慎太郎のおもひで、あるいは小説家の残存者利潤
2022/03/01 Newleader
「そもそも政治家なんかになってしまったために、私の作品たちはかわいそうなことになってしまった。顧みられなくなってしまった。特におまえ!〇〇〇〇(当時私が編集長を勤めていた雑誌の名が入ります)!何で歴史の話なんてくだらない事を聞きに来るんだ」。
今からもう12〜13年前のことになるでしょうか、先般、他界された石原慎太郎氏にキレられた時の話です。日本史上のあるカリスマリーダーについて
評論家と語っていただくという企画だったのですが、「現役の」文芸作家に対し、その御作に触れることなく、へりくだることもなく、普通の対談として進んだことが、いたくお気に障ったようです。要するに慎太郎氏にとっては、この国では政治リーダーよりも小説家の方が遙かに偉いということです。とはいっても、知事という政治家に話を聞きにいった東京都知事室でそんな話されてもどうしようもないのですが。
若い世代にとっては信じられないでしょうが、確かに日本ではかつて小説家は神のように扱わなければならない存在でありました。端緒はざっと100年前、世に言う大正デモクラシーの時代です。急速な文化の大衆化を背景に出版、報道の世界が花開きました。その際、キラーコンテンツとなったのが小説でした。西欧文化のモノマネということもあります。なによりフィクションは、個々人にとって急に開けた世界を手っ取り早く赤裸々に見せるのに最適なツールでした。読者が望むように何でもでっち上げることが出来るのですから。評論や報道ではそうはいきません。
おかげで明治期まではまだ、婦女子・車夫馬丁の読み物と蔑まれていた小説は、一躍時代の花形に。一方、士大夫の言葉はこの国では育ちませんでした。メディアは部数を伸ばすために小説が必須になり、小説家は祭り上げられ、流行の枠に止まらず文化的社会的政治的指針として、その作品、発言は神のモノのごとき影響力を持ちました。これでは人生、勘違いしてしまってもしょうがありません。
この状況は活字が主役であり続けた60年代まで続きました。しかし、テレビが次の主役として台頭してきたあたりから、影響力にも陰りが。70年代初頭の、三島由紀夫、川端康成の自死は自らの時代の終わりを敏感に嗅ぎ取ってのものではと思えてなりません。
慎太郎氏は56年にデビュー。流行風俗を題材に、主に弟・裕次郎氏の出演映画の原作者として、つまり弟の七光りで一世を風靡し、68年にはさっさと政界に転身。99年の東京都知事選の直前も「弟」という小説をヒットさせていました。こうしてこの国の小説家メリットの遺産を最後に総取りしていきました。
想像出来ないでしょうが、今ならば政治リーダーに祭り上げられると言うことでは大阪維新の橋下徹氏に代表されるテレビタレント並みの影響力を小説家は持っていました。慎太郎氏は小説全盛期の経験者としては忸怩たる思いだったのかも知れませんが、三島、川端両氏の最期を思えば、何と幸せな人生だったでしょう。ご冥福をお祈りいたします。