「共に夢を叶えていこう」ベトナムに移住したシンガーShiho Rainbowの現在地【夢つむぐ学校 #1】
「好きなことを仕事にして生きたい」
「海外に移住したい」
こんなふうに考えたことはありませんか?
Shiho Rainbowさんは、今まさにこの2つの夢をつむぎ、歩み続けているシンガーです。
今回の記事では、Shihoさんのアーティストとしてのこれまでの歩みや、日越ソングにまつわるエピソードをお聞きしながら、自分らしく自然体に生きるためのヒントをお届けします。
「20歳まではママが責任取るから」母が教えてくれた自由と責任
―歌とダンスを始めたきっかけを教えてください。
Shiho Rainbow(以下、Shiho):私は4歳のころから歌とダンスに夢中で、母に頼んで劇団に通っていました。小学生になってからは地元のダンススクールに入り、元スクールメイツの先生に教わることに。そのスクールに通ったことがきっかけで、華々しい経験をたくさんさせていただきました。たとえば…
Shiho:今振り返ると、当時の自分の状況はすごく恵まれていたなと思います。大好きなダンスをしながら、それが仕事につながっていたんですから。
ただひたすら歌とダンスがしたい!という思いで、やりたいことだけは真剣にやる子どもだったと思いますね。
Shiho:しかし、成長するにつれて、周囲からの心配や不安の声も増えました。「ほんとにそれで食べていくつもりなの?」とか「ほんとに大丈夫?」とか、何度も何度も言われましたね。
それでも信じたもん勝ちというか、どんなに嫌なことを言われても当時の私はあまり真剣に聞いてませんでした。絶対に歌とダンスで生きていくって信じ込んでいたんです。昔からそういう頑固な部分もありましたね。
―音楽の道に進むShihoさんに対して、ご両親は何とおっしゃっていたんですか?
Shiho:母は私にいつも「やりたいようにやりなさい」と言ってくれました。一方で父からは「専門学校ではなく大学に行きなさい」「就職しなさい」と、一般的なことは何度も言われてきましたが、私はあまり言うことを聞かなくて(笑)。
母は、私が小さいころから「何をやってもいいけど、自分が苦しまないように自分で自分の道を作りなさい」と話してくれましたね。「20歳になるまでは警察に捕まってもママが全部責任とるから、何やってもいいよ」とまで言われていました。
―えー!そこまで!すごいですね…!
Shiho:そこまで言われると、逆にどの選択も全部自分の責任だって思えてくるんですよ(笑)。自分には「何をやってもいい自由」と「自分で考えなくてはならない責任」があるのだと、母に教わりましたね。
「歌手になって環境活動がしたい」卒業文集につづった夢
―Shihoさんは環境美化活動にも積極的に取り組まれているそうですが、どんなきっかけがあったんですか?
Shiho:小学3年生の社会科の授業で地球の環境問題について教わって、子どもながらに「地球の未来が危ない!」と危機感に駆られたんですね。
とはいえ、最初は何をしたらいいかわかりませんでした。ある日近所の電気屋さんがたくさん電気を使ってるのを見つけて、「これは環境に悪いぞ」と、友達と一緒にお店のコンセントを端から順に抜いていったこともあります(笑)。
―ちょっとした事件ですね(笑)。
Shiho:そのあと授業の一環として町のゴミ拾いをして、これが環境を守ることにつながるんだと知りました。「これならできる」と友達に声をかけ、放課後に近所の掃除をしていましたね。
私は将来は、歌を通して「地球を大切に」というメッセージを伝える人間になっている。本気でそう信じていたので、小学校の卒業文集にもこんなふうに書いていました。
自分を見失った日々を越え、ベトナムへ
Shiho:18歳のころにはメジャーのレコード会社さんにもお世話になった時期がありましたが、精神的にとても苦しい時期でした。売れるために本心を偽り、相手の裏の裏の考えを探りながら生きないといけないと思い込んでいたんです。
―そんな時期が!今のShihoさんとのギャップが大きいですね…。
Shiho:しかしその後、初期のX JAPANのプロデューサーを務めていた元ソニーの津田直士さんとの出会いが転機になりました。津田さんから「Shihoはピュアでいい。ありのままでいい」という言葉をもらい、それが私の世界観を変えたんです。
そこから2015年ごろまでは、津田直士さんをはじめソニーミュージックの関係者の皆さんにお世話になっていました。しかし私は、新しい可能性に挑戦するため、海外に活動の拠点を移すことを決意しました。
そこで、私はさまざまな方にコンタクトを取り、「海外で歌わせてほしい」と営業をかけたんです。その結果、インドのジャパンフェス、台湾のイベント、ミャンマーの学校、ベトナム、アメリカ・ヒューストンなどで歌う機会を得ました。このチャンスを活かし、色々な国で歌の仕事をしながら、定住する国を探し始めたんです。
―自分で海外へのチャンスをつかんだんですね!移住先にベトナムを選んだ決め手は何だったんでしょう?
Shiho:訪れた国の中で、一番友達が増えた国がベトナムだったんです。それと、ベトナムでのライブ中に足を大きく上げるパフォーマンスを見た方が「あなたはボビナム(ベトナム国技の総合武術)をやった方がいい!」と声をかけてくださって(笑)。気付いたらボビナムも始めていました(笑)。
―ライブパフォーマンスがボビナムのきっかけだったんですね。そういえば、パートナーのLINH ANGELさんもベトナム出身ですよね。それも移住のきっかけになったのでは?
Shiho:いえ、実は彼は最初は日本で働きたいと話していました(笑)。私がどうしてもベトナムに移住したくて。
―そうだったんですね!お二人の出会いについてお聞きしてもいいですか?
Shiho:もちろんです。私たちはもともとベトナムのイベントで、彼が通訳兼MCとして働いていたときに出会いました。その後、彼が日本で働くことになり、5年ほど友人として交流していたんですが、ある日、彼が作曲したいという夢を持っていることを知ったんです。驚きましたよ。音楽をやっていることを全く知らなかったので。
その後、私が所属していた音楽事務所に彼を紹介し、彼は同じ事務所の仲間になりました。そのことでさらに仲が深まり、やがて結婚に至りました。
好きだから、やめない。やめられない。
―ご夫婦で発表した『日越ハーモニー ~ Bản hòa ca Việt Nhật』という曲は、どういう思いで作られたんですか?
Shiho:この曲は結婚を機に作った、日本語とベトナム語が混ざった曲です。歌詞には、それぞれの国を象徴する「富士山」「桜」「蓮」などを織り交ぜました。さらにミュージックビデオではそれぞれの国の映像を使っています。
今後もオリジナルの日越ソングを作って、航空会社や日越関係の企業に使っていただけるように、これから営業していこうと思っています。日本とベトナムの架け橋になるような存在になりたいですね。
―とても素敵です。ほかにも今後の展望や目標があれば、ぜひ教えてください!
Shiho:夢はたくさんありますよ!ベトナム便の機内で私たちの歌が流れること、ホーチミンのSECCという大きなイベント会場でのパフォーマンス、そしてサッカーの日本ベトナム戦での国歌斉唱などです。
―聞いているだけでワクワクしてきます!Shihoさんが夢を叶えるために大切にしていることは何ですか?
Shiho:本当に好きなことする。これですね。好きなことなら、やめようと思いませんからね。やめられない。小学生向けの講演会でもお話ししたことがあるんですが、自分が心から好きなことを見つけられたら、どんなことがあっても続けていける力になると思うんです。
自分が本当に好きなことを見つけたら、それを実現している人の近くに行くといいでしょうね。自分が目標とする人とか、こうなりたいと思える人の近くにいたほうが、たくさんのことが学べます。もし直接会えなくても、その人がどのように歩んできたのかは調べられるので、その行動を取り入れるように意識しています。
私たち夫婦の目標は、歌う日越夫婦といばShiho Rainbow & LINH ANGELといわれることです。夢や目標をはっきりと想像できれば、思い描いた未来はきっと実現できる。そう信じています。
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