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世間からはみ出すということ

ある歌の歌詞には「右向け右の世界」というフレーズがある ある活動者はこの世界を「回れ右のコミュニティ」と言った 軍隊でも、回れ右や右向け右はあるけれど、左はない 世界は右を中心に動いている だって、右は英語で「right」正しい向きだから だから社会は右を向くことを要求する 「right」は正しい以外にも、正義という意味もある だから、右は正義の向きなのだという暗示なのだと思う 例えば、学校のクラスで右向け右をしなければいけない事があるとする 体育の授業ではない 全員で

    • 死にたいと泣いた女の子

      僕が高校生の頃、同じクラスに僕と同じでぼっちの女の子がいた。僕と彼女は教室で喋ることはほとんどなかった。しかし教室の外では辛いときには、お互い言いたいことを言いあっていた。 彼女は小さい頃に悪性リンパ腫になり、治療の後遺症で糖尿病になった。体力がなくなり、身長は伸びなくなった。歯がガタガタになり、骨が弱くて矯正することもできなかったらしい。彼女はそのことをとても気にしていた。それでも必死に生きていた。 彼女は高校に入学する前には小中一貫校に通っていたそうだ。一貫校だから小中

      • 普通を演じる

        普通の人ってなんだろうか。 それを考えることがよくある。 僕は普通の人というのをあまり見たことがない。けれど僕が普通でないことはよくわかっている。 普通でありたくないと思う自分と、はみ出すのが怖い自分がいる。普通なんていう価値のない無個性な人間ではありたくないけれど、外に出れば普通であることが要求される。普通でない人はだいたい不審者である。 だから僕は普通のフリをする。 普通ってなんだろうか。わからない。 でもとにかく周りの人と合わせよう。目立たないようにしよう。自分の行

        • ちゃんと生きている

          いま、ちゃんと生きている。 自分の意思で産まれてきたわけでもないのに。 親の都合で産み落とされただけなのに、それでもちゃんと生きている。 いつも戦っている。 見えない敵と戦っている。 見える敵のこともあるけれど、見えない敵のほうが圧倒的に多い。だからその辛さは他人には理解してもらえない。 どうして自分ばっかり辛い目に遭わないといけないんだろうって思って、周りの人を見ると悩みなんて何も無さそうに楽しそうに笑っていて、悲しくなる。不公平だ。 何をやっても上手くいかないことばか

          死ぬことはそんなに悪いか

          どうして生きなければいけないのだろうか。 どうして社会はそんなに死ぬことを止めたがるのだろうか。 望んで産まれてきたわけでもないのに、どうしてこんなに苦労して辛い思いをして生きないといけないのだろうか。 産まれてくることが選べないのならせめて死ぬくらいは自由にさせてほしいものだ。 何も選べないんだ。産まれてくることも。性別も。容姿も。親も。生活環境も。お金も。友達も。人生なんて自分で選べないし変えられない。自力で変えられることなんてたかが知れている。 だから、死ぬことを自分で

          死ぬことはそんなに悪いか

          仮称Aさん

          僕が小学校三年生の頃、クラスに嫌いな人がいた。その人は女の子で気が強く友達は少なそうだった。その人を仮にAさんとしよう。 その日、僕は何も考えずボーッとしていた。何かを見ているわけではなく、ぼんやりとしていた。するとAさんが急に「なに?じろじろ見て」と言ってきた。見ているつもりはなかった。けれど視界には入っていたのだろう。Aさんは不機嫌だった。その頃はまだ僕がいじめられていたから、余計にあたりが強かったのかもしれない。いじめの対象には強くあたるものだと学校で教えられたはずだ

          仮称Aさん

          変われない僕と変わった女の子

          僕がアパレル店でアルバイトを始めたのは大学一年生の七月のことだ。その頃お店で学生は僕一人だけだった。 翌年の四月にそのお店の先輩が一人退職し、新たな学生アルバイトが二人加わった。一人は年上の大学生の男の子で、もう一人はもうすぐ芸大に入学するという女の子だった。 男の子のほうはごく普通だったが、女の子のほうはそうではなかった。それは初めて挨拶をしたときから感じていた。 どこか僕と同じ感じがすると思った。 数日後、その女の子と退勤時間が同じ日があった。帰る方向も同じだったので

          変われない僕と変わった女の子

          自殺をとめるな

          自殺を手助けすると犯罪になる。それが理解ができないのは僕だけではなかったようだ。 ニュースでその事件が報道された数日後、お昼の空いている電車に揺られていると隣に座っていた二人組が僕と同じ疑問を口にしていた。死にたい人は死なせてあげなよということも言っていた。 死にたいと言う人に「死んではいけない」と言うのはあまりにも残酷で無責任だなと感じる。 人を助けて正義のヒーローぶっているようにしか見えない。当の本人はまったく救われていない。 死ななければいいのか。自殺しなければ、本

          自殺をとめるな

          僕がいじめられていた小学生時代

          僕の人生は小学生のときから狂い始めていたのかもしれない。 あれをいじめだと認識したのは最近のことだ。 僕はいじめられていたと認めたくなかったのだろう。本当は最初からいじめだとわかっていたはずなのに。 それは小学二年生のときのことだった。 一年生から二年生に上がったときに転校生が多いという理由で本来はないクラス替えが行われた。たしか転校生で20人くらい増え、二年生が100人くらいの人数になったのだと思う。僕のクラスにも当然のように転校生が何人もいた。 ある日転校生である一人

          僕がいじめられていた小学生時代