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石破茂の「令和6年冬の敗戦」

■教訓を語る、なれど教訓は身につかず

 「問題は、なぜ『やることに決まっていた』か、ですね。……軍部は潤沢な資金を使って、政治家のスキャンダルを握り、あるいは『接待攻勢』で丸め込んだわけです。そうやって、軍の上層部も政治家も、『負けるのが分かっている戦をやる』方向に、どんどんと傾いていった。そこには、本当の意味での『国策』はなかったのです、欧米では当たり前の、『どう初めて、どのようにやめるか』という、『戦争設計』さえなかった」(『中央公論』2010年10月号、石破茂×猪瀬直樹対談「『昭和16年夏の敗戦』の教訓」)。

 現在の自由民主党総裁、内閣総理大臣、石破茂氏の14年前の発言です。

 太平洋戦争突入の年、昭和16年4月に、政府は軍・官・民のエリートを集めた「総力戦研究所」を立ち上げ、対米戦になった場合のシミュレーションを行いました。結論は、「緒戦は優勢ながら、徐々に米国との産業力、物量の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から三~四年で日本が敗れる」。この内容は同年8月下旬に、近衛内閣に報告されました。ですが、東条英機陸軍大臣が「戦争は、やってみなければ分からない」と、強弁。結局、この軍の論理が通ることになります。石破氏は、この日本のガバナンスの不在を痛烈に批判します。

 本当にその通りではあるのですが、また巡ってきた83年目の真珠湾攻撃の12月、現在の石破氏ご自身の政権の「発足即敗戦」の体たらくはどう説明すればよいのでしょうか。

■敗戦はまだこれからだ

 石破総裁選出までの自民党の戦略はこうでした。党の顔を目新しくして、ご祝儀で支持率の回復を図り、解散総選挙に打って出る。ところが直後の世論調査では支持率は50%前後と極めて低調。誰が決めたのか、急遽、解散に打って出ましたが、石破氏は総裁選で「直後に解散しない」と公約しており、この段階で食言。しかも、総裁選出までの政策主張も、状況に合わせコロコロ変え、あっという間に政治的信頼を失ってしまい、後は何をやっても悪い方に転がっていきます。

  そもそも、スタートの段階で候補者の中でも刷新感の低い石破氏では目論んだ支持率向上は無理。こうなると選んだ側の自民党議員団の問題です。目先を変えての解散総選挙は「やることに決まって」おり、党内有力者の大人の事情から、ブームになりそうな尖った候補は忌避されました。とうとう自公過半数割れ。しかし、野党側も分裂しており、何も決められない少数与党での政権運営となります。

 石破氏にとって忸怩たる思いでしょうが、「敗戦」はまだ終わったわけではありません。先の大戦での日本のガバナンスの問題は、開戦だけでなく、その終わり方にもあります。開戦1年も経たずに戦勝の見込みは失われ、それでも延々と決め手なく戦争継続。1944年には、劣勢は決定的となり、7月に重臣が中心になり東条を引きずり下ろしましたが、その後もさらに無策。講和への道筋を付けることも出来ず、ここから本土空襲、沖縄戦と大戦中最大の犠牲者を出した上で、無条件全面降伏となってしまいます。

 今、日本を取り巻く状況は剣呑さを増しています。ここで何も決められない政権で乗りきれるでしょうか。

 もっといえば、ただ生き残りたいだけの首相ののたうちまわりのおかげで、これまでまかりなりにも続いていた政治の安定もなし崩しに破壊されてしまうのでしょうか。

 さらにさらにいえば、総選挙以降、40歳未満の現役層の政治的指向は、石破自民党が体現する、高齢者層への過剰な資源配分と現役層への負担増要求に拒否反応を示すものである事は明らかです。であるのに、その現役層にとってもっと耐えがたい、搾取という点で「階級の敵」「保守反動」の立憲民主党との大連立によって政権、もっといえば自らの地位の延命を図ろうとしています。このことは日本の社会にとって、埋めがたい亀裂を生む可能性があります。

 そうなれば、歴史に対する大罪といえますが、その道を、石破首相は、大戦末期の帝国陸海軍のように、ただただ、負けを認めたくないという一心で突き進むのでしょうか。

 戦争の愚行の歴史に、大変深い知見をお持ちの石破首相が、その過去の轍を踏まないことだけを、切に祈ります。

(newleader 2024年12月号を改編)

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