脱力した質の高い生活について。
ステイホーム生活って結構最高だなというか、家だと退屈だからこそ、家での楽しみ方を見出し始めたので、以前の生活に戻りたくない。
せっかく楽しめる様になったんだから、もっと楽しみたいなと。
頼む、社会側が変わってくれ!!
今回は、いかにして「楽にして生きていくか」を考え始めたので、それについて。
▶︎** 脱力した生活とは「脱頑張る」の事である。**
この脱力した生活は、だらっとするのではなくて、
頑張らないで、「いかに心地良くいるか」という事です。
言い換えるなら、日々の強迫観念を無くすという事です。
もちろん共感出来る人、共感出来ない人、それぞれいるとは思うのですが、何となく最近の風潮として、
「死ぬ気でやれ」
「何か一点集中して極めろ」
「やりたい事を見つけろ」
という目標を決めて、自分を縛り付けて、その苦痛と引き換えに乗り越えた楽しさを得るゲームが流行っているのかなと思っています。
このゲームは悪いというわけではなく、
この猛烈に目指せる目標がある事は、その人の人生を楽しくすると思うから良いと思うのですが、
そもそもその目標がない人が、自分もそうなりたくて
とりあえず頑張る事を決めた人は大変だなと最近思う様になりました。
自分もこのゲームに参加していて、
いかに「楽しさ」を作るかを考えていたのですが、
楽しさを求めると、反対に楽しくない瞬間に目を向けてしまいがちで、
「あー上手くいかないな」
と感じる事が多いなと思いしました。
楽しさをを作るには、
「楽しい事をやる」以外だと、「苦痛」を減らすという方法がありますが、出て行く方を減らす方が比較的に楽な気がします。
つまり、
無理して楽しい目標や事を作らずに、
日々の常にある辛い事を回避したり、辛さを感じない様にして、
「楽しい」という収入を増やすのではなく、「辛い」という支出を減らせるか。
いかに自然に楽に出来る事だけをやって、日々のハードルを下げるかが重要だと。
人生なんて、自分が正しいと思う物語を作って、それを信じ込んでいるだけなので、
唯一無二のオリジナルの物語があるのではないかと思うよりも、結果的に面白かったと思える物語を作れるかが大事なのかなと、個人的に。
そっちの方が面白いネタとか手に入りやすそうだし。
そのためには、いかに成り行きに任せられるか。
▶︎** 成り行きに流されていく**
改めて、頑張ろうとする事は決して悪いことではない。
それで、自分がネガティブになるのが問題だと言いたくて、「頑張らないといけないんだ」って思う人は一定数いるとは思っています。
その頑張りの先を考えて、自分にプラスになっていれば良いのですが、苦痛が増える人は良くないと。
塩を舐めないと砂糖の甘さを感じられない人になるコスパはむっちゃ悪いと。
以前は居酒屋行ってお酒飲むのが至極だと思っていたのですが、2ヶ月もお酒飲まないと、
お酒以外でも楽しさは色々あるなと思うように、今まで楽しいと感じるコストが高かった事に気づきました。
人生において、自分が考えた楽しさというのは、本当に狭いポイントしか考えられてなくて、
もっと本当は色んな事を感じられるのに、自分の決めきった思考のせいで、狭めいるんだと。
苦痛という支出がデカ過ぎて、ちょっとした楽しさという収入を感じられてないんだろうなと。
だから自分で決めすぎるのではなくて、いかに上手く流されていくか。
自分で漕がずに上手く流されて、流れ着く様にするのが、楽なんだろうなと、
「一生懸命頑張る系」に頑張ってみて始めて気づいた。
▶︎** どうやって脱力して成り行きに任せるのか**
答えはシンプルで、
楽しい事をたくさん見つけるのです。
本当に何でも良くて、
「これって何に繋がるんだろう」
ってものの方がいいと思うんです。
せめて何かに繋げるとしたら、
面白い話のネタにするくらいなのかな。
ネタにして人を笑わせれば、それだけでお釣りが返ってくるというか、人を楽しませる事で、人間関係も良くなるので結構、話のネタを作るために行動するって大事なのかもなと。
そして、いかに苦痛を減らすか。
このnoteも無駄に頑張り過ぎるところがあるので、もっと楽に書きたい事を書かないとなと。
あとはその楽しい事に飽きない様にするのも大事だなと。
楽しさって簡単に消費されてしまうので、いかに日持ちを長くしたりと各個人で工夫しないと。
そのために自分の時間の使い方かを見直してみないとなと、時間に縛られているサラリーマンだからこそ、より少ない自分の時間を考えないと。
まずは自分が必要以上に頑張っているかだけ、確認している。