぐったいけれど、もしかしたらこの感情は人間以外の生き物には存在しないのかもしれません。
食物連鎖のピラミッドを壊してしまうのは人間。けれど、その形をあるべき形に直すことができるのも人間であると、僕は信じています。
本日はなんだか難しいお話になってしまいましたね。それにもかかわらず文末までお読みいただきありがとうございました。
次回はもっと肩の力を抜いて、チョコレートのレシピをご紹介する予定です。ですので、また次回の記事でお会いしましょう。
🌾こちらのマガジンもぜひどうぞ。
🌾カンボジアの家族についてのエピソードはこちら。
🌾この記事でしれっと触れたパンチャマハブータという概念も興味深いです。
□ 写真集『アフターコロナに会いましょう -完全版-
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