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ロシアは「敗北せず」、ただ世界を巻き込むのみ

2023/04/01 Newleader

やっぱりロシアは何かが違う

 ロシアのウクライナ侵攻が始まって1年以上が経ちましたが、さっぱり落とし所が見えてきません。

 ロシア軍は当初の奇襲が失敗した後、東部と南部に戦線を再編し攻勢を再興しましたが、西側の援助を受け続けているウクライナ軍の反撃に要衝をいくつもとられる始末。最近は、いくつかの拠点をめがけて強襲を繰り返し、無理繰り戦果を作ろうとしていますが、人命を敵陣に投げつけるような強行続きで、損害は記録的な数に。

 唯一の優位性を持っていた砲弾数も、最近明らかに減少が見られ、北朝鮮、イランなどから購入せざるを得なくなっているようです。もっといえば開戦以来の経済制裁でこの先の国家としてのじり貧は決定的です。

 一方、ウクライナは、徐々に西側からの援助の水準が上がってきており、より射程の長い精密誘導ミサイル、第3.5世代戦車、さらには戦闘機まで準備されており、この先、早ければ春以降には質的にロシア軍を凌駕し、大攻勢をかける可能性があります。

 普通、ここまで来たら、深手を負わないうちに停戦を模索するものでしょうが、プーチンは違います。というよりロシア国内がそんな雰囲気ではないようです。もちろん、国民の反対の声も上がっています。当局が強権的に抑え込んでもいます。しかし、なにより強硬派と言われるロシアの指導層が戦争に負けるとは全く思っておらず、むしろ非西側諸国の取り込みに走っています。長期化すれば深刻な対立構造を作り出してしまいます。それでもロシアは世界を2つに割ってでも負けを認めないつもりです。ロシアだけ世界の他とは明らかに戦争に対する感覚が違うようです。

ロシアにとっての「神風幻想」

 「ナポレオンがモスクワへの進撃に危険を予見しなかったことも、アレクサンドルやロシアの司令官たちが当時ナポレオンを誘い込むことなど念頭になく、その反対のことを考えていたことも、事実が明らかに語っている。ナポレオンを国内深く誘い込むことも、だれかの計画に基づいておこなわれたのではなく、そうなるにちがいないことも、それがロシアを救う唯一の道であることも予想しなかった人々──戦争に参加したすべての人々の、奸策、目的、欲望などの複雑きわまるからみあいから生まれたのである。すべてが偶然から生まれた」(レフ・トルストイ「戦争と平和」)。

 1812年のナポレオン遠征に対するロシアの勝利。のちに国家的、民族的偉業と称えられ、チャイコフスキーの「1812年序曲」をはじめ、数多くの作品が捧げられ、その後のヨーロッパ政界でのロシアの優位性をもたらし、ロシア人の意識をヨーロッパの辺境から覇者のものへ舞い上がらせた歴史的戦勝でしたが、文豪の手にかかるとけんもほろろ。「たまたま」の結果ということです。

 実はナポレオンの轍を踏む者が20世紀にも現れます。第2次世界大戦のナチス・ドイツの侵攻です。直前にスターリンがみずからの猜疑心から赤軍の幹部を大粛正し、しかも初動で下手を打って大敗北続き、ボルガ川・コーカサスの線まで攻め込まれました。が、ドイツ軍は結局、ここで攻勢挫折。一本道で押し返され破滅します。あれほどのドジを繰り返しながらソ連は勝ってしまい、戦後、アメリカと世界を分割支配するに至ります。戦後世界でのソ連・ロシアの鼻息の荒さは多くの人の記憶に新しいところです。

 「……このハートランドは、氷に閉ざされた北極海と、起伏の多い森林山地のレナランドと、それに中央アジアの山々や荒涼たる高原ないし砂漠といった、数々の天然の防壁によって大きく取り囲まれている。(しかし)ヨーロッパの半島部から内陸の低地帯に出たり入ったりする路が開かれている……。けれども、今のソ連の時代になってから歴史上に初めて、この厖大な自然の要害を守るに足りるだけの兵力が誕生し、これによってドイツ軍の侵入を阻止することができた。……つまり、ここを通過して侵入しようとする敵側は、いきおい広大な戦線に兵力を散開することをしいられるから、ただそれだけでみずからの敗因を構成することになる」(H.J.マッキンダー「デモクラシーの理想と現実」)。

 現代地政学の開祖であるマッキンダーによると、地政学の視点ではユーラシア大陸の中央北部は外部から決して征服される可能性がない地域で「ハートランド」と呼ばれます。そこへのアプローチ地域の広大な空間を埋める兵力、つまり人口を有すようになると、陸戦中心の世の中であればほぼ無敵。攻め込んできた敵には「何もしなくても」勝ててしまいます。「ハートランドを支配する者は世界島を制し、世界島を制する者は世界を制する」(マッキンダー同上書)というわけです。

 国家的、軍事的実力とは関係ないところで勝ちを拾えるのですから、いってみればこの体験は、日本にとっての蒙古襲来時の「神風」と似たような「天佑」です。

戦争と平和の間

 「しかしこの外寇が、一夜の暴風によって終わったことは、はたして本当の意味で、日本人にとって『幸せ』だったのだろうか。犠牲はたしかに少なくてすんだ。それが一つの幸せであったことはまちがいない。しかし不徹底な結末は『神風』という幻想を遺産としてのこし、のちのちまで多くの日本人を呪縛し続けた。……七百年前の偶然の『幸せ』に、つい五十年前まで甘え続けていたわれわれ日本人は、きびしくみずからを恥じなくてはなるまい」(網野善彦「蒙古襲来」)。

 戦争の最中はその被害や危機感から当事者はトルストイの様に現実的になるものですが、その後の平和の時期に戦闘や戦禍とは関係がなかった圧倒的多数が戦争の美化をはじめ、伝説を作り、社会を飲み込んでいきます。

 200年前からの天佑体験で、日本人が先の敗戦まで抱いていたユーフォリアより、さらに強烈な幻影の中にロシアは取り込まれています。要するに彼らには最終的に戦争に負けるという概念がないのでは。この心情をロシアの政治的な中核層が共有しているとすれば、合理性を度外視して悪あがきするのも理解できます。

 もはや核の時代で優位は西側にありますが、一方でハートランドと資源を抑えているという優位性は現実のものです。結局、19世紀と20世紀の「神風」幻想はロシアを没落に追い込むだけでなく、行きがけの駄賃で世界を巻き込もうとしています。

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