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朝が嫌い【100日間エッセイチャレンジ】
私はとにかく「朝」が嫌いだ。
♪新しい朝が来た 希望の朝だ…♪
お馴染み、「ラジオ体操の歌」の冒頭であるが、こんな風に思えたことは、残念ながら一度もない、と言っても差し支えない。
やれ成功者は朝の時間を大切にしているだとか、朝活で人生が変わっただとか、巷では「朝神話」とでも言わんばかりに、朝の良さがこれでもかと語り継がれている。
もちろんそれ自体は正しいのだろうが、それでも誰が何と言おうと、朝15分早く目覚めたとしたら、私は間違いなく全てを睡眠に充てるだろう。
ついでに言えば、私は「朝ごはん」というものも好きではない。
と言うよりも、生まれてこのかた「朝ごはんが待ち遠しくて」目覚めたことなど一度もないと言っていい。
私にとって、朝ごはんは「怒られないように無理矢理身体の中に詰め込んでいくもの」でしかなかった。
こんな風に言うと、
「早起きをしないからお腹が空かないんだ」
とか
「朝ごはんを食べないと力が出ない」
とか
「食べないと倒れてしまうよ」
とか、色々なことを言う人が現れる。
それでも何でも、食べたくないものは食べたくないのだ。
大学生になり、一人暮らしをするようになって、「朝食」の呪縛から解放された時は、本当に嬉しかった。その後の私はほぼ朝食というものを食べていないが、特に不自由は感じていない。
むしろ、お腹に食べ物を入れてしまうことで、逆にパフォーマンスが悪くなることの方が多いように感じる。
さらに私の場合、例えば旅行時など不可抗力で朝ごはんを食べると、今度は昼ごはんが食べられなくなってしまう。
結局のところ私にとっては、1日3食自体が過剰すぎるということなのであろうという結論に達して、今に至る。
そんなこんなで早起きや朝ごはんを嫌うようになってしまった私だが、タイトルのように
「朝そのものが嫌い」
なのだと気づいたのは、つい最近のことだ。
(だから、エッセイチャレンジを始めると決めた時の1本目はこの話題にすると決めていた)
思えば、朝という時間は私にとって苦痛でしかなかったのだ。
頼まれもしないのに朝から「早く起きろ」と怒鳴られ、「早く食べろ」と食べたくもない朝食を食べさせられる。
当時の私の朝食は、これでもかと野菜や豆に加えて、餅の入った雑煮風味噌汁と決められていた。
これを作ってくれていた祖母は、「世紀の発明」と言わんばかりに喜んでいたが、申し訳ないけれど心から美味しいと思ったことは一度もないし、大人になった今なお、「思い出の味」にはなり得ていないのが正直なところだ。
今思っても、どうして私はあんなに急かされ、毎日イライラしながら朝を迎えていたのだろう。
私が遅刻をしようが、お構いなしで良かったはずなのだが、
「自分の子どもや孫が遅刻をするのは恥」
とでも言わんばかりに、母や祖母の方が必死に、いや、躍起になっていたように思える。
そんな状況を見かねたのか、ある時父が自らの母親である私の祖母に一喝した。
「静かにしろ!どうしてそんなに急かされないといけないんだ、朝の時間くらいゆっくり過ごしたって良いだろう!」
そうか。
朝はゆっくり過ごしたって別に良いんだ。
急かされる必要はないんだ。
私はこの時当たり前の事実に気づいた。が、時すでに遅し。
この当時の記憶や言動が私には強烈に焼きついてしまったのだろう、残念ながら、私は既に筋金入りの「朝嫌い」になってしまっていたのだった。
だが、朝食の是非は置いておくにしても、基本的に「朝嫌い」は百害あって一理なしであることも理解はしている。
元を正せば、どうも私の朝嫌いは、乳幼児由来の宵っぱりではないかと思えて仕方がないのだ。
だから、自分の子どもたちは同じ轍を踏まないよう、睡眠リズムは徹底させるように努めた。
その結果と言って良いのか、間もなく年少組になる息子は、毎朝日の出とともに上機嫌で目覚めてくる。
私の朝嫌いは相変わらずであるが、子どもという存在のおかげで、何とか常識的な時間に目覚められるようにはなった。
「朝」と仲良くなるにはまだまだ時間がかかりそうだが、ひとまず、朝との戦いは休戦状態に入ったとは、言えそうだ。