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人間はヒトとかリソースか。

いま研修で「失敗の本質」という太平洋戦争を中心に、なぜ日本が敗北してしまったのかについて学びながら、考えを深めているのですが、

この失敗の要因の中で、組織を管理する人の人事の方法が目的合理化されたものではなく、コネや贔屓など感情的な人事を行っていたため、誰も反対意見を言える人がいなくなり、思考の視野が狭くなり、現場が優秀でも全く機能しないという事態が発生していました。

反対に米軍などの連合軍は、この属人的な組織体系に反して、目的合理な組織を作り、特定の人に権力が集中しない様にしたことで、合理的に戦略を立て着実に進めて、戦局を優位にし続けました。

ここでは、人は目的のために感情よりも合理的な行動の方が重要だという結論になりましたが、
自分はこれに対して、やや違和感を覚えました。

人間は目的合理化されると機械にならないといけないのか

ここでは、インパール作戦という、色んな人の私情が介入してしまったせいで、する必要ない戦争を起こしてしまった事が取り上げられていました。

戦争自体、ヒトというリソースを上手く配置して、相手が考えている作戦の裏をかく事で、多少のリソースが減っても、勝って日本軍を優位にする目的を達成すれば良いので、感情は手段において必要ないのです。
そうすれば、日本本土に被害を与える事はなく、自分の両親などを助けることが出来る。

つまり、
自分がヒトというリソースになることで、日本に平和な世界を作ることが出来る。
でも、これを米国という存在が脅かすであろうというと思っているからこそ、日本軍(自分たち)は戦わないといけないんだと。

目的のためなら合理的に考えるのが一番で、感情ほど戦略合理性を欠くものはない。
と考えると、自分たちがこうして持っている"感情"は、どこにおけばいいのかとか思いました。
感情は人間らしいもので、それを目的にしても、目的のための手段においては邪魔になる存在なんだと。

なので、目的に感情を置いても、手段に感情を置いてはいけないのかなと。
つまり感情というのは、正しい判断をしてくれなくて、起こるであろう結果に対してどう思うかの意味付けでしかないのかなと。
自分がどう思ったところで、目的から降りてくる手段に対しては意味をなさないと。

目的を通して何を目指しているのか

豊かになる事が目的だとしたら、そのために戦う意味は全くなく、むしろ豊かさは感じるものなのに、
ないものをあるとした瞬間に、急に今ある豊かさは、未来にある様に感じ、未来を目的にすることで、手段が生まれ、それを遂行するために各リソースというのが生まれてしまう。
目的のためにリソースという、より感情が無いモノが大事になるほど、豊かさから離れていくのではないのか。

と人類は何のために戦っていた(いる)のかなと思うと、自分は今、心地いい風に吹かれていても八百万のハートフルな世界ではなく、資本主義の下にいるんだなと思いました。

リソースではなく個人として

改めて「ヒトのリソース化」というのは、
人間が、ただ未来の人が欲求に基いて望むであろう目的に対して、現在、感情排除されたリソースとなって合理的に動く事だと思っていて、

人の感情が排除される事には、便利さと危うさがセットになっているなと感じています。

そのために大事な考え方として「個人」というのがあります。
個人というのは、自分だけを大事にする自分勝手という意味ではなく、
「自立と他者尊重」を兼ね備えた人です。

これの考えが組織にある事によって私的な感情は排除されつつも、自分の意思は理解され尊重される。
組織は、それを組織合理的に使うか使わないか判断するだけの存在で、ある一定の固まった考えを取り除くと。

なので働いている側としても、
肉体や技術を一方的に使われる「人のリソース」ではなく、
「個人のリソース化」という意識でいると、一人一人の感情は非常に有効なものになるから良いなと思いました。
自分は使われていると思うより、役に立っていると思える様な環境を作っていくべきであると思いました。

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